シオリ先生

「先生、スタンバイできました」


 シオリ先生は凄いよな。先生の写真は独特のアングルと光の取り入れ方に特徴があるんだけど、光の使い方がとくに凄いんだ。あれだけは誰にも真似できないんだ。写真雑誌に『光の魔術師』なんて書かれたことがあるけど、あれってホントにマジックだと思う。

 どういえばいいのかな。シオリ先生みたいな写真は本来は偶然の一枚みたいなもののはずなんだ。誰でも何千枚、何万枚も撮ればタマタマ写ることがあるってやつ。それを『いつも』撮れるのが凄いんだ。シオリ先生が凄いのはそれだけじゃなく、それを自在にコントロールしているのが信じられない。

 だって撮影条件が屋外、屋内、昼、夜って変わってもまったく苦にしないんだ。前に半分遊びで動画を撮られていたけど、あれみてみんな仰天したんだよ。だってサッと一回撮っただけだよ。なのに映像の中ではあの光が自由自在に操られてるんだ。

 誰もがシオリ先生のテクニックを盗もうと必死だけど、シオリ先生は実に無造作に撮るんだ。他の先生なら光の加減のセッティングに神経質になるのが普通だけど、シオリ先生は与えられた光で自由自在に撮れちゃうんだ。

 だから売れっ子。いやもう大家の仲間入りしていると思ってる。それでいて気さくなんだよなぁ。オレみたいな下っ端にも本当に気を使ってくれる。そのうえに目もくらむような美人なんだ。オレも含めてシオリ先生に弟子入りした連中は、先生の技術を少しでも盗もうと思ってるのはもちろんだけど、みんな先生に恋しちゃうんだ。これは男だけでなく女だって憧れちゃうんだよ。

 絶対もてるはずなのに、ホントに男の噂が立たないのが業界の七不思議の一つと言われてる。一説では男嫌いじゃないかと言われてるけど、そんなことはないのは知ってるんだ。

 シオリ先生はよく飲んだり、食べたりに連れて行ってくれるんだ。信じられないけど先生の修業時代に食べるのも困った時期があったらしく、口癖のように


「私の弟子は太らせるのが趣味なの」


 こう言って笑わせてくれる。お酒も強くてどんなに飲んでも崩れることはないのですが、一度だけ違った先生を見たことがあるんだ。

 あの日は朝から先生のテンションがおかしかった。いつもなら冗談飛ばしながら、ハイテンションで撮影を進めていくのに、どうにも乗りが悪い感じなんだ。それでもなんとかその日の仕事が終わり、いつもなら


「終わった終わった、さあ飲みにいくぞ」


 てなノリになるのですが、あの日は


「今日は疲れたから、帰って寝たい」


 体調でも悪いんだとみんな思いましたし、オレもそう思いました。あの日はオレはちょっと居残りの仕事があったんだけど、ひょいと通りがかった先生に、


「ちょっと付き合って」

「でも、疲れてるんじゃないですか」

「私とサシで飲むのは嫌なんだ」


 かなりどころでないぐらい舞い上がったのは白状しておきます。そりゃシオリ先生とサシで飲めるなんて夢みたいなものだからです。ドキドキしながらついていくと、いつもと全然違う店に行きます。そこでの先生はいつもの先生とは違います。どういえば良いのかなぁ、いつも以上にイイ女なんです。一緒に仕事しているオレが息苦しくなるぐらいです。


「・・・私ってさぁ、綺麗なんかなぁ」

「そりゃ、ムチャクチャ綺麗ですよ」

「でも、もっともっと綺麗になりたかった。悔しいの、どうしたってアイツは振り向いてくれないの」


 先生の不調の原因はどうやら失恋だったようです。しかし驚きました。先生に好きな男がいただけでなく、先生を振る男がいるなんてです。


「どんな相手なんですか」

「世界一イイ男」


 そりゃシオリ先生の相手ですからイイ男に決まってるのですが、


「先生の師匠とかですか?」


 ありきたりの相手を思い浮かべましたが、シオリ先生の師匠の話って聞いたことがありません。


「私の師匠? あれは最低の男だったよ。私を襲おうとしたから逃げ出したのよ。あんな奴は師匠でもなんでもない人間のクズよ」

「じゃ、誰ですか」


 シオリ先生は遠くを見つめる目をしていました。


「私の写真どう思う」

「そりゃ、凄いですよ。あんな写真は誰にも撮れません」

「あの写真を見つけ出して教えてくれた大恩人なの」

「有名な写真家ですか?」

「へたっぴのド素人」


 オレの頭の中には『?』が渦巻くだけでした。


「あれはね、私の失敗作だったの」

「どういう意味ですか」

「あるものを撮ろうとおもったら、変な光線が入っちゃったの。それをアイツが『おもしろい』っていうんだよ」


 これは先生の光のマジックの秘密を聞けるチャンスです。


「そのあるものには不適当な光だけど、他のものに使うと凄い効果的なことがわかったの。アイツが調べ出したんやけど、ある条件になればそうなるんだよ」

「それはどういう時ですか」

「こればっかりは口では説明できないの。条件と言っても単純なもんじゃないからね」

「そりゃそうでしょうが」

「そうねぇ、たとえれば二階から糸を垂らして、風の吹く中を針の穴を通すようなものだから」


 そんなに難しいんだ。そりゃ、そうだろな、簡単なら誰でも撮れちゃうもんな。


「当時の私はね、スランプのどん底で写真を撮る気力さえ失ってたの。それでもアイツは私がフォトグラファーとして成功するって信じてくれていたの。だからその条件を探し出してくれたのだけど、二か月ぐらい頑張ってもどうしてもモノにできなかったの」


 いつも自信満々のシオリ先生でもそんな時期があったんだ。


「そしたらね、アイツがこう撮るっていうんだよ」

「まさか、その方は撮れたんですか」

「そうなのよ、構図とかは素人丸出しなんだけど、あの光の写真が撮れてるの」


 ぎょえぇぇ、これこそ驚いた。シオリ先生のあの光の魔術を操れる人間がもう一人いたなんて。


「そりゃ、驚いたわよ。アイツは私がそのテクニックをどうしてもモノに出来ないのを見て、自分で撮ってみせてくれたのよ」

「そんな凄い人なんですか・・・いや、素人っていってましたよね」

「そうド素人。だけど私のためだけに、あのクソ忙しい時期に手間と時間をかけてコツコツと研究してくれてたんだ」

「クソ忙しい時期って、お仕事が忙しかったんですか。それにしてもあの光が撮れるならプロになったら良かったのに」

「アイツは医学生だったの。自分の勉強でも手いっぱいのはずなのに、さして興味がない写真を、ただ私を助けるためにわざわざ調べてやってくれたのよ」

「でもそんな簡単に出来るものなのですか?」

「アイツがね、えらく苦労して本を読んでたの。私は医学書と思ってたんだけど、いつもならパラパラっと読むのに、辞書を何回も引きながら悪戦苦闘って感じなの。それでね、アイツのいない時に見てみると・・・アンタさぁ、ケルンの赤本って聞いたことある」

「赤本って、まさかアレですか」


 オレも話には聞いたことがあります。ちゃちいトリック撮影の解説書なんですが、巻末の方にトリックじゃない信じられないような高等テクニックが書かれているそうです。これがどうも著者とは別人が書いたとされています。

 というのも文章が全然違うそうで、一説には製本時の混入じゃないかとされています。ただそのテクニックのいくつかは実現不可能の烙印が押されています。だったら偽書かといえばそうでもなく、ある有名な研究家が実現可能としたものが出てきて評価が変わりました。

 この本は日本語訳どころか英語訳もなくドイツ語原文しかないのですが、とりあえず書いてある理論は超が付く難解さだそうです。これにさらにがあって、ネイティブが読んでも『文章が下手過ぎて何が書いてあるかわからない』代物でもあるそうです。

 いわゆる奇書なんですが、とにかく難解で日本のカメラマンでも実際に読んだ者は殆どいないんじゃないかと思います。それでも、もしかすると光の魔術のヒントがそこにあった可能性だけはあります。ただ英語も相当怪しいオレでは理解するのはもちろん読むのも絶対無理な本です。

 気のせいか先生の目に涙が、


「で、どうなったんですか」

「素人のアイツが撮れるのにプロの私が撮れないって悔しいでしょ」

「そりゃ」

「死に物狂いで頑張ったわよ」

「撮れるようになったのですか」

「それでも撮れないのよ。あれはね、微妙過ぎる条件を状況に合わせていかないと撮れないの。そこまではなんとかわかったんだけど、それに合わせようと追っかけると、つかまえたと思った瞬間に逃げちゃうの」

「それで」

「そしたらね、アイツが言うのよ、追うんじゃなくて、呼び込むんだって」

「呼び込む?」

「そうなの、そこを会得するまで半年はかかったかな。これだってアイツが先にお手本示してくれていたから出来たようなもので、そうじゃなきゃ絶対挫折してた」


 あっ、シオリ先生が涙を流してる。


「私はね、アイツの見つけたテクニックを身に付けようと必死だったの。これを身に付ければ写真で食っていけるんじゃないかって」

「そして身につけられた」

「そこからはトントン拍子よ。あなたもテクニックの秘密を知りたいと思ってるだろうけど、こればっかりは教えられないの。教えるのがとっても難しいのもあるけど、アイツの見つけたテクニックだから私のものじゃないの」

「そうなんですね」

「でもアンタには今夜付き合ってくれたから特別にヒントを教えてあげたよ」

「えっ」

「アイツにだって出来たんだから、アンタにもできるよ、それがヒント。技術を盗んで自分の物にするってそういうこと。それとアンタもこれからプロとして食べていきたいのなら、自分のプラスアルファを見つけるのよ。それが成功する秘訣、他人の真似だけじゃ、この業界は食っていけないよ」


 そりゃ、理屈でいえば先生のお手本があるのですから、オレにも出来るはずです。でもこれだけ聞いてもオレ程度ではヒントにすらなりません。テクニックの秘密は仕方がないとしてその彼氏はやはり気になります。


「付き合ってたんですか?」


 シオリ先生は本当に遠い遠い目をしていました。どこかに行ってしまいそうな本当に遠い目です。


「振られたのよ、それもあっさりとね」

「先生を振る男なんてこの世にいるんですか」

「そんな大げさな、でも本当のところアイツだけ」

「そんなにもてる男だったんですか」

「アイツが? 冗談でしょ、ブサイクとまで言わないけど中の下ってところかな。単なる愚図のお人よしだよ」


 そこからは何を聞いても答えてくれませんでした。翌日からはいつものシオリ先生に戻り、二度と見ることはありませんでしたが、あの夜のシオリ先生は、恋する女だったんだと思い返しています。もともと飛び切りの美人なんですが、あの夜はさらに別人、いや美の化身のようでした。あんな綺麗な先生を見たのはあれきりです。たぶん一生忘れないと思います。

 それと一つだけわかったこと。シオリ先生に男の噂が立たないのは、先生の中にはその人がいるからだってことです。その人がいる限り、どんな男でも眼中に入る余地など、どこにもないと。そして先生の心の中にはとびきりの物凄いイイ男が永遠に住み続けるんだろうって。

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