『芥川賞の偏差値』小谷野 敦

『芥川賞の偏差値』小谷野 敦∥著(二見書房)2017/03



著者の小谷野敦という人、おかしいのです。三島由紀夫の『美徳のよろめき』で、主人公の人妻と不倫相手が初めての情事の翌朝、全裸で朝食を食べるというシーンを、実際に奥様とやってみたっていうんです。そんで三島自身はこれをやったことはないと確信したっていうんです。ひょえっおかしいから! と私はドン引きしたんですが、対談相手の小池昌代さんは「立派!」と拍手喝采してらした(『この名作がわからない』)。そうか、立派なのか……。


著作をいくつか読んでいると、しょっちゅう出てくる言葉があるのです。「モテる男は面白い小説を書けない」。なるほど。モテる女性が書く小説はどうなんだろうと気になるところです。


そんな小谷野氏が第1回から156回(2016年・下)までの芥川賞受賞作に偏差値をつけているのですが、これが厳しい。大体が44から38あたりに固まってる。何故なら芥川賞には「退屈であること」が求められるから。


「いかにもうまいという風に書いて、かつ退屈であることが重要なのである。」「芥川賞というのは、「文壇構成員」の入社試験のようなものである。だからそこでは、圭角のない、人と争わない人が求められるのであって、決して優れた文学作品が求められているわけではないのである。」(あとがきより)


そう書いている著者も二度芥川賞候補になってます。二度目の「ヌエのいた家」のとき、時評では受賞作品よりも上位だったのに選考では最初に落とされた。それで選考委員に対しては「みんな死ね。」受賞したものの売れなかった作者に対しては「ざまあ見ろ。」(p342) こんなこと書く人だから受賞できなかったのですねー。私は好きですけど(←!?)


「つまらない」「よく分からない」「こんなのに受賞させるなんてどうかしている」と低評価続出な中で、最高の偏差値72が付いてるのが、村田沙耶香「コンビニ人間」李良枝「由煕」高橋揆一郎「伸予」。特にコンビニ人間の回は候補作を含め「いったい芥川賞に何が起きたのかという回」で「選考員どうしちゃったんだ」(p348)と大絶賛(?) 「コンビニ人間」があまりに面白くて村田の本を手当たり次第に読んじゃったそうです。そうなのか、私も読まなきゃ!


とまあ、独断的な芥川賞作品振り返りな本書ですけど、文壇史に詳しい著者らしく気になることや、いいことも書いてくれてます。


「久米正雄は、どんな人でも一つだけは優れた私小説が書けるはずだと言った。ただしそのためには「度胸」という才能が必要であろう。」(p43)


1943年、候補にあがったものの受賞できなかった「伝染病院」の作者柳町健郎(本名宮川健一郎)に太宰治が送った手紙なんてちょっとほろっときちゃいました。

「よく書いたね、/と言って宮川君の肩をたたきたい気持です。/芥川賞なんて、どうでもいいけど、でも、井伏さんも一票投ずると言つてゐますし、私も、もちろんそのつもりで居ります。でも、そんな賞などは、あてにしない方がいいかも知れない。賞よりは、僕たちの支持、またはあなたの良友たちの支持の方を、うれしく思つて下さい。」(p68)

第1回で落選して「刺す。さうも思つた」なんて川端康成に向かって書いた太宰がいうからひとしおですよね。


第108回の多和田葉子「犬婿入り」のところでは、

〈なおこの頃から、女性作家が異類婚姻譚を寓意に使うことが増えてきた。(中略)神話や民話・伝説をもって現代文学を活性化しようという試みがあり、笙野頼子などもやっているが、そんなに成功はしていない。/近代文学は私小説・自然主義で貧血に陥ったから、神話や物語で面白さを取り戻そうという論がおかしいのは、そういうことは通俗小説やSF・ファンタジーではとっくにやっているからで、そういう手法を用いてなお純文学であるとはどういうことか、ということが議論されなければならないのに、そういう議論がないのである。蓮實重彦が『小説から遠く離れて』で批判したのは、そういう反省のない、純文学扱いされている作品群であった。〉(p260より)


これなんかもジャンル闘争ですよね、要するに。もはや純文学でないものが、純文学として扱われちゃうから、こんなん純文学じゃねえって反発が起きる。ならばやっぱり、公平にAIにジャンルの判定を……(ダメな意見再び)


ちょっと蛇足になるのですけど、井辻朱美が『ファンタジーを読む』で、昔に比べて命がけでファンタジーが好きですっていう学生が少なくなった、ハリーポッター以降ファンタジー作品が増えると思ったのにそれほど見当たらない、はて? となって周りを見回して気が付いたのは、他ジャンルでファンタジー要素が当たり前に描かれるようになっていたってふうなことを書いてるんです。

この頃私はちょうどLINEノベルで最近の文芸作品を読み漁るようになっていて、現代ドラマの中で突然ファンタジー設定が飛び出す作品があって、なるほどーってなりました。


井辻朱美はこうもいってます。不思議な現象に際して説明をするのがSF、説明をしないのがファンタジー。最近の読者(映画やアニメの鑑賞者も)は説明のないことをファンタジーとして受け入れてしまう。

井辻朱美はそのことに対して批判的ではないのですけど、私はファンタジーという回路を便利に扱い過ぎている気がして嫌になりました。何でもファンタジーで済ませるなよ。


閑話休題。あと、私がいっとき気になっていた移人称の問題についてですね。

第149回(2013・上)の「爪と目」は二人称で話題になったと私も覚えがあるのですけど。

〈この頃から小説の人称を論じるのがはやるのだが、人称なんて大した問題ではなく、視点人物が問題なのだとはジェラール・ジュネットがとうに指摘したことで、「あなたは心に痛みを感じた」といったらそれは単に視点人物を「あなた」と呼んでいるに過ぎない。(中略)まともな文藝評論家が文藝誌から追放されたからこういうバカバカしいことが起きる。〉(p339)


移人称論争のピークがどうやら2014年。これがきっかけだったのかと今更ながらに納得。そんなことを知らないワタシは去年この論争を辿ろうと頑張ったわけですけど、それこそバカバカしくなってやめちゃいました。まさに上記にある通りです。人称変わってないから、視点主(語り手)の主語が出てこなかっただけだから、最初から最後までまるっと一人称だからっていう。「移人称」扱いされちゃってる作品の中には確実にそういうのがあります。


それよりも、もっとあからさまな移人称である、エンタメ系の小説で多用されてるサイド方式とかいうヤツ。あれはあんまり槍玉にあがらないのですよねえ。なんで? エンタメだからいいのか。そうか。エンタメならいいのか。

そういう諸々、どうでもよくなっちゃいました。どっちみち、私はスタンダードにしか書かないのだし。みんな好きに書けばいいんだよ、うん。楽した書き方したあげく、面白くなかったら目も当てられないですけどねー。


合間合間にコラムがあるのですけど、これも気になることだらけで。上の引用にもちょろっと出てますけど、まともな文芸評論家がいなくなってるってことです。以前は江藤淳など作品を厳しく批判した。でも江藤の晩年あたりから文芸雑誌で作家の批判はしづらくなってきたっていうんです。遠ざけられちゃってる評論家の中に斎藤美奈子の名前があって~。私は斎藤美奈子が好きなんですよ、辛口でユーモアがあって。渡部直己も、当たり前のことを当たり前に注意してるって感じの批判なのに、ダメなんですね、そういうの今では。批評は辛口の方が面白いのに。


それと公募新人賞の実情ですかね。雑誌に載せてもらえなくなった作家が再度新人賞に応募することは結構あって、小谷野氏も芥川賞候補になった後に松本清張賞と文藝賞に応募して落とされたそうで。


〈ほかの人の応募作とか見ていて、あれはどういう基準で選ばれているのかというのが謎である。受賞作がくだらないこともあり、選評で散々に言われていることもある。(中略)日本語になっていないのもあると聞くが、問題はその上で、思うに四割くらいは「どんぐりの背比べ」で、途中で下読みとか編集部とかの好みで最終候補が決まっているのではないかと思う。〉(p326)


以前に、えーきちさんが、編集者と選考委員との温度差、みたいなことをおっしゃっていたのですけど、その通りなんだろうなーって私もあちこちの講評を読んでいて思います。どこのジャンルでも悩ましいのですねえ。


そんなこんなで、書きたい放題の著者のあとがきでのお言葉がこちら。


〈それにしても、いわゆる「文学」は終わりに近づいている。(中略)石原千秋は、自分のような年長者は、「おくりびと」になればいいが、若い人は気の毒だと書いていた。だが私は、これからの純文学は、ウェブ上に何も介在させずに発表するだけでいいと思う。〉


なるほど。「純」文学ですからね。何にもまざらず、その方が良いのかもしれません。



初出:読書メモ㉓近況ノート2020年3月15日

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