シオリの役目
ユッキーの葬儀は異例の事だったが病院葬で行われた。家族や親族との接触をユッキーが喜ばなかったからだそうなんだ。私も参列させてもらったが、誰もが泣いていた。それも心の底から泣いていた。弔辞を読もうとした院長も一行も読めなかったぐらい男泣きしていた。
葬儀の後に院長に呼ばれた。事務長さんも、看護部長さんも一緒だった。そこで頭を下げてお願いされた。それはカズ君への伝言だった。ユッキーのお願いは死んでも病院の職員全員を縛ってるというか、どんなに辛くても悲しくとも守るというのがヒシヒシと伝わったんだ。
ユッキーは私と会った後には意識は殆ど朦朧とし、まともに話も出来ない状態になってたそうなんだ。そう、私が最後にユッキーと話をした人間になっていた。そうなるとあれは遺言ってことになるのかもしれない。
ユッキーの最期の状態の話を聞かされた時にはたまらなかった。ただ『カズ坊、カズ坊』と聞き取れないほど小さな声で時々呟いていたそうだ。きっと楽しかった思い出の中にいたんじゃないかと思う。まだ意識がしっかりしていた時のユッキーは決してうるさいことは言わなかったそうだが、部屋の物の配置だけは細かく指示していたみたい。それこそ角度まで。
これは担当だった看護師から聞いたのだが、その配置や角度はカズ君が退院した日の配置じゃないかと言っていた。わざわざユッキーがあの病室を選んだのは、最後の時間をカズ坊との思い出と一緒に過ごしたかったから以外には考えられない。なのにどうしてカズ君を呼ばなかったの。
その理由については誰も知らなかった。聞こうとした者もいたようだが、ユッキーの前に立つと聞けなかったそうだ。それは私にもわかる。私もそれを聞きたくてお見舞いに行ったのに、聞けなかったから。
自分の衰え行く姿を見せたくなかった女心みたいな、ありきたりの理由を考えてみたが、それだけでは納得できない。きっと違う理由があったに違いないが、それを聞くことは永遠に出来なくなってしまった。
それにしても菩薩になったユッキーはなんでも見えていた話には改めて驚かされた。だからカズ君には会わなかったぐらいの理由は出てくるが、それではなんの説明にもならないんだ。ただそうなると、最後にユッキーが私に言った謎めいた言葉は現実のものとして現れるかもしれない。
それはどうなるかはわからないが、今一番の問題はユッキーの事をカズ君に伝える役目。逃げ出したいぐらい辛い役目だが、ユッキーの最後の願いなんだ。そう、これは私に課せられた十字架みたいなものかもしれない。
呼び出したら案外簡単に応じてくれた。カズ君は影のように現れ音もなく私の隣に座った。本当に音もなくだったのは印象的だったからよく覚えてる。私がどうやって切り出そうかと迷っていたら
「亡くなったんだ」
こう、ポツリとつぶやいたんだ。そしてじっとカウンターの向こうを見つめてた。長い長い時間だった。どれぐらいの時間、カズ君が見つめていたかわからないぐらい。異様な雰囲気を察したのかマスターもオーダーを取りに来なかった。どれぐらい続いたんだろう。三十分、一時間。実際はもっと短かった気もするけど、私には永遠とも思える時間だった。
やがて音もなく席を立ち、なにも言わずに出て行った。
「カランカラン」
ドアのカウベルがまるで弔鐘のように聞こえた。私はどうやって話を切り出すかだけでなく、どうやってカズ君を慰めようかといろいろ考えていた。号泣になっても、興奮して問い詰められても、なんとか頑張るつもりでいた。慰めるために体が必要なら、気の済むまで弄んでくれても良かった。
それが一言しかなかった。カズ君は知っていたのだろうか。それはあり得ない。病院の方は歯を食い縛ってユッキーの要望を守っていたから。でもカズ君はまるで知っていたかのように振る舞った。私も情けない。あれだけユッキーに頼まれていたのになんの相談相手にもなれなかった。出ていくカズ君の後姿を見送るしかできなかった。
「どうされたんですか」
マスターが声をかけてくれた。なんだかちょっとだけホッとした。カズ君を呼び出してから、ずっと張りつめきっていた緊張感がやっと少しだけ解けた感じ。
「カズ君っていうか、山本先生で通じるかな。その一番大事な人が亡くなったんだ」
「えっ、どなたですか」
「覚えてるかなぁ、前に私と一緒に来てた人」
「あの方ですか・・・綺麗な人でしたね」
でもマスターは知らない、マスターが知っているのは氷姫。菩薩になったユッキーは知らないんだ。可愛いユッキーを知らないんだ。
「ふふ、冷たそうな人だったでしょう」
「え、ええ」
「氷姫って呼ばれてたのよ」
「なるほど・・・これは失礼しました」
「それがね、私が見ても驚くほど可愛くなってたの」
「そうなんですか」
マスターがあれこれ想像しているのはわかるが、氷姫から可愛いユッキーを思い浮かべるのは不可能だ。あれは見た者にしか信じられない奇跡。私は実際に会ったからわかるけど、話で聞いても信じることは出来なかっただろう。
そっか、カズ君は菩薩になった可愛いユッキーと会ってたんだ。それも恋人として会ってたんだ。あんな短い時間しか会っていない私でも影響があったのだから、カズ君への影響はもっともっと強いはず。だから私が話さなくてもユッキーの死はわかってしまったのかもしれない。
「おっ、シオリやんか」
肩を叩かれて振り返ると坂元がいた。一応、昔の恋人。どうやら会社の同僚と来ているようだ。適当にあしらってやったが、思うともなくカズ君と較べている自分がいた。坂元はイケメンで一流大学から一流会社に進んだ典型的なエリート。頭も切れる。出世も順調そうだ。
まともに較べたら、カズ君が医者になった点を除いてすべて坂元に軍配が上がる。でも私はそう思わない。坂元はしょせんそれだけの男。坂元は本当の苦しみから産まれる優しさを知らない。常に陽の当たるところを歩いただけの男。私にはわかる、
「シオリ、まだ独身やろ。オレもやねん。また付き合わへん」
多くの女がこれで落ちたんだろう。だが坂元の本質は食い散らかすだけ。女を幸せにする事などない。ただ自分だけがある。そんな男。
そういえば思い出した。坂元が事もあろうに氷姫に手を出そうとしたことを。それも落ちるか、落ちないかの賭けだけの対象として。自信満々の坂元だったが結果は無残だった。氷姫の不機嫌そうな目に震え上がって退散するしかなかった。
ひょっとしてユッキーにはあの時から見えていたのかもしれない。坂元の本質のすべてを。それに比べると付き合ってようやくわかった私はユッキーには遥かに及ばない。
そうだユッキーには最初からカズ君が見えてたんだ、そのすべてが。私が二年かかって、いやもっともっとかかって、やっとわかったカズ君を最初から見えてたんだ。
「私はイイ男が欲しいの、それも世界一のね。それも見つけた、アンタじゃない」
そう言うと坂元はスゴスゴと同僚の下に戻っていった。そこがあんたにお似合いの席よ、私の隣はアンタじゃないんだ。
ユッキーの謎めいた最後の言葉が頭を巡る。私なんだろうか、違うんだろうか。いや、それ以前にカズ君が再び恋などするのだろうか。あえて会いたくてたまらなかったはずのカズ君を遠ざけ、私にあんな言葉を残したユッキーには何が見えてたんだろう。そして私の役目とはなんなのだろう。
ユッキーの最後の言葉が本当なら、カズ君は立ち直りまた恋をする。その対象の中に私も入ってるのは間違いなさそう。しかしライバルもいる。カズ君が誰を選ぶかはユッキーにも少し見えにくそうだったけど、そこまでは私はとりあえずカズ君に寄り添ってあげたい。
そうよ、誰がカズ君と結ばれるかなんて先過ぎるお話。私に与えられた役目はカズ君を立ち直らせること。私はカズ君に恩がある、あのどん底の苦しい時に助けてもらった恩が。これをやっと返す機会が巡って来たんだ。どんなことをしても立ち直らせてみせる。それだけわかれば今は十分よ。
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