第32話



ふわふわで柔らかなはずのベッドは、たまにチクチクと肌を突き刺す岩のような感触を覚えることがある。



私は寝苦しさに目を覚まし、眠たい目をこすりながらまだ夜の深い庭へおりて行った。



私が眠っている間アイゼルが世話をしていたその庭は、私が世話をする時と同じように美しく咲いている。私がいなくても同じように咲くことに嬉しくなり、また少し悲しくもなった。



今日で目が覚めてから一週間が経った。怪我の具合もそろそろ良くなったので、久しぶりに外に出ている。昼間にベッドから抜け出そうとするとこっぴどく怒られるからだ。夜の庭は寂しく静かだったが、月や星、植物の囁きで満たされていた。



「ギルド、早く行きたいな。」



ぽつりと呟くと、共鳴するように風が吹いて植物がざわめく。……どうしてか、最近祝福がよく顔を出す。



祝福には自我のようなものがある。本来祝福は呪文という鍵によって開けられる扉の中の宝みたいなものだが、たまに呪文を介せずに発動する。



それは祝福の自我のようなもので、その自我の強さにはそれぞれに個性がある。私の祝福は大人しいはずだったが、2回目にかぐや姫と会ったとき以来、自我が強まっている。



うきうきと弾むようにざわめく祝福を感じながら、私は庭の薬草に力を与えた。



ひゅう、と息苦しいような胸の感触は、恐らく祝福の副作用によるものだ。レディは“白の癒し”の力によって、そこに居るだけで周りを少し浄化している。私はレディのそばにいることで副作用を抑えていたが、最近会っていないので毒が体に溜まっているようだった。



夜風の冷たさが肌に染みてきたので、私は部屋へ戻った。ベッドに戻ると、柔らかいはずのそこは未だチクチクと岩肌のように私を突き刺していた。



すっかり目が覚めてしまった私は、膝を抱えて身体を丸めるように毛布にくるまる。



暖かで静かな空気の中、頭にふと王の言葉が浮かんでは消え、浮かんでは消え、私の胸を縛り付けた。





『邪魔なんだよ』『生きているだけで迷惑』

『生まれてきたことが間違い』



『お前は必要とされていない』



『スペアのくせに』





呪いのようなそれは息苦しさを増して、頭にガンガンと鳴り響くようだった。






朝は訪れる。あの後一睡も出来なかった私にも平等に。ちゅんちゅんと鳴く見慣れた小鳥が窓辺に入ってくる。小首を傾げる小鳥を手に乗せて、指先でちょんとつつき戯れていた。



ノックされた扉から朝食を運ぶメイドは、小鳥と遊んでいる私をびっくりしたように見ながらも、朝食の準備をして去っていった。



以前も美味しかったが、最近は前よりもっと手間がかかったものが出されている。



きっと、この食事が他では当たり前だったんだろう。父ある王に怪我を負わされてからというもの、周りはやけに私に優しい。いや、本来はこの状態が正常だったんだ。




気づきたくなかった、私がずっと“可哀想”だったなんて。


思い知らされたようだった。いくら仕事を手伝おうとも、私はやはり差別されるべき人間だったことを。



テーブルで湯気を立てる食事に手をつけると、美味しい、という感情が少し湧き上がる。もう随分と前のようだが、以前はマリアと一緒に食事をすることもあった。



こんな思いをさせるなら、最初から冷たくして欲しかった。



……誰かと食べる食事が暖かいことも、久しぶりに1人で食べる食事が冷たいことも。



ああ、それともこんな私を笑うのが目的だったのか。一時の戯れで舞い上がっていた私が馬鹿みたいだ。いや、みたいじゃなくて……ただの馬鹿だったんだ。



違う、違うそう思いたくないのに、あの優しさを嘘だと思いたくないのに、彼らが私を避けることが現実から逃れられない。



「なんで、私に信じさせたの」



もっと、見て欲しかった。“私”を見てほしかった、信じたかった。



美味しいと感じたはずの食事が段々と味気なくなって、私はそれを無理やり胃に入れた。



今日もまた、部屋に居なければならない。様子を見に来る人がいるので、さすがに外に出るとバレてしまう。



……鍛錬をしよう。強くなろう。アイゼルとヨシュアに書庫から持ってきてもらった本の山は、既に読み終えてしまった。傷はまだ痛々しく跡が残っているが、我慢出来る。



私は毎日手入れをしてピカピカに光る魔法のバングルから剣を取り出すと、バレないようにこっそりと素振りを始めた。





────────────────────





「……日に日に殿下のお心はお沈みになられているようです。部屋にいてもやることが無いのでしょう、……お可哀想です。どうにかできませんか?ヨシュア様」



と、顔馴染みである老齢の執事が眉を下げながら言う。



ライラは日に日に元気がなくなっている。毎日様子を見に行っているが、いつもの諦めたような目は更に濃く、段々と生気が抜けているようだった。



老齢の執事に頼まれてライラの部屋を叩き、そっと扉を開けた。部屋の中心で不自然に立っているライラは、完璧な笑みを浮かべながら言った。



「どうかしましたか?」



咄嗟に隠したようだが、後ろ手に隠した剣がこっそりと覗いている。



「……ライラ様、大人しくしていてくださいとあれほど……」



溜息をつきながらそう言うと、ライラは申し訳なさそうな顔をして、諦めたように剣を戻した。頬に落とす影は影が濃くなり、それを見て少し胸が痛む。



本は既に読み尽くしてしまったらしい、自由にさせてあげたいが傷はまだ治っていないし、折れた骨も完璧に治っているわけじゃない。



「……でも、怪我をした時の実戦があるかもしれないので……。ほら、怪我をした今が練習するチャンスなんですよ?」



笑って誤魔化そうとするライラに、私は溜息をつきながら言ってしまった。



「必要ないでしょう、王族は騎士に守られるべき立場なんですから。」



びきっと音を立てたように固まるライラの姿を見て、やってしまったとすぐに謝罪しようと口を開いた。



しかし、それより先にライラが鋭利な刃物を突きつけるように言った。



「……私の立場を知っていて、それを言うんですね。」



違う、と言葉を発する前に、ライラは頭を掻きむしって言葉を重ねた。



「……いえ、つい出てしまったんでしょう、ごめんなさい。私、何だかおかしいので、今日はもう帰ってください。……明日には、ちゃんと元通りになるから、だから出ていってください。」



お願い、と光のない目でそう言うとライラに謝罪すると、私は吐きそうか気持ちを抑えながら部屋を出た。



なんてことを……私の言葉にどれほど傷ついたのか、闇の中に閉じ込められたような目で見つめられて、胸が引き絞られるような思いだった。



囚われたまま、もがくことを諦めたような暗い目をこれ以上見ることが出来ずに逃げ出してしまった。これでは……あの人達と同じじゃないか……



私は落ち込んだ気分のまま仕事に戻った。その日の仕事の出来は散々で、身が入っていないと心配されてしまった。


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