第23話 すけべ馬
「やっぱり旦那じゃねえですか」ロクロが嬉しそうに近づいてくる。「これからサレスですか?」
「そんなところだ」と、私は適当に返事をした。「奇遇だな」
「ええ。その服が目に入ったんで、もしやと思って」
「そうか」
ロクロが、エウロパに目を向ける。
「旦那のお子さんで?」
「いや違う」
「恋人だよ」
エウロパが稀に見ぬ真剣な表情でいい、ロクロは怪訝な表情を浮かべる。
「へぇ、そうですか。いやぁなんつうか、そいつはお邪魔しちゃいましたねぇ」と言いながら、遠ざかろうとするロクロを私は引き留める。
「誤解するでない。そんなふざけた関係ではない」
私が弁解すると、「えー」とエウロパが不満を露わにする。
この時ばかりは、エウロパを無視した。
「出し抜けにすまんが、お主の馬を私に譲っては下さらぬか」
「はぁ?」と、ロクロが口をあんぐりと開く。
「馬が必要なのだ。礼はする」
「いやぁ参ったな」ロクロは頭を掻く。「さすがに旦那といえども、サボンはちょっとねぇ」
私は何も言わずゴリアテに受け取った包みを差し出した。中身は知らぬが、渡せるものといえば、これくらいしかない。
「なんですこれは?」渡された包みを、ロクロが開く。
中から出てきたのは、黄金に輝く長方形の板切れだった。
「こっ、これはっ」
なんだそれは? と尋ねたい気持ちは山々だったが、知ったかぶりを押し通した。何も知らずに包みを渡したとなっては、印象も悪かろう。
ロクロが金色の板切れをつまみ上げる。手は小刻み震えておる。
「こ、これは、女神の手形ですぜぇ、旦那。こんなものを持ってるなんて、旦那は、本当に――」
そこまで言葉にして、ロクロは絶句した。口は動いているが声は出ておらんようだ。
女神の手形と言ったが、そんなに貴重な代物なのか? ただの板切れにしか見えぬがな。
「サボンを差し上げますぜ、旦那」
「よいのか?」私は目を見開いた。
「えぇえ。この手形がありゃあ、あっしは、そこそこの暮らしができますぜ」
「そうか」と私は頷いて見せたが、若干の戸惑いもあった。
「サボンは、あっちでさぁ。今は、厩舎に預けてるんで」
ロクロが北を指差す。
「急ぎやすか?」とロクロが尋ねる。
「ああ」
「じゃあ、さっさといきやしょう」
そういって歩き始めたロクロの後ろを私はついて歩いた。長椅子から飛び降りたエウロパが私についてくる。
「本当によいのか? サボンは大事な馬なのだろ?」私は前を歩くロクロに話し掛けた。
「ええまぁ、そうですけどね」と言いながら、ロクロが後ろを振り向く。「旦那には恩もあるし、こんな手形も貰ったんだ、喜んでサボンを譲らせて頂きまさぁ」
「そうか」
「でも、昨日のうち言ってくれりゃあよかったのに」
「ああ、まあな。状況が変わったんだ」
「へぇ」と生返事を返すロクロ。詳しい話を尋ねて来ぬのは、ロクロなりの気遣いか。
その後、厩舎へ行き着くまでのおよそ十分間、これといった会話はなかった。ロクロも私も、そしてエウロパも黙って歩いた。
エウロパにしてはやけに大人しいのう。人見知りか。
厩舎は様々な生き物や魔物がひしめき合い、なかなかに賑やかであった。そんな中、当のサボンはむしゃむしゃと飼い葉を
「ちょっと、別れの挨拶をさせてくだせぇ」
「ああ、もちろんだ」
私はエウロパと共にサボンから少し離れ、ロクロを待った。
「ふとっちょだね」エウロパがサボンを野次る。
「ああ。だが、戦闘にも動じない、強い精神力の持ち主だ」
「へー」
数分で、ロクロはサボンから離れ、私のもとへやって来た。
「もうよいのか」
「ええ。死んじまうわけじゃあねえし」そういうロクロの顔は、やはり寂しげだ。「あいつは、これっぽちも気にしてねぇみたいですし。ははは」
ロクロが無理矢理に笑っておる。私にはそう見えた。
「じゃあ、あっしはこれで」
片手を挙げ、ロクロが立ち去る。私はその姿を見届けた。時々、ロクロがこちらを振り返る。そのたびに、私とエウロパは手を振り、ロクロを見送った。
「いっちゃったね」
「そうだな」と相槌を打ち、私はサボンのもとへ移動した。
サボンは、口を動かし、何かを咀嚼しておる。呑気なものだ。私は、そんなサボンの額をそっと撫でた。
気付くと、エウロパがサボンの背中に
その時、サボンの瞳に光が宿った。私はその瞬間を見逃さなかった。
「ひひーん」と
エウロパはサボンのたてがみを掴み歓声を上げておる。
ほう。やはりただの馬ではなかったか。
私は、ぼきぼきと不気味な音を立て体を締め上げるサボンを眺めた。
「おー」エウロパが感声を上げ、目を輝かせる。
丸まると太り、だらしない体つきが嘘のように、サボンは逞しい馬体へと姿を変えた。一回り、いやそれ以上大きくなったやもしれん。
「すごーい」と言いながらエウロパがサボンの背中から飛び降りる。途端に、情けないボヨンという音を鳴らし、サボンの姿が元に戻ってしまう。
「あれれー」エウロパが違和感を言葉にする。
「どうしたのだ」
私も疑問を口にする。
サボンの
そのようなことを二、三度繰り返すうちに私は、はたと気が付いた。
もしかすると、女が乗ると張り切るのかもしれん。
うむ。
見たところ、サボンは
こやつ、まさか、すけべ馬なのか。
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