懐かしい時代
みいちゃんとの件を打ち明けて、慰めて、励ましてもらい、ようやく落ち着いた後にカズ君が今夜の要件を切り出しました。
「・・・ところでな、今日、無理言うて来てもろたんは、ちょっと頼みがあるねん」
あら珍しい、カズ君が頼みごとなんて。
「シオのところの若いの、いや一番下っ端でエエのやけど、ナンボぐらいするん」
「仕事の依頼料?」
「そうやねん」
「一番下っ端じゃ料金なんて取れへんというか、仕事になんかに出せへんよ」
「じゃ、最低料金は」
おおまかに料金の説明をしてあげると、
「さすがに一流は違うわ。やっぱりやめとくわ」
「もうちょっと、聞かせてよ。これじゃ、訳わかんない」
「実は・・・」
懐かしい話で、これはこれで涙が出そうでした。カズ君は私が転がり込んだ時は、言ったら悪いけどブタマン状態でした。そこで、
『ちょっとはダイエットした方がイイよ』
こう言ったら、急に道場に通い始めました。ダイエットのために道場も妙かと思って理由を聞くと、そこの館長とタマタマ知り合いになって、サクラで良いから来てくれへんかと頼まれていたらいしいのです。
サクラを頼むほどですから、流行っていない道場で、私もヒマだったから見学に行ったら、サクラのカズ君と館長しかいなくて笑ってしまいました。カズ君も人が良いから、サクラじゃ気の毒だと言って、ちゃんと入門料と月謝を払ってました。それぐらいの貧乏道場です。
基礎練習から始まるのですが、これが普通は退屈で辛気臭くて脱落者が多い練習になります。ところがカズ君は基礎練習に異常に熱心だったんです。というか基礎練習しかやらないんです。理由を聞いたら、
『ダイエットとシェープアップのために行ってるから』
そりゃそうなんですが、よくまあ、あんな退屈そうなものに熱中できるものだと感心しました。基礎練習は道場に行ってない日も黙々とやってました。これが見てると、日々動きがスムーズになっていくのが素人から見てもわかります。
その基礎練習なんですが、段々やることが増えていきます。これも聞いたら、
『なんかようわからんけど、基礎の発展編だって』
見ていると動きはスムーズを越えて流麗って言葉があてはまるぐらい見事なものになっています。この『基礎練習』は延々と続けられました。最後の方は、素人の私が見ても、惚れ惚れするほど美しいものになっていました。名人の舞とか、バレエとか、ダンスとかって感じといえば、わかってもらえるでしょうか。
ですが、ああいう道場は昇級とか昇段が目標になるはずです。ところがカズ君はいつまで経っても白帯です。まあカズ君の運動神経については期待してなかったので『そんなもんか』ぐらいに思っていたのですが、ある日にこれ以上はないぐらい憂鬱そうな顔で道場から帰ってきて、
『試合に出なあかんことになってもた』
白帯のカズ君が出るぐらいですから、たいした大会じゃないと思ってました。とにかくヒマだった私は嫌がるカズ君を説き伏せて見に行かせてもらいました。まあ、カズ君が嫌だと言っても行くつもりでしたけどね。ところが会場についてビックリした、ビックリした。どう見たって本格的な大会だし、みんな強そうな人ばっかり。
格闘技の試合を会場で見るのは初めてでしたが、凄い迫力。見るからに強そうな人がバシン、バシンて重々しい音を響かせながら戦います。血も飛び散りますし、骨を折った選手もいます。試合の迫力にも圧倒されましたが、ここで戦わされるカズ君が心配で、心配で、こんな大会に参加させた館長さんを恨みました。殺されちゃうとしか思えないのです。カズ君の試合になって、心配のあまり声も出なくなっていました。
試合はまさに圧巻。誰もカズ君の動きについて来れないのです。あんな颯爽としたカズ君を見たのはあれが最初で最後の気がします。決勝の相手は、当時は無名でしたが、今じゃテレビにも出てくる私でも知ってる有名人。あんな強そうで怖そうな人がカズ君の前では子ども扱いでした。
その道場ですが、今でもあるそうで、あの頃よりは大きくなってるそうです。そこのパンフレットやらホームページを作り直したいから、誰か写真の上手な人を探しているそうなんです。ただあの頃よりマシとはいえ、あんまり予算がないのでカズ君にも相談があって、私のところに話が来たってところです。
「あの館長さん元気なの」
「うん、元気みたいやで。ほいでも、人が良すぎて経営は相変わらずみたい」
館長さんは何度も見学に行ってるので良く知っています。見学と言っても、館長とカズ君と私みたいな日が多かったですし、カズ君は基礎練習しかしないので、館長さんとはよく話をしてました。でねぇ、ホント、カズ君に負けず劣らずのお人よしです。女の私が来るって言うから、お菓子を用意してくれてました。嬉しそうに頂いていたんですが、とにかく貧乏道場だったのでちょっと心配になって、
『お邪魔させてもらってるだけですので、どうか今後はお気遣いなく』
こう言ってお断りしようと思ったのですが、
『うちは貧乏やけど、お菓子ぐらいは遠慮せんといて』
そこにカズ君がやって来て、
『シオには言いにくいんやけど、館長さん、好きなお酒もやめてるんや。それだけやなくて、インスタント・ラーメンばっかり食べてはる。昨日もお菓子の事と道場の経営問題で長いこと話してたんや』
そこから館長さんとカズ君が経営の事で言い争いを始めちゃったんです。結構深刻な話がポンポン出てきて、これは私のお菓子代が、経営にそこまで深刻な影響が出てるに違いないと思って、、
『お菓子で道場潰して、どうするんですか』
そしたらカズ君が、
『いくら師匠と言えども、お菓子の事はあきらめてもらう』
これに館長さんが
『弟子が師匠に逆らう気か』
普段は温厚で穏やかな二人の空気が険悪になり、ついに決闘でケリをつける話になったのです。私はもうオロオロして、
『お願いだから、私のお菓子で喧嘩しないで』
もう半泣き状態でした。そこでパッと二人が私の方に振り向きカズ君が、
『お菓子やねんけど、次を洋菓子にするか和菓子にするかで昨日は決着つかへんかってん』
経営が苦しいのはホントでしたが、さすがにお菓子代で道場が潰れる訳じゃなくて、私を騙すためのコントでした。まったく、これをやるためにわざわざ台本まで書いて、何日もかけて練習してるんだから、何してるんやらです。これじゃ格闘技じゃなくてコントの道場です。
お菓子だけではなく、あの二人が組んでのコントで何回も私は騙されています。二人とも生真面目な顔で深刻そうにやるもんですから、毎度毎度コロッと騙されるんです。そういえば、私が見学に行くから、見学している私目当てに入門者が増えたって話は、コントかどうか今も良くわかりません。とにかくあの二人の話はどこまでが本当か、どこからがフカシなのか境目がわからなくて。でも涙が出るほど懐かしい時代です。
「な~んだ、それやったら私が撮ってあげる」
「あかんて、シオなんかが撮ったら、あの道場が破産してまうやんか」
「大袈裟な。あの館長さんのためやん。カズ君もお世話になったんだから、ささやかな御恩返しよ。ついでに写真集にしてあげようよ」
「で、ナンボ」
「あはは、ロハでイイよ」
プロが、それも私のような売れっ子の一流のプロが、タダ働きは良くないって渋りまくるカズ君を説得して、私が撮る事にしました。報酬は夕食を豪華ディナーをカズ君の奢りにすることで交渉成立です。ホントに懐かしくて、ワクワクします。
「でもね、もう一つだけ条件があるの」
「なんでも言うて、シオの無料サービスの代わりやから一つでも、二つでもエエよ」
「試合に出て欲しいの」
あの颯爽としたカズ君の姿をもう一度見てみたいのです。
「それやったらOKや。最後の試合に出るのも頼まれてるから」
「やったぁ」
「でもな、長いことやってないから期待せんといてね」
「負けたら正規の倍の料金を請求するわよ」
「それは堪忍してえな」
「じゃ、頑張って」
「参ったな」
試合は来週の日曜日。楽しみだな。なんか遠足の前みたい。他の仕事? そんなものキャンセルに決まってるやん。こんな楽しい撮影なら、カネ払ってでもやりたいよ。そうだ、うちのスタジオあげてやってあげよう。そうしよう、そうしよう。
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