ゴン太の過去

 低い生け垣に囲まれた芝生のベンチで、メグは真っ直ぐ上っていくひとすじの煙を見ていた。濃さを増した空の青も、瑞々しい木々の緑も、アンナがいなくなったことなどお構いなしに生き生きと輝いている。


 おばあちゃん、オリガさんに会えたかな?


 メグは病室でのゴン太の話がまだ信じられないでいた。詳しい話を聞きたくても、あれからゴン太は姿を見せないし紫苑にも会えていない。


「メグ、ここにいたにゃか」


 どこからともなくリリアが現れ、ひらりと隣に座った。リリアはここ二日ほど二十四時間メグと行動を共にしている。アンナの件でメグが病院に駆け付けたその日の会議で決まったことだ。表向きはメグの護衛だが、ゴン太を監視する目的もあるとメグは思っている。ゴン太が信用されていないことは直接遠山から聞いたから間違いないだろう。ただ目的はどうあれ、リリアが付かず離れずそばにいることをメグは心強く思っていた。


 リリアはメグにそっと体を寄せて、一緒に空を見上げた。


「暫くゴン爺を見てにゃいけど大丈夫にゃかねえ? アンナが死んで気落ちしてるにゃろうけど」


「え?」


 メグはリリアの顔をまじまじと見た。


「まさか、リリア知ってたの?」


「ん〜、まあ大体のことはにゃ。ゴン爺はうちのばあさまと昔なじみにゃから」


「そうなんだ……校長先生も知ってたし、知らなかったのは私だけなのね」


 メグの表情が見る間に曇る。リリアはしっぽをブンブン振って否定した。


「いやいや、こっちで知ってるのは紫苑とあたしだけにゃ。ふみはもちろん、他の連中はみんな知らにゃいはずにゃよ」


「そうなの?」


 リリアはこくりと頷いた。メグは決して自分だけが仲間外れにされていたのではないとわかって少し安心した。それどころか、好都合とばかりに気になっていたことをリリアに尋ねることにした。


「ねえリリア、ゴン太が魔界から追い出されたのはどうしてなの?」


「ん〜」


 リリアはしっぽをゆらゆらさせながら暫く考えているようだったが、きりりとした顔でメグを見上げた。


「いずれわかることにゃろうし、メグには知る権利があるにゃよね。ただ、他の人間には、たとえふみでも知られたくないにゃ。他言しないと約束できるにゃか?」


 メグは真顔で頷いた。それを確認したリリアは、しっぽをくるりと前足に絡めて美しい姿勢で座り直した。


「あたしの名前はリリア・ラスチェーニエ。そしてゴン爺の本名はレオポルト・ゴンブロヴィッチ。あたしたちはこう見えて魔界の貴族にゃ」


 目を丸くするメグに向かって、リリアはゴン太が追放されたいきさつを話し始めた。


 かつて魔界はそれぞれの魔法動物ごとに独立して存在していたが、今ではごくわずかになってしまった。それは支配の仕組みがうまく機能せず国として維持できなかったからだ。


 そんな中で、魔猫には今も他に類を見ない強大な国家がある。それは絶対的な力を持つ王家が存在し、卓越したリーダーシップで国を率いているからだ。その王国で、ゴンブロヴィッチ家とラスチェーニエ家は王家に最も近い、いわば貴族の中の貴族と言える存在だ。


 魔界は密度の濃い魔力が酸素のように漂っている。それは魔法動物にとっては不可欠なものだが、扱いを間違えば国を滅ぼしかねない強大なエネルギー源となる。魔力を思うままにコントロールするには高度な技術が必要で、王家とそれを支える貴族たちは代々、並外れてその能力に長けているのだ。


「うちのばあさまとゴン爺は同じ頃に生まれたにゃ。ただ、高貴な魔猫は単色という暗黙の了解があってにゃ、ラスチェーニエは白か黒、ゴンブロヴィッチは金か銀と決まっているにゃ。ところが、ゴン太は生まれたときからあの柄で、気位の高い母親とその側近に疎まれて生まれて間もなくこっそり捨てられたにゃよ」


「なんて酷い!」


「昔はたまにあったみたいにゃけど、普通はそんなことはないにゃ。現にゴン爺の父親は非情な母親を里に返してゴン爺を捜させたらしいにゃ。でも結局見つからにゃかった」


 メグは、あの厚かましくて下品なゴン太が高貴な貴族の出身だということに納得がいかなかった。しかし、せっかく恵まれた環境に生まれながら、生後間もなく捨てられ、更にはやっと見つけた大切な居場所をも失くしてしまうというあまりに過酷な運命に心が痛んだ。


「オリガさんが家を出るとき、ゴン太もついていったのかな?」


「恐らくそうにゃ。あたしたちは魔界以外では魔法使いのそばでないと長い時間は存在できないにゃ。魔界に漂う魔力の代わりを魔法使いがしてくれるからにゃ。世界各地の魔法動物の保護区は魔法使いによって魔力で満たされてるにゃよ」


「へえ、そうだったんだ。ふたりはその後どうしたんだろう? リリアは知ってるの?」


「うちのばあさまが成長したゴン爺と再会したにゃよ。メグは知らないにゃろうけど、世界が東と西に別れてスパイ合戦をやってた時代があったにゃ。ばあさまはお転婆でにゃ、人間界で冒険したいって飛び出して、某国のエージェントの使い魔をしてた時期があったにゃ。そこでばあさまと敵対することになったのがジンジャーって名前で使い魔をしていたゴン爺で、そのバディが伝説の魔法使いオリガ、つまりはメグの曾祖母ひいばあさまだったというわけにゃ。その頃のゴン爺は魔界にファンクラブができるくらいシュッとしてたらしいにゃよ。まあその出自は殆どの魔猫は知る由もにゃかったけどにゃ」


「何だか現実離れしてて信じられないなあ」


「あたしもピンとこないにゃよ。ばあさまはじきに連れ戻されたけど、ゴン爺はその後もオリガとずっと行動を共にしてたみたいにゃね」


「オリガさんは今……」


「十五年前にゴン爺がふらりと現れて魔界に居着くようになったらしいにゃ。たぶんその頃……」


「……そっか」


 メグは以前見たスパイ映画の一場面にゴン太を当てはめてみたが、やはり今のゴン太からは想像もつかなかった。


「メグ〜、そろそろ時間だぞ〜」


 遠くからメグを呼ぶ声がする。父のさとるだ。


「もう行かなきゃ」


 メグが立ち上がり、その肩にリリアが飛び乗った。リリアが耳元で囁く。


「メグ、ゴン爺はたとえ命に代えてもあんたを守るはずにゃ。ゴンブロヴィッチの名に懸けてもね。それを忘れないことにゃよ」


 メグはもう一度空を見上げた。煙の立ち上る先から、オリガとアンナがメグを見守っているような気がした。

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