Agnus Dei 2

 ホウリュウ大佐は珍しく、ねぎらいの言葉をかけてくれた。「零式レイシキ」を追い返したことがそれほどのことだったからだろう。そして、またすぐ戦いになるかもしれないから今のところは休んでくれ、と自室待機を命じられた。

「うなされてた」

 部屋に戻るなりセリナは、たった一言だけ言った。

「そう……」

 僕はこんなとき、なんと言っていいのか、よくわからない。

「アヤノのこと、まだ忘れられないんだ?」

「それは、そうだよ……」

「『V』になった理由、それだもんね」

 僕は黙ることしかできない。

 セリナは責めるような口調ではなかった。けれど、どこか責めているような気がした。

 セリナがVになると言った日、僕は全力で止めた。彼女は詰所ステーションの図書館で働いていて、わざわざドラゴンと戦う理由がなかったし、僕は彼女が戦いに向いているとは到底思えなかった。

 けれど、実際のところ、こうして今の今まで、僕はセリナに助けられている。彼女は奇跡的にVの適合がよかった。僕みたいに翼が不均衡になることもなければ、鱗もすぐに剥がれたりしなかった。ただ、長い武器を持てないことだけが、弱点だろうか。けれど、彼女がいなければ、僕はとっくの昔に死んでいただろう。

 とっくの昔に、死ねただろう。


 僕とコウサキ・アヤノが出会ったのは、とある任務で同じ仕事をしたところだった。僕は昔、詰所ステーションの守衛をしていた。守衛といっても、今のようにVをとりまとめるだけではなくて、もっと実践的な、たとえば火器を使ってドラゴンを撃退するような作戦に参加したりもしていた。僕はいわゆる下級士官で、部隊をとりまとめながら戦闘機で詰所ステーション周辺を哨戒したりしていたのだ。信じられないことではあるが、「零式」が現れる前は、今よりドラゴンの数も少なく、それほど大きな個体もいなかった。竜段レベルも当時は3までしか設定されていなかった。4や5に匹敵するドラゴンも稀にはいたが、稀だったので竜段レベル3として処理されていたのだ。

 そんなある日、Vの部隊を持っていなかった僕は、偶然Vと共同作戦を命ぜられた。

 その時の部隊長が、コウサキ・アヤノだった。

 身体にドラゴンの遺伝子を埋め込まれた兵士、と聞いた僕らは恐ろしい想像をしていたが、実際の彼女たちは、年端も行かない少女のような見た目をしていて、大層驚いた記憶がある。コウサキ・アヤノはその中でもひときわ小さく、大人しそうな見た目をしていた。宇宙線に曝されているはずの黒髪はまだ艶があったし、やわらかな一重まぶたと柔和な目つき、首もとの病的なまでの白い肌、そして、四肢を覆う地味な色合いの茶色い鱗。最初僕は、彼女が部隊長と聞いたときに少し危うさを感じたほどだった。

「サエグサ・ハルカさんですね、よろしくお願いします」

 僕はVについてのことをほとんど聞いていなかったので、後でわかったことだが、この時点でアヤノは東京詰所トウキョウ・ステーション始まって以来の最強の兵士であったのだ。

 僕の部隊は、彼女たちの支援をすることだった。ドラゴンとVとの戦闘記録を採りつつ、傷ついた彼女たちをいち早く詰所ステーションまで輸送するという新たな作戦の試験をするために、僕らの部隊とアヤノの部隊が選ばれた。

「第一部隊は、何名ですか?」

「私を含めて五人です」

「では、僕の部隊と同数ですので、一人ずつ担当を決めましょう。部隊長の貴女は、僕が担当します」

 と、こんな具合に打ち合わせは進み、合同作戦は開始された。


 アヤノの戦い方は美しかった。どんな飛行機乗りにも出来ないような空の曲芸を、彼女はやすやすとこなしていく。四、五体のドラゴンを同時に相手にしながら、身の丈よりも長い剣でその首を切り落としていく。あっという間に戦闘は終わり、僕たちはもとより、他のVたちもほとんど何もせずに済んでしまうことがほとんどだった。戦闘記録も、ほとんどは彼女の圧倒的な戦力を他の詰所ステーションに見せつけるために用意されたもののようで、上官からの指示は、いかにアヤノを美しく、強く見せるかということだけに集中していた。

 おしとやかで可憐な物腰で、ドラゴンと会いまみえる時も、まるでダンスを踊るかのように優雅に捌いていく彼女をカメラで捕らえていくうちに、僕はアヤノに惹かれていった。

 やがて合同任務は、今はなきサンパウロ詰所ステーションに部隊を救援に向かわせることになって終了した。

「ハルカさんの部屋って、層番号はいくつなんですか?」

 解散を命じられたあと、アヤノはこっそりそんなことを聞く。

「第三戦略層だけど……僕は不要な外出はできないんだ」

「では、私がハルカさんに会いに行けばいいですね」

 その紫色の瞳には、仄かな輝きと確かな力があった。

 Vとして生み出された者は、本来の人間にはない紫色の瞳になるという。しかし、その中でもドラゴンの遺伝子との適合はあるみたいで、人によっては部分的に赤に寄ったり、青に寄ったりしているのだが、アヤノの瞳は斑がなく、藤色に近い不思議な紫色であった。

「貴男は不思議な人です。守衛なのに、殺意を感じない。だから、もっとお話がしたくて」

 僕が彼女に惹かれつつあるのをわかっていたのか、いなかったのかすら、もうわからなかったが、アヤノは積極的だった。そもそも僕は積極的な女性を今までほとんど見たことがなかったから、それも新鮮だったのだけれど、今になって思えば、その積極性がなければ僕はアヤノに執着することもなかったのだろう。悲劇なのか運命なのか、それはきっと誰にもわからない。

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