05-5.秘密を打ち明ける
「この場で口にするのにはそれなりの理由があるのだろう、アリーチェ。その的の外れている噂話をお父様に話せとでも? ……バカバカしい。王国の貴族が命惜しさに帝国に身を差し出すものか」
馬車の中には緊張が走る。
不穏なやり取りをしているのにもかかわらず、メイヴィスの隣に座っているクロエは一点を見つめたまま動かない。
「私はお嬢様のメイドです。旦那様に命を救われ、ミセス・フィリアに居場所を与えられ、お嬢様に心を救われました。お嬢様は覚えてはいないでしょうが、それでも、私はお嬢様こそが希望の光だと信じています」
アリーチェはメイヴィスの左手を摑む。そして、なにもなかったかのような顔をしながらメイヴィスの左手に小さな紙を握らせた。
……なにを企んでいる。
小さな紙は魔力が込めたものだった。
それはメイヴィスに警戒を促すものだった。紙に書かれているのは裏切り者の名前である。アリーチェの名ではなく、別の人物の名が書かれていた。
……それを明かす必要はないだろう。
誘導作戦のつもりだろうか。
メイヴィスには真意が掴めなかった。
「だからこそ、私たちはお嬢様をお連れしなくてはなりません。お嬢様が才能を隠さなくても幸せになれる方法を聞かされた以上は、私たちはお嬢様の傍付きとしての役目を果たします。それこそがお嬢様の為なのです。……勝手なことばかりを申し上げますが、私はお嬢様が幸せならばそれでいいのです」
アリーチェの言葉はそこまでだった。
馬車が揺れる。なんらかの障害による急な制止が行われたのだろう。馬車を引いていた馬の大きな鳴き声が聞こえた。思わず、メイヴィスは自身を守る為に両手で頭を隠す。身体は窓際にぶつかり、小さな悲鳴をあげる。
……なにがあった。
身体が悲鳴をあげている。
馬車の外からは荒々しい声が聞こえている。その中には聞き慣れた者の声も含まれている。ゆっくりと頭から両手を外し、アリーチェに視線を向けた。
……伯爵領に入ったばかりだというのに。
馬車がこの道を通ることをわかっていたかのようである。
それはアリーチェの告白と結びついてしまう。
……アリーチェが私を裏切った?
メイヴィスたちを乗せた馬車が大きく揺れる。それと同時に血の匂いがした。
「……目的は私か」
アリーチェの話が本当だとするのならば、狙いはメイヴィスである。
公爵令嬢として身の安全が保障されなければ外に出るべきではない。優秀な従者たちが身を粉にして敵を振り払うことを願い、大人しく震えているべきである。現にメイヴィスの傍にいるメイドの内の一人、アリーチェは敵と通じている。クロエの様子を窺ったものの、相変わらず、なにもない一点を見つめている。
「私の為に他人が死ぬのを黙って見ていろと、お父様たちならばそうおっしゃることだろう。王国の平和を乱したくなければ私は大人しくしていればいい、それがお父様たちのお考えだ。それは正しいのだろうね」
このままでは従者は命を落とすだろう。
全員とは言わなくても何人もの従者が傷を負うだろう。守られるべき立場であるメイヴィスはそれを見殺しにしなくてはならない。
メイヴィスを守ることが護衛騎士である従者の役目である。
そんなことは知っている。
「フィリアならば私を止めるよ。公爵令嬢である私は大人しく怯えているべきだって諭すだろうね。……護衛騎士を使い潰すのが貴族の仕事だというのならば、私は貴族には向いていないのだろう」
唯一の出入り口はクロエが塞いでいる。
一点を見つめているクロエはメイヴィスが扉を開ける邪魔をするだろう。
話をしている間にも声は途絶えない。しかし、血の匂いは強くなっていく。
「それならばそれでいい。私は利用されるだけでも構わないのだから」
メイヴィスは左手で窓に触れた。
呪文を唱えなくても窓の形は変わり、扉が現れる。
「【敵を捕縛せよ】」
迷うことなく扉を開けて外へと両手を伸ばす。
メイヴィスの行動を止める者はいなかった。アリーチェもクロエも止めない。
……わかっている。
目的はメイヴィスの力を知らしめることにある。
従者が犠牲になるとわかっていながら大人しくしていることなどできないメイヴィスの性格を知っているからこそ、馬車を襲ったのだろう。それが敵の思惑だと気付いていながらもメイヴィスは魔法を使った。黒い手は次から次へと馬車を襲っていた敵を捕えていく。従者を斬り殺そうとした敵を握りつぶすのではないかというほどの強い力で掴まれていく。
メイヴィスが使う黒い手は闇魔法によるものである。
術者の命令を忠実にこなす黒い手は闇を凝縮しただけのものである。それはメイヴィスが作り出したメイヴィスだけの魔法である。
……これは敵の思惑通りだ。
静まり返った場所でメイヴィスは困ったような表情を浮かべた。
それから静かに両足を馬車の外へと投げ出し、馬車を降りた。地面は濡れている。それはこの辺りが酷い雨で悩まされている土地だからこそだろう。
……それならば、それを利用する。
大人しく屋敷に籠っているだけの生活に嫌気が差したわけではない。同い年の話し相手がセシルだけであることに退屈さを感じたことはない。メイヴィスはセシルがいればそれだけで幸せを感じることができる。
その生活を崩されるのは苦痛でしかなかった。
その生活を守る為だけの非情さはメイヴィスにはなかった。
「お嬢様」
「エルマー、怪我はしていないね」
「申し訳ございま――」
「謝罪は必要ないよ。お前たちでは手に負えないだろうから」
傍にいたエルマーの腕に触れる。
彼が手にしていた折れかけの剣には黒い影が纏わりつき、欠けた部分を補う。
「戦力を隠すのも方法の一つだよ。保守主義のお父様ならば、それを優先させるだろうね。エルマー、お前たちの判断は間違ってないよ。私を守るのがお前たちの役目であって、公爵であるお父様からの命令だ。それを重視するのは従者として当然のことだからね」
その眼には迷いはなかった。
黒い手で捕縛した敵を地面へと叩き付ける。その様子を見張っていたのだろう黒い手の範囲外のところでメイヴィス達を見つめている視線に気づきながら、彼女は怖気づかない。
恐怖の対象として見られるのならばそれでいい。
それにより大切にしている者たちが生き残れるのならば、メイヴィスは恐れられることを恐れない。メイヴィスの力を目の当たりにしてもなお、メイヴィスを守ろうとしていた従者たちの気持ちを疑うことはしない。それが望まれていないことであっても、メイヴィスは立ち止まるわけにはいかなかった。
「でも、私は違うんだ。……私の大切な人たちを傷つける連中を野放しにはしない主義でね。それが間違いだというのならば私を殺してみればいい」
王国の平和を乱すつもりはない。
王国の平和の為ならばメイヴィスは都合のいい人形だって構わなかった。
その為ならばメイヴィスは自らの手で死を選ぶことも迷わない。しかし、それが自分自身にとって大切だった人たちを苦しめることになったと知ってしまった今は同じ方法を取ることができない。
「仕掛けて来ないのならば私から行かせてもらうよ。なにもできないまま、死にたいのならばその場に留まればいい。私は敵に情けをかけない」
同行していたハーディと眼が合った。
メイヴィスがなにを企んでいるのか、ハーディには伝わったのだろう。頭が痛いと言いたげな表情を浮かべたものの、ハーディは傍にいた仲間に状況を伝える。散らばっていた従者たちは馬車を守るようにメイヴィスの傍に集まる。
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