氷姫とシオリ

「カランカラン」


 なかなか良いバーやん。さすがは売れっ子のカメラマンや、良いセンスしてるわ。シックな内装、程よい照明、使い込まれたカウンター、クールなバーテンダー。バーならうるさいウチでも、こんなバーを見落としとったとは。


「山本君の順調な回復と二人の再会を祝して乾杯」


 シオリが頼んだのはジン・フィズ、ウチはジン・トニック。どちらもシンプルなレシピだけにバーテンダーの腕の差が残酷に出るんやが、ここのは一級品や。


「よく来るのか」

「ううん、たまに」


 サプライズでシオリを面会に呼んだんだが、ちょっとやなくて相当驚いた。期待していたのはカズ坊がうろたえる姿だったが、まさかシオリがあれほどの大号泣で取り乱すとは計算外だった。いくらウチでもあれだけ取り乱したシオリを見ているのは無理だった。あの日からシオリはカズ坊の面会に毎日通っているが、今日はウチとゆっくり話がしたいとのこと。


「木村さん。山本君を助けてくれて本当にアリガトウ」

「私は医者よ。病人が来れば治すだけ。特別なことはしていない。シオリが写真を撮るのと同じ」

「でも木村さんの力がなかったら危なかったって看護師さんが言うてたよ」

「ちょっと重症やったから、手間がかかっただけ」

「それだけ?」

「他にはない」


 まあ、大変やったんは確かやけど他人に自慢するようなことやない。医者としてごく普通のお仕事。カズ坊やから張り切ったのは他人に言うものではない。


「それよりシオリに驚いた」

「泣いちゃったこと?」

「シオリが泣くとは思わなかった」

「そりゃ、泣くよ。山本君が助かったんやから」


 どうにもカズ坊とシオリの接点がよく判らないのが気になるのだが、良い機会やちょっと聞いてみるか。


「どうしてあそこまで泣いた」

「だって小学校からの友だちやん」

「それだけか?」

「それだけよ」


 シオリの言葉がウソなのはすぐわかる。あの時、病室から居たたまれずに出ていったのはそうだが、少しだけドア越しにシオリの声を聞いていたんだ。たしか『一生私が面倒見るから』って叫んでた。立ち聞きは悪いと思ったが、嫌でも聞こえた。


「ウソだな」

「ウソじゃないよ」

「では、なぜカズ坊の面倒を一生見るって言った」

「聞いてたんだ」

「聞こえただけ、あの大声だからだ」


 さて追い詰めたから白状してもらおう。


「うふふふ、氷姫」

「なに」

「笑わん姫君」

「なにがいいたい」

「氷の女帝」


 あちゃ、氷の女帝も聞いてたのか。看護師の誰かがばらしたな。そうなると他も、


「聞いたわよ」

「なにを」

「ユッキーと呼べるのはカズ坊だけ、カズ坊と呼べるのはこのユッキー様だけ」

「ちょっと待て」

「氷の女帝がユッキー・カズ坊時代に戻っていたって」

「それは弱っている患者を元気づけるために・・・」

「じゃ『私の命と引き換えに』は」


 シオリめ謀ったな。看護師連中も口が軽すぎる。〆とかなアカン。これは立派な医療情報だぞ。


「好きだったんだね、木村さん」

「ただの友達」

「ただの友達に不眠不休で一週間?」

「それは重症だったから仕方なく」

「外来も他の受持ち患者も全部放り出して?」


 全部リサーチ済か。まあ隠しようの無い醜態であったのは確かだ。


「席替えのカラクリも知ってるんだ」

「あれにカラクリはない」

「うまくやったと思ってるかもしれないけど、ああ何度も使えば誰でもわかるよ」


 あの頃の席替えは毎月やっていた。やり方は単純で廊下側の方から順番に番号を振って、くじ引きで席を変わる方式だった。前日にくじ引きをして翌日に入れ替わる手順だったのだが、一部の生徒が仲良しグループを固めるためにクジの交換をやった。これがちょっとやり過ぎの部分があって、不満が出ることになった。

 そこで委員長だったウチは一計を案じた。前日にクジを引くところまで同じだったが、翌日の席は乱数で割り振った表を翌朝に張り出し、私が監視しながら着席するようにさせた。


「あれに不正はない」

「そうかしら。じゃ、どうしていつもいつも木村さんと山本君はセットだったの」

「あれは偶然」

「偶然が十回以上も続く」

「続いただけ。あの乱数が作為によるものでないのは数学の先生も認めた」

「確かに乱数に作為はなかったけど、木村さん、あなたは作為を加えていたのよ」

「どうやって」

「あなたは前日のくじ引き段階で山本君の番号を確認していたの」

「番号に意味はない」

「それがあったのよ。木村さんは、自分と山本君がセットになるような組み合わせを探し出して席順にしていたのよ」


 バレてたか。シオリのいうように偶然があれほど続くことは数学的確率からもありえないからな。


「でも誰からも不満は出なかった」

「そりゃ、ユッキー・カズ坊の夫婦漫才を聞きたかったから」

「夫婦漫才は・・・シオリ、この辺で堪忍してえな」

「やっとユッキーになったわ」

「こら、ユッキーと呼べるのは」

「カズ坊だけね」


 夫婦漫才というか、漫才をカズ坊とやったのはキャンプのスタンツだった。あの時になにをやるかでもめたんだが、議論が変な方向に飛んで私とカズ坊が漫才をやる羽目になってしまった。当時のウチは氷姫だったので困惑したのだが、委員長として決定に逆らう訳にはいかなかった。

 台本を書いたのはカズ坊。芸名を考えたのもカズ坊。ユッキーのキャラは凄く恥しかったが、カズ坊と一緒にやれる方の喜びが勝り、短い間だったけど一生懸命練習した。本番はあの氷姫がって意外性と、カズ坊の台本が良かったのもあって大爆笑。以来、二人は普段でもユッキー、カズ坊と呼び合うようになった。ちょっと嬉しかった。

 もちろん他の人にユッキーと呼ばれるのは恥しかったので、呼ばれるたびに漫才の調子で


『ユッキーと呼べるのはカズ坊だけ、カズ坊と呼べるのはこのユッキー様だけ』


 こう言ってた。まあユッキーは女王様キャラが相当は入っていたから。そのうちにユッキーもカズ坊も二人だけの呼び名になった。


「でも、あの氷姫が山本君に、こんなにお熱だったなんて驚かされたわ」


 そうウチは氷姫。ニコリともしない優等生。今じゃ氷の女帝なんて呼ばれてるけど、これが本来のウチのはず。氷姫は色恋には無縁の笑わん姫君、すべての男を遠ざける冷たい女。カズ坊さえいなければ、きっとずっとそうだったはず。

 氷に閉ざされたウチを救い出したのがカズ坊。ウチを氷の世界から陽の当たる世界に連れ出してくれた白馬の王子様。ウチがユッキー様になる時、恋する女に変わる。だがユッキー様に変われるのはカズ坊の前だけ、この世で愛せる男はカズ坊だけ。

 カズ坊のためならなんでも出来る。漫才だって、席替えの細工でも。カズ坊がユッキー様として振る舞って欲しいなら、いつでもユッキー様になれる。他人の目なんか気にもならない。命だって惜しくはない。カズ坊に必要ならいつでも捧げる。カズ坊こそウチのすべて、生涯でたった一人だけウチに与えられた男。


「悪いか?」

「悪くないよ。実は私もそうなんだ」


 にわかには信じられなかった。シオリこそは太陽、翳りなく輝く女神。どんな男でも振り向かざるを得ないイイ女。男だけじゃなく女だって憧れる。それぐらいはウチでもわかる。わざわざカズ坊を選ぶ必要なんてないはずなのに。でもあれだけ泣いたのは事実だ。シオリの言葉に嘘はないと判断せざるを得ない。


「坂元は?」

「キャプテンね」


 坂元はサッカー部のキャプテンで学校のヒーローでありアイドル的な存在。ウチはまったく興味がなかったが、シオリも追っかけしてたはず。


「好きでなかったといえばウソになるけど、どちらかと言うと被写体。絵になるやん」

「それだけか?」

「付き合ってたよ。でもね」

「でも?」

「振った。もっとイイ男が欲しかった。坂元君じゃなにか足りないの」

「坂元では不足だったのか」

「だって私は女神様」

「そうかもな」


 坂元には興味がないが、この話を他の女が聞いたら嫉妬ぐらいするのはわかる。もっともシオリが振ったのなら納得するかもしれん。


「坂元はどうした」

「天使に乗り換えたけど、振られたみたい」

「コトリか?」

「そう」


 あの頃、男子で人気を二分していたのが女神様ことシオリと、天使ことコトリ。女神と天使を渡り歩いたってことか。それはウチにとってどうでも良い話。ウチが知りたいのはシオリとカズ坊のこと。


「なんでカズ坊が良いのだ」

「命の恩人。今の私があるのはすべて山本君のお蔭」


 なにがあったんだ。でもまあ良い。お節介焼きのカズ坊がなにかやったんだろう。それだけで十分だし、これ以上は聞きたくもない。


「でもさ、木村さんも人気あったんだよ」

「冗談。誰が氷姫を」

「そこがクールで良いんだって」

「からかうな」

「ゴメン。氷姫の時はさすがにだったけど、ユッキーの人気はなかなかやった」

「それこそ、からかうな。それとユッキーと呼んで良いのは」

「カズ坊だけ」


 木村さんは相変わらずだなぁ。今でもバリバリの氷姫だよ。職場で氷の女帝と呼ばれてるのがよくわかるわ。こんなクールな木村さんがカズ君の前ではユッキー様になっちゃうんだ。どうしてもそれが信じられない。

 今でもそうだの話を聞いた時はちょっと信じられなかった。でも毎日病室で掛け合い漫才やってるって言うんだから本当だろう。さすがに私が面会に来ている時はやってくれなかったけど、あの漫才、毎日学校でやってたんだもんね。

 それでいて、カズ君以外の時は氷姫。うっかりユッキー様扱いしたら、あの冷たい目でジロリってやられるんだ。あの目は相手の心を震え上がらせ凍らせてしまう怖い、怖い目。

 でも氷姫の目が変わる時も知っているよ。それはユッキー様やってるとき。あれ以上、楽しそうな目を見るのは不可能じゃないかなぁ、まさしく恋する女の目だったよ。

 好きだったんだろうな、それも半端なく。いや今だってそうに違いない。高校の時でも相当だったけど、あれから何年経ってるんよ。お互いアラサー越えちゃったやん。あんな立派な病院の部長になって、みんなから氷の女帝と畏怖されてるんだよ。それでもカズ君がいれば躊躇なくユッキー様になれるんだ。

 カズ君がみいちゃんを好きだったのは間違いないけど、木村さんはどうだったんだろう。木村さんがカズ君を好きだったのは良いとして、カズ君はどうだったんだろう。ホントにただの友達だったんだろうか。あの頃の二人の関係は奇妙だったわ。

 どこに行くにも、何をするにも二人は常に一緒だった。そういうと、堂々と手でも組んでいたように思われちゃうけどちょっと違うの。

 たしかに二人が口を開けばユッキー・カズ坊だったけど、木村さんはカズ君の後をそっとついていく感じだった。ふと見ると端っこに必ず木村さんがいるような。影のようにカズ君の後ろをいつも見守ってた気がする。

 それでいてカズ君に何かあった時には、ユッキー様の憎まれ口を叩きながらサッと助けちゃうの。そうだそうだ、木村さんのユッキー様は毎日じゃなかったはず。木村さんがユッキー様になるのはカズ君が困った時、弱った時だけなんだ。それ以外はそっと付いていくだけ。カズ君を助けるために木村さんはユッキー様になってたんだ。

 だから私が面会の時にはユッキー様にはならないんだ。私がいるから十分って事なんだろう。逆に入院してからずっとユッキー様だったのは、弱っているカズ君をなんとか励ますためだったんだ。

 なんて恋なんだろう。どうしてそこまで人に尽くせるの。私を呼んだのも、木村さんだけじゃカズ君を励ましきれないって思ったからに違いない。せっかく二人の時間が過ごせててるのに、自分じゃなくてカズ君のためだけに私を呼んだんだ。

 カズ君がみいちゃんを好きになった時もそうだったのかもしれない。自分じゃ喜んでくれないなら、みいちゃんを認めちゃったんだ。どんなにユッキー様で頑張っても振り向いてくれないから、カズ君のために身を退いたんだ。

 カズ君は気が付かなかったのかな。あれだけ周囲に心配りが出来る人が気付かなかったのが不思議だ。それだけ、みいちゃんしか見えてなかったとしか言えないか。それは仕方がないかもしれないけど、カズ君があの頃にもうちょっと見えていたら変わっていたかもしれない。


「木村さん、今でもでしょ?」

「何が」

「山本君」


 シオリの奴は何を私に言わせたいんだ。聞いてどうするつもりなんだ。


「はっきり、言っておくけど、始まってもないから終りも今もない。それだけだ」

「どうして始めなかったの?」

「始めなかったんじゃなくて、始まらなかっただけのお話」

「今からでも始められるじゃない」


 シオリが聞きたいのはそこか、


「始めたきゃ、シオリが始めれば良いだろう」

「私はもう始めて、終わっちゃったの」

「もう一回だって始められるでしょ、あんたなら」

「もう無理。まだ始めていない木村さんなら出来るかも」


 シオリはなにが言いたいんだ。妙な気分にさせられる。面倒だから釘を刺しとくか、


「私は始める事さえ出来なかった女だよ。あの時でも無理なものが、今から始めれる訳がない。それだけ」

「ホントにそれでイイの」


 こらシオリ、泣くな。本当に泣き虫なんだから。


「だって悲しすぎるやん。山本君が困った時だけユッキー様で現れて、済んだら去っていくなんて。退院したら山本君いなくなっちゃうよ。二度と帰ってこないかもしれないよ。ホントにそれでイイの」

「患者は良くなれば退院するだけ。それに病院なんて帰ってくるところじゃない」

「そういう意味じゃないよ・・・」

「どうしても言わせたいのか。聞いてどうするつもりだ」


 やっとシオリは納得してくれたか、手間のかかる女だ。理と情を女はゴッチャにするから困る。でもこれでやっとウチに手番が回ってきた。これを聞いとかないと今夜ここに来た意味がない。


「ところでシオリ。あの電話は悪いけどあんたを呼び出すためのものじゃなかった」

「あれっ、違ったの」

「ちょっと計算違いがあった。まあ結果オーライでもあるのだが」

「本当の目的は?」

「カズ坊には恋人はいないのか。アイツには家族がいないから、こういう時に恋人がいて励ましてくれたら効果的なんだ」

「効果的って・・・木村さん本気で言ってるの」


 当たり前じゃないか。ウチは医者だぞ、患者の治療に効果があるならあらゆる手段を講じるんだ。とくにあのカズ坊のためなら全力でな。


「幸いカズ坊は古い友達だからある程度は代役が出来るのだが、最後のところがな。シオリがそうだったら話は済んでだんだけど、どうも違うようだし」


 どうして木村さんっていつもそうなの。どうしてそこまで冷たい計算が出来るの。他の患者じゃないよ。木村さんが、いやユッキーが大切に大切に想い続けているカズ坊やないの。卒業してから最大のチャンスが回って来たんじゃない。どうして自分がそうならないのよ。このコチコチの氷姫が。

 教えたくない。教えたら木村さんは間違いなく連絡を取るし、取ればコトリちゃんは必ず来る。来れば誤解が解けて二人は元通り。そうさせたくて動いていたかもしれないけど、それが正解なんだろうか。どっか違う気がする。


「ゴメン 知らない。今はいないんじゃないかなぁ」

「そうか、知らないのか。それは仕方がない。もうちょっとユッキー様で頑張ってみるか」

「それが絶対イイよ。山本君も一番喜ぶと思うよ。私も出来るだけ時間を作ってお見舞いに来るから」

「そうしてくれたら助かる。なにしろ女神だから効果はあると思う」

「もう女神はやめてよ」


 好きな人にこれだけ尽くせる人がこの世にいるんだ。それも報われないのを百も承知で。たとえ結ばれなくとも、入院している間はカズ坊はユッキーのものよ。この時間を誰であれ邪魔しちゃいけないんだ。私であれ、コトリちゃんであれ、誰であっても。私はそうすることに決めた。

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