メグ、教科書を読む

 家事をひと通り終えたメグは、落ち込むゴン太を放置したまま荷解きに取りかかった。寮の部屋から持ち帰った荷物は段ボールで十個程と、さほど多くはない。実家の部屋は母親が綺麗に片付けてくれてあったので、昼までには終わるだろうと思われた。


 まずは衣類から。ハンガーに掛けたまま詰めた服は、そのままクローゼットに吊して段ボール三箱終了。畳んだ衣類は、収納ケースに順に詰めて更に三箱終了。靴は玄関に運び、小物やアクセサリーはそれぞれの場所に並べてもう二箱終了。残りの二箱は教科書や勉強道具だ。


 重い段ボール箱を引きずって座卓のそばまで持ってくると、既に懐かしい気分さえする教科書やノートを天板に並べた。山のような教材を取っておくか処分するかメグは迷っていた。とりあえず、いちばん上にあった歴史の教科書をパラパラとめくってみる。かなり年を取ったおじいちゃん先生の授業は盛り上がることもなく、正直なところ殆どの時間をうつらうつらしながら過ごした科目だ。当然内容は殆ど頭に残っていない。


 メグはふと目にとまったページを読み始めた。


       ◇◇◇◇◇


 世界魔法憲章の制定 


 第二次世界大戦後、魔法の平和的利用の取り決めが国連によって進められ、一九五〇年十一月一日世界魔法憲章が制定された(翌一月一日施行)。これは、多くの魔法使いが戦争に利用され、彼らの意志とは無関係に諜報や殺戮を強いられた不幸な過去を繰り返さないために、各国の魔法団体が強力に働きかけて成立させたものである。


 世界魔法連盟の誕生


 それまでも世界各国の魔法団体は横の繋がりを大切にしていたが、地球規模での団結が必須であるという理念から、魔法憲章の施行と同時に世界魔法連盟が誕生した。本部はスイスのチューリッヒに置かれ、各地に支部を持つ。国連や国際刑事警察機構(ICPO)等との連携を保ちつつ、魔法の適正な使用を監視する役割を果たしている。


 子どもの安全を守る取り組み


 魔力の有無は生まれた瞬間にわかるため、戦前には魔法を悪用しようとする者による乳幼児の略取や、魔力を恐れるものによる殺害が頻繁に行われた。これを防ぐため、一九五二年以降に生まれた子どもに関しては、魔力は十五歳になるまで世界魔法連盟の管理下に置くこととした。これを可能にしたのがマギアリングである。


 マギアリングとは


 マギアリングとは、一定期間魔力を封じ込めることができる魔道具である。東欧諸国に伝わる伝統的な指輪を改良して作られ、一九五一年に公式魔導具として登録された。その運用に関しては、世界共通のルールが徹底されている。

 魔力のある子どもが生まれ、各所の使い魔により魔法連盟に通知が行くと、その地域の代表ソーサラーが新生児と面会し、マギアリングに魔力を封じ込める。マギアリングは、その新生児が十五歳の誕生日を迎えた最初の満月の夜に魔力を解除するように設定されており、その後一生持ち主の指に存在し続ける。


       ◇◇◇◇◇


「へええ、この指輪にはそんな意味があったんだあ。改めて読むと歴史がよくわかるわあ」


 メグは、自分の指にはまった指輪をまじまじと見つめた。鈍い銀色の指輪には細かい彫刻が施され、中央には楕円の透明な石がはめ込まれている。外すこともできるが、持ち主から一メートルほど離れると勝手に戻ってくるので、そそっかしいメグでも失くしたことはない。


 今更ながら興味を持ったメグは、再び教科書に目を落とした。


       ◇◇◇◇◇


 十五歳での決断


 マギアリングの運用に関しては、魔法使いの道を歩むか否かの判断が自力でできる年齢について識者の間で意見が分かれ、子どもたちに指輪を与える時期をなかなか決められなかった。長い議論の末、その後の教育や職業の選択を考慮して、最終的に十五歳の誕生日を過ぎた最初の満月の日と定められた。

 この日、各地区の代表ソーサラーと二人の立会人の前で、生まれながらに魔力を持つ者は選択をする。即ち、マギアリングを受け取って魔法使いとして生きるか、魔力を捨て一般人として生きるかの二択である。一旦魔力を捨てた者は、特別な場合を除いて、再び魔力を得ることは叶わない。


       ◇◇◇◇◇


「ん?『特別な場合を除いて』ってことは、また魔法使いになれる人がいるってこと?」


「そや、そういう者もおるで」


 ソファでふて寝していたゴン太がゴロリと寝返りを打ってメグの方に顔を向けた。


「ようあるんがスポーツ選手や。例えばやな、中学時代に飛び抜けて走るんが速い子がいてたとするやんか。その子がスポーツ続けたかったら公務員になんぞなられへんやん? で、十五の年に魔力を諦めるんやけど、大抵の子は大成せえへん。そこでまた魔法使いに戻る訳や。そいつらを俗に『もどり』言うねん」


「ええー、そんなのずるいよ! そしたら私だって別の職業に就いてから、それがだめなら公務員ってしたかった!」


「そんな甘いもんちゃうねん。実はな、魔力には生まれつき差があんねん。戻れるのはそれなりに魔力の強いもんだけや」


「ああ、なるほどね……」


「メグ、自分の指輪見てみぃ」


「指輪?」


「そや、力のあるもんはな、その石に濁りが全く無うてキラキラしてんねん。そやからひと目でわかるで」


 メグは自分の指輪をしげしげと見た。石は透明だがくすんでいるように見える。


「はあ、やっぱ私の石はキラキラしてないや」


「諦めるんは早いで。努力次第で力はついてくるもんや。スポーツかてそやろ? 天才型と努力型があるやんか。メグはコツコツやったらええねや」


「珍しくゴン太が優しい」


「珍しないわ! わしはいつでも紳士やで」


「じゃそういうことで」


 軽くあしらって再び教科書を手に取ったメグだが、内心は少しばかり感謝の気持ちが湧いていた。


       ◇◇◇◇◇


 その後の進路


 魔法の適正な使用を厳格に守るため、魔法使いの道を選んだ者は必ず各地の魔法学校に進み正しい魔法の在り方を学ぶと共に、その能力を最大限に引き出す努力をすべきであると憲章に定められている。その後、成績優秀且つ更なる教育を望む者は魔法大学へと進むことができる。

 更に、魔法の力を世の中の役に立てるため、卒業後は必ず公務員として働くことが全世界共通の取り決めである。


 使い魔が魔猫に統一されるまで


 魔法使いが国や地域の統制下に置かれていない時代には、様々な魔法動物が彼らと共に活動していた。その主なものは猫、フクロウ、カラス、ネズミなどであるが、これ以外にも多種多様な魔法動物が存在し、現在でもそれらを操る者もいる。その多様な使い魔の中で、現在第一使い魔とされているのが魔猫である。その理由は以下のようなものである。


 第一に魔猫は長寿である。およそ人間と同じかそれ以上の寿命を持つと考えられている。

 第二に魔猫は身体能力が高く俊敏で機動力に富んでいる。長時間の活動には向かない代わりに、回復は速い。

 第三に、そしてこれがいちばんの理由であるが、知的レベルが高く、魔法の習得能力もずば抜けている。生まれながらに魔力の高い個体も多く存在し、特に言語能力においてはフクロウと並んで群を抜いている。人間とのコミュニケーションを図る上で言語能力の高さは必須である。


 以上のような観点から、魔猫は第一使い魔として認定され、現在では魔法学校の卒業と同時に各魔法使いに一体ずつ支給されている。


       ◇◇◇◇◇


「ふうん、魔猫って凄いんだ。魔猫は黒猫って書いてあるかと思ったけど書いてないし、ゴン太が特別って訳でもないのかな」


 最後は独り言のように呟いたメグの言葉を、ゴン太は黙って聞いていた。

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