第30話
そこは、夜の世界だった。
輝く満月は限りなく近く、私のいる花畑を優しく照らしている。花畑は遠くまで続いていて、端が見えないほどだった。自分がどこにいるかさえわからない。
ふと前を向くと、華やかな着物を着た、長い黒髪の美しい人がいた。彼女は自分をかぐやと名乗った。
月の花のような艶やかな笑みで微笑むと、かぐや姫は私に軽やかに歌うように言った。
『ありがとう、あなたのお陰で助かったわ。……でもね、あなた少し可哀想。自分を傷つける生き方はあなたを、周りを不幸にするだけよ。忘れないで、お姫様は強くあるべきだわ。でもそれは、一人で耐えることじゃないの。……ふふ、あなたにはまだ、少し難しかったかしら。』
長い黒髪を夜風になびかせて、かぐや姫は優しく微笑んだ。そして、唄うように、祈るように呟いた。
『孤独というものは、愛されて初めて手に入る。暗闇を恐れないで、そこには絶望と宝がある。泥の中でもがきなさい、そこには美しい花が咲く。願いを叶えたいなら強くあれ。』
かぐや姫は私に近づくと、そっと抱きしめて囁いた。
『特別よ、これもあげる。』
そういうと、白い陶器のような手で袂を探った。取り出した小さな瓶には、一粒の雫が入っている。
はい、と差し出されたそれに口をつけた。
水のようなそれを飲むと、ふわりと宙に浮かぶような心地がする。きらきらと内側から光るようで、足元の花畑がその光に触れると、嬉しそうにざわめく。
『さあ、行きなさい、ライラ。……強くあれ、月夜に愛された子よ。』
星の煌めきを飲みこんだように、ぱちぱちと胸の奥がざわめく。私の意識はだんだんと薄くなり、かぐや姫の姿も消えていく。
待って、まだ聞きたいことがあるの。
……強くいれば、私もお姫様になれる?
口を開こうとするも、体が上手く動かない。眠りに着く寸前のような意識で最後に見たのは、かぐや姫の柔らかな笑みとかすかなお化粧の香りだった。
ふわっと足元をすくわれたような気がした直後、私の意識は完全に閉じた。
「……、…ラ、らいら、ライラ!」
ふ、と瞼を開けて、ぼんやりとした視界に映ったのは、クリーム色のサラサラとした髪だった。少し目線をずらすと、薄緑色の瞳が心配そうに揺らめいて私を見ている。
「……ア、っぐ……」
アイゼル、と声を出そうと喉を開いたが、出てくるのは言葉にならない呻き声だった。
「喋るな、安静にしてろ。ここがどこかわかるか?俺がわかるか?」
アイゼルは手を背中に回すと私の体を慎重に、もどかしいほどゆっくりと起こした。
「……ここは自室で、あなたはアイゼル。久し、ぶりですね……元気でしたか?」
本当に久しぶりだ。手紙は交わしていたが、会うのはお茶会以来で、顔を見ると少し嬉しくなる。
アイゼルはそばの机をどんと叩くと、怒りを滲ませる目で私を睨みつけた。
「馬鹿野郎、お前一週間も起きなかったんだぞ!兄さんが泣きながら家に帰ってきたと思えば、お前が死にかけてるって聞いて、俺がっ……どんな思いでいたかわかるか!」
息を飲んでアイゼルを見ると、アイゼルははっと罰が悪そうにトーンを下げた。
「……手紙には当たり障りないことばっかり書きやがって、お前のことずっと心配してたんだぞ。いつのまにかこっそり城の外にも出てるし。……街を歩いていたらお前がいるの見かけた。変装雑だよな、もう少し顔隠せよ。知ってる人が見ればバレバレだし、知らない人が見ても目立つぞ。」
見られてたのか。じとっと私を恨めしそうに見つめるアイゼルから目をそらすように首を曲げた。
「うぐっ…!っくぅ……!」
ビキリと嫌な音のした首に手を当てようと腕を当て、その腕にも激痛が走る。
「お前、本当に瀕死だったんだからな、大人しくしろって。」
甲斐甲斐しく世話を焼くアイゼルは、私をもう一度ベッドに寝かせると大人を呼びに行った。
友達って、こういう感じなんだ
心がなんだかムズムズして、私は顔を緩ませた。
医者やヨシュアが来ると、大袈裟なくらいの心配と病人食をもらった。しばらくは安静にしておけ、ときつく言われたが、暗殺者はいつ襲って来るかわからないし、鍛錬は欠かすと腕が鈍ってしまう。破ろう、と心に決めると、私は心配そうに言うヨシュアに少しの罪悪感を覚えながら、完璧な笑顔で誤魔化した。
「強くあれ」ってこういうことでしょう?かぐや姫。
ヨシュアと医者が帰ると、アイゼルも少し話をしたあと帰っていった。
アイゼルは私と違って忙しいのに、わざわざ時間を作って毎日見舞いに来ていたらしい。庭の花や薬草も丁寧に世話されているし、窓辺には見舞いに持ってきたと思われる花がたくさん置かれている。
「もちろんお菓子も持ってきてたぞ、後でメイドに言っておく」と満足そうに言うアイゼルが可笑しくて、私は痛む体を我慢して小さく笑いをこぼした。
アイゼルが帰ってしばらくすると、どこかで見たようなメイドが病人食とアイゼルが持ってきたお菓子を持って入ってくる。心配そうに体調をたずね、優しく丁寧に体を拭いてくれる。いつもと全然違う扱いに少し戸惑っていると、メイドは苦しそうに言った。
「……殿下はまだ10にも満たない子供ですのに、なんて酷いことを……。城の者達は皆殿下のことを心配しております。都合のいいことを、と思われるやもしれませんが……」
そう言うと、彼女は少し潤んだ目で私を見た。
「あの時、薬草の価値は普段の10倍以上の値がついていたのです。殿下から頂いた薬草は、城全体に行き渡っても余るぐらいでした。皆、殿下に感謝しておりました。……同じくらい、自分の罪深さも感じておりました……」
そう言うと、彼女は地に頭を擦り付けるように頭を下げた。
「頭をあげてください、謝らないでください。……いいんです。私が疎まれるのは当然ですから。あなた方が、謝ることではないんです、私が王家の色を持たないのは、私の責任ですから。」
メイドは何かを言いたそうに口を開いたが、ぐっとこらえるように引き結ぶともう一度お礼を言って帰っていった。
体は酷く痛むが、食欲には勝てなかったので病人食を食べてから寝ることにした。
あつあつのお粥を食べていると、ふと窓辺の赤い花が目に映る。
「……早く行かなきゃ。」
真っ赤な髪を思い出すと、私はそう呟いた。
結局、その後数人が様子を見に来たり、謝罪しに来たりと訪ねて来たので、痛む体を長時間我慢する羽目になってしまった。
そして、皆がそこまで心配するほど酷かったらしい私の容態を、マリアとソレイユが見に来ることは無かった。
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