#122 宣戦布告
「んじゃ、よろしく」
突然の出来事に呆然としているこちらを他所に、一方的に言いたいことを言って満足した神喰崩たちは何食わぬ顔で建物の中へと入っていった。
「………」
「………」
残されたのは理解を超える出来事に思考回路が完全にショートしてしまったわたしとアリアだけだ。
静寂にぴゅーと吹きすさぶ木枯らしが、まるで今のわたしたちの心境を表しているようだった。寒い。
と、とりあえず状況を整理しよう。
えーっと、まずわたしたちは案件成功のためにHackLIVEと仲良くしようと思ったんだよね。
ネットではあれこれ言われているHackLIVEだけど、マネージャーさんは話してみると結構優しそうな人で、きっとそんな人の担当VTuberである神喰崩や日夜夜廻もネットの評判とは違って根は良い子なんだろうなと期待していた。
でも、それは淡い幻想に過ぎなかったようで……。
蓋を開けてみれば神喰崩は開口一番「よォ黒猫燦。今回の勝負、負けた方は引退するまで一生奴隷っつーことで」、と喧嘩を吹っ掛けてきた。
仮に、これで緊張していたから物騒になっただけで本当は良い子なんです! とか言われても、いやいやそれは流石に無理があるだろ……、とコミュ障の第一人者として言わせてもらいたい。
つまり、この状況は結論から言うと、
「HackLIVEとあるてまの戦争!?」
「それはちょっと飛躍してる気が……」
「でも完全にあるてまぶっ潰すって勢いだったよ」
「た、たしかに」
この世界に於いてあるてまはVTuber業界の先駆者だから、今までも一方的にライバル視されることは何度もあったし、そもそも企業間の対立なんてのは競合他社である以上は仕方がないことだと理解している。
でもそういうのは大抵が本人の目につかない裏の出来事であったり、心の奥底に秘めているもので、こうやって面と向かって敵意全開で言われるなんてのは経験したことがなかった。
だから今のわたしはどう行動すればいいのか、考えあぐねていた。
「とりあえず追いかけましょう」
こんな状況で先に行動を起こしたのは、意外にもアリアの方だった。
わたしと一緒にいるときはポンコツになりがちな彼女だが、たまに覗かせる素顔はどこか湊に近しい高スペックの雰囲気を感じさせる。
こういうときこそ先輩として、他所のVTuberとのいざこざに率先して立ち向かえればいいのだが、わたしにはそれができなかった。
アリアに遅れること数瞬、その背中に付いていくようにして再び建物へと入る。
神喰崩たちが控室に籠もってしまえばその真意を質すことはできなくなるが、幸い小走りのわたしたちに対して彼女たちはゆったりと歩いていたおかげですぐに追いつくことができた。
「ちょっと!」
どうやって呼び止めようかと考えていると、アリアが神喰崩の肩を後ろから掴んだ。
「あ?」
ギロリ、と肉食の猛獣を思わせる眼光で睨まれる。
あまりの威圧に思わずうっ、と後退る。
しかしアリアはそんな態度にも意に介さず、むしろ食って掛かる勢いで、
「さっきの、どういう意味」
「さっきの?」
「勝負のこと! 一生奴隷ってどういうことよ」
「あー、アレか」
つい先刻、自分たちから喧嘩を吹っかけてきたくせにまるでそんなこともあったな、と言わんばかりに面倒くさそうな対応をする神喰崩。
隣では全身を黒い服で覆った黒髪の不気味な女──日夜夜廻がクスクスと笑っている。
「文字通り、言葉通り、そのままの意味だけど? それともなんだ、お前は日本語が理解できないのか? それなら案件を受ける前に日本語教室に通ったほうがいいぜ」
「なっ」
それは神々廻ベアトリクスをハーフキャラ、と理解しての煽りだろうか。
兎も角、今の言葉が効いたのかアリアは顔を真っ赤に染めて行き場の無い怒りを堪えるように拳を握り、ぷるぷると震えていた。
「なんの! 意図があって! 喧嘩を売ったかって聞いてんのよ!」
「ハッ、意図? 理由が必要なのか? ったく、我儘なやつだな」
「……今すぐマネージャーを呼んでもいいのよ」
「へぇ、やってみるか?」
「………」
「………」
無言で、お互いにバチバチと火花が散っている。
恐らくこの状況での最善手はアリアが言うようにHackLIVEのマネージャーと九条さんに報告することだろう。
仮にあのマネージャーがよほどの腹黒ですべての黒幕だったとしても、九条さんが話に絡めばどういう形であれ終結まで持っていくことができるはずだ。
でもそれをしないのは
行きの車内でわたしが語った引退配信中の転生宣言、そんなタブーを犯して平然と活動できる神喰崩というVTuberなら、きっとこの案件自体を無かったことにするぐらいやりかねない。
それが何よりの懸念に他ならない。
だからこそ、アリアは感情的に行動しながらも残りの理性を総動員して自分を律しているのだ。
「そう睨むなって。聞きたいなら教えてやるよ」
「崩、私は先に控室に行く。あとは勝手にして」
「はいはい、これはアタシが始めたことだからな。お前は関係ねーよ」
打ち合わせとリハーサルの時間までまだ余裕はある。
日夜夜廻は興味がないのか、そもそもこの話に関係はないのか神喰崩を置いて自分の控室へと向かった。
とりあえず、HackLIVE全体によるあるてまへの宣戦布告ではないようで安心した。
「さて、それでさっきの言葉の意味だったか? つってもアタシのターゲットは黒猫燦であってお前じゃねェんだがな」
「黒猫さんが、目的……?」
あ、やばい。
ただでさえ相手の喧嘩腰で怒り心頭なアリアが、あるてまではなく黒猫燦個人への攻撃と知って完全にキレてしまった。
さっきまで理性を振り絞って震えていた拳が今は完全に止まっていて……、
「ちょ、ストップストップ。それは流石にヤバい!」
「止めないで! 今なら体調不良で欠席させられるから!」
「それがダメなんだが!?」
後ろから羽交い締めにして無理やり押さえつける。
と言ってもわたしの身長は低いのに対してアリアは女性にしては結構な高身長で、羽交い締めというよりしがみついているのが現実だけど。
「あ、背中に胸が、黒猫さんの胸が、一生このままで生きたい……」
「オイ! 抵抗しろ! 振りほどけ! 諦めんなよ! わたしの感触を堪能するなおバカ!」
なんで止めてる側が抵抗しろって頼んでるんだよ、おかしいだろ。
これ以上争っても不毛な気がして、わたしの方からアリアの拘束を解除する。
まあ、体格差で振りほどこうと思えばいつでもできたのにそれをしなかったのは、こいつなりのわたしを傷つけたくないという思いかも知れない。
「あ、もうちょっと」
訂正、私欲だわこれ。
「おいおい、蚊帳の外ならもう行かせてもらうぞ」
「あ、ごめんなさい」
このポンコツに会話を任せるにはちょっとどころじゃない不安が付き纏うため、ここからはわたしが相手になる。
どうやら神喰崩自身、アリアではなくわたしが目的らしいからちょうどいいだろう。
でもなぁ、どう見ても問題児のこれを相手にするのはちょっと荷が重いというか……。
「そう、お前だお前、黒猫燦。アタシが今回叩き潰したいのはお前ひとりなんだよ」
「……なんで?」
「情報漏洩、アレをやったのはアタシの同期だ」
「は?」
「過去に出演した番組で取引先の人間に色仕掛けをしてお前のアドレスを入手したらしいんだが、アイツはそれを当時のマネージャーに仕事と交換で教えたらしくてな」
「は??」
「いつも仕事に貪欲なコンビだったんだが、案の定流出がバレて揃ってクビだ。自業自得、同情の余地も無い馬鹿な連中だけど、アレでもアタシの最後の同期だったからな。黒猫燦、お前をぶっ潰すのがせめてもの手向けだろ」
「はぁー!?」
こ、こいつ、なに言ってるんだ。
じゃあなにか、さっきの言葉はメールアドレスが流出した被害者のわたしに、お前のせいで同期がクビになった! 勝負だ! っていう、完全に逆恨みから来る八つ当たりだって言うのか。
い、いくらなんでも無茶苦茶過ぎる……!
「り、理不尽……!」
「カカッ、アタシはこういう生き方だからな」
いや、でもこんな無茶苦茶な理屈を押し通して、周囲を巻き込みながら活動するのが神喰崩のスタイルなら色々と納得できる。
理路整然と理性的で理屈と筋の通った行動をするなら、そもそもコイツはVTuber界隈でヤバい奴扱いされていない。
その我儘を押し通せるだけの実力が、神喰崩にはあるという証拠。
言いたいことを好き勝手言った神喰崩は、どこか満足そうに、しかし面倒くさそうに自分の髪を掻きながら、
「まァ、アタシがお前にムカつくのはそれだけじゃねェけどな」
「ま、まだあるのか……」
これ以上どんな理不尽を吹っかけられるというのか。
でも流石にもうわたしとHackLIVEの因縁なんて無いと思うんだけどな……。
あまりの出来事に弛緩した空気の中、わたしはアレでもないコレでも無いと考え──再び空気が張り詰める気配に現実へと引き戻された。
目の前には、獣がいた。
「アタシはな、お前が、あるてまが幅を効かせてるのが気に入らねェ。やれ炎上系だ、やれ企業のトップだ、同接がどうのチャンネル登録がどうの、クソくだらねェ。その中でデカい顔してるお前が、何より気に入らねェ」
「………」
「初配信でバズって気持ちよかったか? 皆にちやほやされて楽しかったか? ただ偶然、見つかっただけなのによ」
次々と飛び出してくる神喰崩の言葉に、わたしは、何も言い返せなかった。
黒猫燦がただの運で今の立場にいることは、わたし自身自分が一番理解していることだし、VTuber界隈に蔓延る数字については色々思うところがあった。
きっと、神喰崩が今言ったことに関してはわたしと彼女は考え方が近しい。
だから、何も言えない。
「アタシは個人の頃から、企業に属しても色んな奴に出会った。どれだけ頑張っても伸びないやつ、わざと炎上して注目を浴びるやつ、ただ一度の失言で二度と配信できなくなったやつ。HackLIVEにはそういう訳アリがたくさんいる。にも関わらずリスナーってのは何一つ知らないくせに知った顔でアタシらを語って、最後には【あるてま】のVTuberは登録者数が、同接が、って言いやがる」
わたしたちが悪いわけではない。
そして彼女たちが悪いわけでもない。
ましてやリスナーが悪いわけでもない。
自分が好きなもので他人と比較したり、時には攻撃的なマウントを取ってしまうのは仕方のないことだ。
彼らはいつだって悪意なき善意で、自分たちの価値観を自分勝手に語っているに過ぎない。
その陰に傷つく人がいると知らずに。
「クソくだらねェ。だったらアタシが、アイツラの大好きなあるてまを、黒猫燦を、合法的に、真っ当な手段で、徹底的にぶっ潰してやるよ。数字がすべてじゃねェ、見えるものがすべてじゃねェ、負け犬って蔑まれた存在が、勝ち誇った猫を噛み殺す瞬間を、リスナーに見せてやる」
こちらを睨みつけるその瞳は、やはり獰猛な肉食獣だった。
気を抜けばこの場で噛み殺されるような気配。
それに、完全に飲まれてしまった。
「………っ」
別に、同期の仇討ちが理由ならわたしだっていくらでも言い返せた。
でも、彼女は、ここに立つ神喰崩は黒猫燦の下にいる敗者を代表して、勝手にここに立っている。
わたしだって考え方としては神喰崩に同意できる。
数字が全てではないと声を上げて言いたい。運が良かったと言ってしまいたい。
でも、それは数字のあるわたしが言っても、所詮は持つ人間の言葉でしかない。
持たざる人間たちは、持つ人間の共感を求めているわけじゃないのだから。
だから、何も言えない。
すべてを持つ
「じゃあな。今日はせいぜい勝者として足掻いてくれよ」
神喰崩が背を向ける。
きっと彼女の言う一生奴隷とは、あるてまを顎で使って自分たちの溜飲を下げるとか、今の凝り固まったVTuber業界の価値観をぶっ壊すいう意味が含まれているんだろう。
このまま行かせると、たぶんわたしたちは神喰崩の思惑通り負ける。
でも、それを理解しながら、それでもわたしは一歩踏み出すことが出来なかった。
既に、気持ちが負けていた。
「ちょっと、待ちなさいよ」
声が響く。
意志の強い、聞くものを惹きつける声が。
「あ?」
神喰崩が振り向く。
その顔は呼び止められた怒気に染まって──いや、まるで狩り甲斐のある獲物を見つけたかのような、喜色満面の笑み。
その視線の先にいるのは、穂波アリア。
わたしの後輩。
「アンタたちが何を思ってるかとか何を求めてるとか、そういうのどうでもいいのよ。数字がある? 運が良い? はんっ、褒めて貰ってありがとう。その嫉妬、心地良いわ」
「言うじゃねェか。特別数字があるわけでもない、ただの三期生風情が」
「そうね、わたしは黒猫さんに比べても先輩たちに比べてもまだまだ未熟よ。でもね、それでもあるてまのVTuberなのよ。大好きな先輩に喧嘩売られて、大人しく引き下がる道理なんて、ないわ」
わたしを庇うように前に立つアリア。
その背中は見事な啖呵とは裏腹に、小さく震えていた。
……わたしを守るために、勇気を出してるんだ。
「じゃあどうする? このままマネージャーに報告して、それでこの話を終わらすか? そんな不完全燃焼になったら、アタシ、いつ爆発するか、自分でも分からねェよ」
「それは、」
「──配信で叩き潰すよ」
一歩、踏み出す。
わたしが立てなかったアリアの場所へ。
その、更に一歩先へ。
「あ?」
「そっちの望み通り、今回の企業案件で。マネージャーの介入もなしで、負けた方は一生奴隷って条件で」
だって、後輩が頑張ってるのに、先輩が頑張らないわけにはいかないから。
「お前に勝つ」
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