第6話
寝耳に水だった。
「賊が入った?」
執務室で、愚鈍な王の代わりに王妃である母と共に仕事を片付けていた夜のことだった。
なんだか外が騒がしいと思っていたが、いつもと同じく大量の仕事に追われていたので全く気にも止めていなかった。
「それで、侵入者は全員捕まえたのか?」
ああ、また仕事が増える……と痛むこめかみを抑えながら、報告に来た騎士に問う。
隣にいる母からはチリチリとした殺気が漏れだしている。今にも射殺すような目で騎士を睨みつけないでほしい。
しかし、無理もないだろう。ソフィア様が亡くなってからというもの、母と私は休む暇もなく働いている。
仕事のできない王の代わりに寝る間も惜しんで仕事をしている私達の仕事が増えるのを、どうして怒らずにいられようか。
「は、はい!い、いいえ!」
矛盾した返答をする騎士に首を傾げた私たちは、そのオドオドした様子にまたイライラが募る。
「どっちなんだ、はっきり答えろ」
「お、王城に侵入した賊は全員捕らえましたが、問い詰めたところ、離宮に数名ほど侵入した賊がいたそうで……い、今!他の者が向かっております!しかし、少し距離があるので今ひとつお時間を頂きたく!!」
この騎士は今なんと言った?離宮?離宮といったか?広い庭を隔てた、5年ほど訪れることが出来なかった、離宮に?
「ライラ……!!」
ガタンと椅子を蹴倒す勢いで立ち上がると、私と母は慌てて外へ飛び出した。
廊下を全力で走り抜けていると、後ろから私達を呼び止める騎士の声が聞こえる。
「マリア様、ソレイユ様!行ってはなりません、危険です!まだ捕まったという報告は受けておりません!」
「何を言っているんだ、危険なのはライラも同じだろう!そもそも、何故離宮に騎士がいない!?」
「な、なぜと言われましても……そ、そもそもライラとは一体どなたでいらっしゃるのですか!?」
私は信じられない思いで足を止めた。
隣の母も目を見開いて騎士の方を見ている。
「お前は……自国の王子の名も忘れたか。
私の……私の弟の名を、知らない、と?」
目の前の騎士が真っ青になるも、私はその騎士に既に興味を失っていた。
今は一刻も早く辿り着かなければ。
不甲斐ない兄ですまない、ライラ。
広い庭を通り抜けて、離宮の長い廊下を走り抜ける。足が絨毯を踏み込む度に埃が舞っていたが、今はそんなことを気に止めている暇はなかった。
割れた窓ガラスやぐちゃぐちゃにされた調度品などの向こうに、血を流して倒れているメイドと執事がいた。
その奥にある、蹴破られた扉から血なまぐさい臭いが風に漂ってくる。
私は最悪の事態を脳裏に思い浮かべてしまうと、慌ててかぶりを振ってその考えを打ち消した。
急いで扉に近づき中を覗き込むと、その部屋の中はとてつもなく酷く荒らされていて、部屋の中央には、爛々とした金色の目を獣のように光らせた少女が立っていた。
その少女の周りには大きな男たちが倒れ伏していて、ぴくりと動くこともしなかった。
少女はボサボサの長い黒髪を振り乱し、皮と骨で出来ているような小さな体には、昔からあるであろう傷と、まだ新しい切り刻まれたような傷跡が混在している。
少女は血にまみれていたが、ほとんどが男達の返り血であるようだった。しかし、その腹には剣で刺されたような血の跡が無数にあり、赤黒い血が床に滴り落ちている。
今にも倒れそうな少女はそれを庇うように、荒い呼吸で必死に紅い剣に掴まってふんばっていた。
私と、私に追いついてきた母はその惨状に呆然としていた。部屋の中央に立っている少女は、私達に気づいたのか、ふらりと顔を上げるとこちらの方を見た。
ぎらぎらと光る金色の目は、その少女が出す殺気や闘気と相まって、少女をケモノのように見せた。
少女は近くに投げ捨てられている折れた剣を拾うと、私達の方へぶん投げた。
剣は軌道をそれて壁に突き刺さったが、少女はそれを見るまもなく、気を失うように床に倒れた。
私と母は慌てて部屋中に踏み入ると、少女を抱き抱えるように支えた。近くで見るといっそう痩せていて、痛々しい傷跡は全身にあるようだった。
私達は今までこの子供を少女と認識していたが、……よく見ると少年で、黒髪で、金色の目であることが分かった。
このみすぼらしい少女のような少年が、一国の王子に相応しい扱いを受けていなかったであろうことは明らかだった。
王城に連れて帰り、ライラを清潔でふかふかのベッドに横たわらせ、医師の手当を受けさせている間、私と母は沈痛な面持ちでライラの顔を見ていた。
「この子は……私達が仕事に追われていた間、どのような扱いを受けていたのか……想像したくもない。離宮でちゃんと育てられているとばかり……」
「ひどい傷……日常的に暴力を振るわれていたのでしょうね……サラにもソフィア様にも頼まれていたというのに……」
母はくしゃりと顔をゆがめると、口を手で隠し静かに涙を流した。
「仕事のせいにして5年もあっていなかったのよ……初めて見たライラが……こんな、こんな……これは私の怠慢よ……」
いつも頭の片隅にはライラのことがあった。
黒髪で金色の目の、私の弟のことが。
5年前、私が6歳の時、ライラの母であるソフィア様が亡くなった。
その後から猛烈に忙しくなった。子供らしい遊びは何もした記憶が無い。
他の子たちより圧倒的に優れていた私は〝神童〟と呼ばれ、王子がしなければならない大量の勉強の他に政務もしていた。
何故6歳の子供が政務までしなければならないか。答えは簡単だ。王がしないから。
本来ならば子供がすべきことではなかっただろう。しかし、大人と同レベルの思考をていた私が、人手が圧倒的に足りていなかった当時に駆り出されないわけがなかった。
ライラに会いたくても、私も母も会えなかった。その理由を傘にライラの様子を見に行かなかった結果がこれだ。
私達はやはり驕っていた。ライラは私達にとって大切な家族である。それに公爵令嬢を母に、王である父を持つ正真正銘の王子だ。
その黒髪と金色の目は王族が持っていてはいけない色だと、私達は忘れていた。
貴族は金色の髪と緑の目を持つ王族の色を大事にする。王城で働く、王族に近しい者には貴族が多い。……どうなるかは火を見るより明らかだ。
ライラが運ばれたあと、少し調査を入れよう。父上の侍従が数年前に不審死していたが、……ライラの様子を見に行ったのも、あの侍従だった。もしかすると、……いや……
荒い呼吸を未だ立てているライラは、眉間に皺を寄せ、苦しそうな顔で呻いている。
どれだけの痛みを背負って生きてきたのだろうか。5年あまりを、よく……
ライラの額に張り付く、手入れのされていないゴワゴワの髪をそっと梳いて、目に被さらないように横に寄せた。
痩せこけた頬は栄養不足で真っ白で、唇は血で汚れている。
ライラはこれまで1人ぼっちで頑張ってきた。
次は、私の番だ。
いつの間にか夜が明けて、鳥がちゅんちゅん鳴いている。朝日がカーテンの隙間から入ってきたのを見て、寝ずにライラの様子を見ていた私と母は、目を細めた。
私はベッドのそばに置いていた椅子から立ち上がると、窓辺へ近づいた。
カーテンを開け、窓を大きく開くと、外から爽やかな風とともに光が差し込んでくる。
チュンチュン、とどこからともなく鳥が窓辺へと降り立った。その鳥はくちばしに小さな枝を加えていて、しきりに首をクイクイと動かした。鳥の視線の先にはライラがいて、まるでライラのお見舞いに着ているかのようだった。
少し明るい気分になった私は、その枝を受け取ると、ライラのそばへ持っていった。
ライラの手にその枝をそっと寄りかからせると、私と母は目を疑った。
枝が伸びているのだ。葉や花が光をまといながら成長している。
その成長と比例するように、険しい顔だったライラの表情はどんどん穏やかになり、荒い呼吸はすうすうと小さな寝息に変わった。
「……緑の、癒し……?」
「……ハッ……そんな、まさか……」
乾いた笑いに答えるように、枝がまとう光は輝きを強めた。
……緑の癒しの祝福はどんなものだったか……後で詳しく調べておかなければ……
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