魔族殺しの道具だった聖女は、溺愛してくれる魔王と一緒に世界征服いたします!

神野咲音

第1話 愛の誓いを

 広い円形の闘技場に、剣と剣がぶつかり合う金属音が鳴り響く。王族用に設けられたバルコニー式の観覧席で、私は無の境地で眼下の試合を眺めていた。多分、目は死んでると思うわ。


 国王主催の、魔王討伐の任につく勇者を決める選抜試合。今はその決勝戦よ。


 筋骨隆々の大男が、身の丈ほどの大剣を振りかぶる。相対する細身の青年は、素早い身のこなしで闘技場を駆け回り、隙を伺っているみたい。



「どうだ、セレステア。どちらが勝つと思う?」



 隣に座っているお父様が、こちらに身を寄せてきた。



「……わたくしには武芸のことは分かりませんわ」


「そう言うな。勝って勇者に選ばれた方が……」



 お父様が言いかけた時、闘技場に大歓声が響いた。視線を戻せば、大男が倒れ、金髪の青年が高々と剣を掲げていた。


 闘技場に将軍が進み出て、たどたどしく跪いた青年の前に立つ。国民たちが期待の目で見守る中、朗々と響く渋い声。



「選ばれし勇者ルシオンよ。我が王国の王女、セレステア殿下と共に、魔王を倒すのだ。その暁には……」



 私はそっと雲一つない青空を見上げた。たぶん傍からは祈りか何かを捧げているかのように見えるでしょう、大丈夫よ。



「王女殿下との結婚を約束しよう!」


「はっ。必ずや、かの残虐なる魔王を倒して参りましょう!」



 ――この勇者と結婚なんて、絶対に嫌よ!


 なんて今ここで言えるわけもなく、私はひたすら青空を見上げていた。






 セレステア・トゥーリア・パンデリオ。それが私の名前で、このパンデリオ王国の第一王女の名前でもあるわ。


 父親はパンデリオ王国の国王。母親は王妃。誰に何を言われることもない血筋で、私は蝶よ花よとそれはそれは大切に育てられた。手入れの行き届いた艶のある銀の長髪も、透き通るような白い肌も、宝石のように光る赤い瞳も、メイドたちの日々の努力で維持されているものよ。


 その理由は、私の生まれ持った能力にある。


 人間と敵対する魔族。その頂点に立つ魔王を倒すことができる、唯一の存在。それが私。


 常に魔族の脅威に怯えてきたこの王国にとって、私は正真正銘の救世主だったわ。聖女様と崇められ、拝まれ、国内で一番人気の王族は誰かと問われれば、私だと断言できるでしょう。


 そんな私の秘密。誰にも言えない、小さな頃からの秘密は。



「……随分とむくれてるな、セレア」



 寝室のカーテンが夜風に靡く。バルコニーに通じる大きなガラス戸がいつの間にか開いていて、満天の星空を背にした影が立っていた。魔石を取り付けたランプの灯りは小さくて、その人影を照らすことはない。


 きっと他の人が見れば、警戒するか恐怖に悲鳴を上げるのでしょう。ここは聖女のために建てられた搭のてっぺん。誰にも侵入されないように、様々な守りが施された場所よ。普通の人間では立ち入ることなんて不可能。そもそも、こっそりバルコニーから入ってくるなんて、正式な訪問者じゃないわ。


 けれど私は、だだっ広いベッドから飛び降りて闇の中に佇む人影――一人の青年に走り寄った。



「リダール! 今日来てくれるなんて!」



 勢いそのままに飛びつくと、ふわりと抱き留めてくれる。逞しい腕の中は、何よりも安心できる私の居場所。そのまま胸元に頬をすり寄せると、リダールはよしよしと頭を撫でてくれた。



「どうしたんだ?」



 心なしか良い匂いのするリダールを堪能していると、苦笑しつつそっと体を離された。覗き込んでくる彼の顔は、恐ろしい程に整っている。吸い込まれそうになるくらい真っ黒な瞳。同じく黒い髪は少しだけ癖があって、肩よりも長いそれを一つにまとめて、前に流していた。人と魔族は同じ姿をしているけれど、だからこそ、その美しさがよく分かる。精悍な顔つきにうっかり見惚れながらも、私は唇を尖らせた。



「お父様が、魔王討伐の旅に出なさいって」


「とうとうか」



 リダールはくすりと笑って、私の腰を掴んで軽々と抱き上げた。見下ろす形になった彼の鼻を、ちょんとつつく。見た目はただの美青年、十九歳の若者だけれど。



「その魔王様、ここにいるのにね」


「本当にな」



 誰にも言えない秘密、それは、恋人が魔王であるということ。


 聖女である私に恋人がいるというだけでも国を揺るがす一大事だというのに、その相手が魔王だと知られた日には、この王国はどうなってしまうのだろう。ちょっと見てみたいかも。


 魔王リダールは、切れ長の目を優しく綻ばせて私を見つめ、さっきまでゴロゴロしていたベッドに下ろしてくれた。隣に座ったリダールの腕を取り、私はふっと視線を落とす。



「どうして分かり合えないのかしら。魔族も人間も、何も変わらないのに……」


「……セレア」


「これ以上、お父様の言いなりになんて……」



 私を見つめるリダールの目に労りと慈愛の色がある。かつて絶望の淵から私を救ってくれた人。彼がいなければ、きっと私の心は死んでいた。


 そんな彼を心配させないように、私はことさらに明るい声で言い募った。



「しかもね、『魔王を倒した勇者を、王女と結婚させてやろう!』なんて言うのよ? 信じられる? 私に何の断りもなくよ!」



 お父様は、聖女と結婚できる、なんて謳い文句で、国中から腕に覚えのある男たちを集めた。そうして選ばれたのが、聞いたことのないような辺境の村からやって来た、あの勇者ルシオンよ。顔はそこそこ整っていたけれど、リダールとは比べるべくもない。リダールの顔こそ至高よ。異論は認めない。


 そんな至高の顔面は、私の言葉を聞いて氷のような静けさを張り付けていた。



「俺を倒した者が、セレアを娶れると?」



 声にも棘がいっぱいだった。棘というより氷柱かもしれないわ。


 ははは、と地を這うような声で笑って、魔王様は笑みを浮かべた。心底人の悪そうな笑みだけど、それが彼の魅力を引き立てる。この不敵な表情を見るたびに、私の胸はきゅんきゅんするの。今も胸が高鳴って仕方ない。この音、彼に聞こえていないかしら?



「……ここで言うつもりはなかったんだがな」


「リダール?」


「俺と結婚しないか?」



 えっ。


 突然のプロポーズに、目をパチパチさせてしまう。じわじわと熱くなっていく顔。思わず頬に手を当てると、リダールがくつりと喉の奥で笑った。


 だって、仕方ないわ。確かに彼の事は誰よりも愛しているけれど、ここでプロポーズされるだなんて思いもしなかったのだもの。


 リダールは私の腰を引き寄せて、額同士をくっつける。僅かな隙間もなく密着して、まるで永遠の愛を誓うように彼は言った。



「だからセレア。俺と一緒に、世界征服しよう」



 そしてそれは、間違いなく愛の誓いだった。

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