第4話

 八畳一間、ユニットバスと小さな簡易キッチンが玄関を入ってすぐの通路の両脇にあり、その先すぐに部屋がある、何の変哲もない、よく学生の一人暮らしにあるようなタイプの部屋だ。


 部屋の壁の一面には本棚、窓際にベッド、机の上には書き散らかした設計図面、床には工具や資料が散乱し足の踏み場もない。


「あの……ごめんね、こんな部屋で。やっぱり僕は応接で寝るから、汚い部屋だけど、一人でゆっくり……」


 慧也けいやが言い終える間もなく、明日香はひとりずかずかと部屋にあがりこみ、ベッドの上に自分のカバンを置き、中から小さな袋を一つ取り出すと、特に断りもなくバスルームへと向かう。


「少し汗をかきましたので、シャワーをお借りしますね」


 にこりともせず慧也の眼の前を通り、ユニットバスへと消えた。しばらくするとシャワーが解き放たれる音がする。


 あまりの展開に慧也の持つ常識的意識がついていけない。しかし、ただ一つ、今このすりガラス一枚の向こうで美少女がシャワーを浴びているという事実だけが、無意識的に慧也を動かしていた。


 女の子の扱いがわからない=女の子に興味がない、というわけではない。これだけでも、女性耐性のない慧也には充分に興奮をもよおすシーンだった。


 しかし、ミッション、抹殺、そして、目の前で繰り広げられた戦闘、どれをとっても今目の前で起こっているシャワーシーンにつながらない。


 何かがおかしい。これはきっと夢だ。夢と自覚してみる夢もあるというじゃないか。きっとそうだ。自分がこの扉を開けようとすると、そこで目が覚めるんだ。


 慧也はそう自分に言い聞かせた。そしてこれは悪夢なのかどうか、冷静に考えた。


 抹殺と言う単語は悪夢だ。だが、このシャワーシーンは出来ればこのまま続いてほしい。


 ああもう、夢なら抹殺でもいいから、もうしばらくこの至福の時間を伸ばしておこうか、等々。どんどん夢と現実の区別がわからなくなっていた。


 思考遊戯をしているうちに、いつしか小一時間が過ぎていた。シャワーの音が止まる。慧也は慌てて扉から体を離す。


 しばらく扉の向こうでガサゴソしていたが、やがて少女は扉を開けた。慧也の期待に反してバスタオルで完全防備してはいたが、それでもタオル一枚だけの湯上り少女の火照った肌と、ほのかなシャンプーの香りは刺激的だ。


「タオル、勝手にお借りしました。すぐにお使いになるのであれば、外しますが」


 長い三つ編みだった髪の毛をほどき、メガネを外した彼女は、さっきまでとは随分受ける印象が異なった。長く美しい碧の黒髪は、腰の付け根辺りできれいにそろっており、大きな瞳はより一層愁いを帯びた光を持っている。見かけ年齢に相応しくないほどのある種の妖艶さまで醸し出していた。


「い、いや、替えのタオルあるからいいよ。じゃ、じゃあ、ぼくもシャワー浴びるから、ご、ごゆっくり!」


 わたわたと着替えやタオルを発掘し、そそくさとバスルームに飛び込む慧也。それを一瞥すると、明日香はタオルを外した。他者がその肢体を見ることがあったとしても、その一部が機械であると誰が見破れるだろうか。


 彼女はミッションのさなかには場違いとも思えるかわいいパジャマに着替え、ため息とも深呼吸とも取れるような大きな吐息を一つして、早々に布団にもぐりこんでしまうのだった。




 約二〇分後、慧也がカラスの行水ともいえるシャワーを終えて部屋に戻った時には、明日香は既に寝息を立てていた。本当に人類の存亡を賭けたミッション途上の一コマとは思えない。


 さして広くないベッドの上で、少女は薄い布団にくるまって寝ていた。その隣には、慧也が寝るスペースらしきものが、きちんと空いている。


 その寝顔は、起きているときの彼女とはかけ離れた、あどけなく幼い寝顔。だが、彼女は一六歳だと言った。四年前に改造を受けたとも言った。まだ聞きたいことの一割も聞けていない。


 しばし、机の前にある簡素な事務椅子に座り、考える。昨日まで平穏な日々を過ごし、今日になって突然命を狙われる、と言われても現実感に乏しかった。


 しかし、実際に物理的破壊を伴う襲撃がやってきた。


それは、彼にとって自分の職務との関わりを考えさせる。


 慧也は早くから天性の技術開発に関する素養を見せていたことで大学卒業と同時にサムダに抜擢され、主に対フェデラー用の兵器開発をするこの研究所に所属した。そして、ただひたすら研究開発に没頭する日々を過ごしてきた。それは慧也にとって、ある意味至福の時間だった。


 しかし、慧也は兵器の機能美が好きなのであって、戦いを好んでいるわけではない。


 自分の開発したものが戦闘に使用され、あまつさえ人の命を奪うかもしれない。それは漠然と理解していたが、現実感を持ってそれを考えることはなかった。


そして、今日の実際の戦闘で、自分は何が出来たか。


「何もできなかったよな……」


 天才と呼ばれても、それは万能を意味しない。兵器開発にのみ突出した慧也の能力は、その他の部分で言えば凡人に劣るものさえあった。


 生来気の強い方ではない。争い事や喧嘩もからっきしで、早くに研究生活に入ってしまったため、コミュニケーション能力も高いとは言えない。


天才とは、その裏に凡才以下の部分を併せ持つ者だった。


 薄暗く照明を落とした部屋の中で、慧也はベッドで眠る明日香を見る。


 今までに会ったことのないような美少女。だが、その性質はどことなく暗く、形式的だ。しかし、慧也はそれが彼女の本質ではないような気がした。


 机に備え付けの読書灯をつけ、ルールブックを開く。そして、メガネのレンズを磨いて掛け直した。今自分の手の中にあるのはこれが全てだ。読もう。隅から隅まで。

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