第3話 魔王討伐へ

 リンゴンと鐘の音が響き、民たちが歓声を上げる中。魔王討伐の任を受けた私たちは、城から厳かに出発した。


 とはいっても、打ち鳴らされる巨大な鐘も、見送りをする国民たちも私には見えない。なぜなら、お父様が用意した馬車に乗ってるから。


 魔王討伐の旅、舐めているのかしら?


 さすがに馬車に乗るのは王女である私のみだけれど、一応敵地に向かうというのにこんな豪華な馬車、的にしてくれと言っているようなものじゃない?


 私は外から見えないことをいいことに、盛大に足を崩して頬杖をついていた。旅に出るというのに、私だけ豪華なドレスというのもおかしいでしょう。後で動きやすい服に着替えないと。


 窓をコンコンとノックされて、私は慌てて居住まいを正した。



「はい、なんでしょうか」


「失礼いたします」



 断りを入れて小さな窓を開けたのは、国王命令で勇者一行に加わったカリオだったわ。彼は幼い頃から私の遊び相手を務めていて、大きくなってからは騎士としてずっと傍についている。お父様としては、私の守りを少しでも増やしたいのでしょう。



「姫様、どうぞ民にお姿を。彼らに祝福をお与えください」



 私には祝福を与える力なんてないのに、という言葉はまるっと飲み込んで、私は微笑みを浮かべて頷いた。



「ええ、分かりましたわ」



 反対側の窓も開けて、均等に手を振って見せた。それだけで歓声が大きくなる。彼らにとって私は、魔族をこの世から滅ぼしてくれる救世主だ。



「聖女様ー!」


「呪われた夫をお助けください!」


「どうか我が子の仇を!」


「聖女様、ばんざい!」



 投げかけられる声を聞きながら愛想を振り撒いていると、窓から勇者が顔を覗かせた。勇者ルシオンは遠慮がちに、馬車の後ろに続く隊列を振り返る。



「あの、姫様。護衛の兵士は国境の手前までしか着いて来ないって、本当ですか?」



 カリオがぎっちりと眉間に皺を作った。いろいろと言いたいことがあるのだろうけれど、民や私がいる手前、ぐっとこらえているのが手に取るように分かるわ。


 カリオに目配せしてから、私はゆったりと頷いた。



「国境を越えて魔族の国に入るのは、わたくしとカリオ、ルシオン様の三人だけですわ。できるだけ魔族に気づかれぬよう、姿を隠して魔王城を目指します」



 だからこんな馬車はいらないというのに、なぜお父様はこんなものを用意したの。というか国境までの護衛だっていらないわ。間者の存在を想定してないの?


 それに、リダールに気づかれないように魔王城を目指すなんて、到底不可能な話。彼は自分の国をすべて魔法で把握しているし、なんなら私の周辺だってしっかり見守ってくれている。


 やっぱりリダールは最高ね!


 私の本心など知る由もないルシオンは、腰から提げた長剣にそっと手を触れた。



「姫様をお守りするのは、僕たち二人だけ、ということですね」



 何やら決意を固めたような顔に、結局我慢しきれなかったカリオが馬車を挟んで言葉を投げる。



「姫様をお守りするのは俺の仕事だ。お前はただ、魔王を殺すことだけ考えろ」



 ものすっごく冷ややかね。それもそうでしょう、カリオは勇者選抜に出たがっていたけれど、お父様は城の騎士が選抜に出ることを許さなかったから。



「それは姫様が直々に、その御身に宿る聖なるお力を込めてくださった聖剣だ。せいぜいその剣に恥じないよう、努めることだな」


「それは、もちろん」


「あと。断りもなく馬車の中を覗くな、無礼にもほどがあるぞ。それから、姫様と馴れ馴れしく呼ぶんじゃない。それは姫様が許可した人間にだけ、許された呼び方だ。殿下とお呼びしろ」



 怒涛のダメ出し。


 うーん、この勇者一行まずいわね。初っ端から内部分裂しかかってるわ。


 カリオが貴族の、それも三男とはいえ公爵家の出身だから、田舎育ちの平民であるルシオンは黙って聞いている。でもその目はすごく不満そうだった。「僕が王女と結婚したらお前なんかクビにしてやる!」って目だわ。


 旅の間、このギスギスした空気が続くの? 嘘でしょう。どうせ魔王城に着いたら私とギスギスすることになるんだから、それまでは表面上だけでも仲良くしてて。



「……はい、分かりました」



 もしや魔王城にも辿り着けないのでは? この編成にしたお父様、やっぱり魔王討伐を舐めてるとしか思えないわ。


 遠い目をする私の思いとは裏腹に、観衆の声援に包まれた隊列は順調に前進していた。






 そもそも、三人だけで突っ込むというこの作戦自体、穴だらけだと思う。本当にこれ将軍が考えたの? いや、「完璧な作戦ですわ!」と褒め称えたのは私だけど。


 一応、何も考えていないわけではないのよ。魔族と人間の攻防は、過去に何度も起きている。大陸中の国が兵士を出して侵攻したこともあったし、和平を結ぼうと使者を出したこともある。


 けれどそのどれもが失敗に終わった。連合軍は魔族の国にすら入れず、使者は魔王城に辿り着く前に呆気なく殺された。


 だから裏をかいて、少人数で潜入して暗殺しようという、その発想は分かるの。そこに大本命を投入する無謀さがおかしいだけで。


 「セレステア殿下がいらっしゃれば、魔族に負けることなどありえない。この聖剣と、それを振るう勇者もいるならば万全だ!」とか宣った将軍、もう七十手前だし、もしかしたらボケているのかも? 私の熱狂的信者だったから正直鬱陶しかったのだけれど、そう考えると少し可哀想なのかもしれないわね。


 などと、馬車の中でつらつら考えていると、がたりとその馬車が止まった。再びノックされ返事をすると、今度は窓ではなく扉が開く。



「姫様、お手を。今日はここで宿を取ります」



 恭しく手を差し出すカリオの肩越しに、見事な夕焼けが見えていた。空を真っ赤に染める太陽をしばし眺めて、私はカリオの手に自らのそれを重ねる。


 馬車を降りると、国境に一番近い村だと分かった。小さな村なのだが、聖女が泊まるための宿泊施設がしっかりと用意されている。


 満面の笑みで私たちを歓迎する村人たちは、王都の住民たちとは比べ物にならないくらいにみすぼらしい服を着ていた。国境近くの村は大抵、貧しい暮らしを余儀なくされている。


 ついてきた兵士は野営でしょう。村の外で火を熾しているのが見える。私はカリオにエスコートされながら、村に似つかわしくない豪華な宿へと足を踏み入れた。


 王城なら、空気の温度を調節したり、お湯をすぐに沸かしたり、そういった便利な魔道具がある。けれどここのような貧しくて小さな村では、村人の稼ぎすべてを集めたって魔道具の一つも買えないわ。普段は使われていない建物の中は、どこかひんやりとしている気がした。


 ここで今晩寝るのは、私とカリオ、ルシオンの三人だけだ。勇者が私と同じ宿を利用することについてもカリオが文句を言っていたけれど、明日には国境を越えるのだからちゃんと休まないといけないと説き伏せた。


 面倒を起こさないでほしい、お願いだから。


 凍り付いたような雰囲気の中で始まった夕食は、実に味気ないものだった。パンが一つずつと、鶏肉がほんの少しだけ入った野菜スープ。ルシオンは不満そうな顔をしていたけれど、私が文句ひとつ言わずに食べているのを見て、黙って食べていたわ。


 おかしな人ね。王城にいる間に食べていた豪華な食事より、こちらの方が身近だったはずでしょうに。王都から離れた村の食事なんて、どこも変わらない。ましてや国境に近い場所は人も少ないし、鬱蒼と茂る森ばかりで畑にできるような土地もない。僅かにある開けた土地だって、土が痩せていて作物は十分に育たない。これがこの村で精一杯のご馳走だということくらい、辺境育ちの勇者なら分かるはずよね?


 あらゆる意味で味のしない夕食を済ませ、ひと際広く作られた部屋に入るなりベッドにぼふりと倒れ込む。今日はリダール、来てくれないのかしら。今はあちらも、魔王討伐の対策で忙しいだろうから、きっと難しいわね。


 この討伐作戦に便乗して、私はリダールの元へ行く。生まれ育った国を捨てて、私を聖女と慕ってくれた人々も裏切って。


 着替えることもせず、普段のようなお手入れをすることもなく、私はゆらゆらと眠りに落ちて行った。

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