I -現を侵す紅く丸い錠剤-

木村竜史

お告げの講義 前編

「ねぇ、『お告げ事件』って知ってる?」


 部屋の中心にある、乱雑に本が積まれている長机の一番奥。その春の穏やかな日差しが入り込む窓際の椅子に腰掛けている女性が唐突に語りかける。現在の時刻は午後3時。8畳程度の狭い部屋の両側に本棚を積み上げ、更に長机の置かれたこの場所には、彼女と僕自身しかいない。つまりは、それだけでは誰に言ったかわからない声は僕に向かって放たれているものであった。


「いや、どっかで聞いたことある気がするけど、多分見当違いだろう。わかんないな」


 若干面倒に感じながら、思ったままのことを返す。自分自身の経験上、彼女――三倉邑兎(みくら ゆう)が唐突に何かを言い出す時は決まってロクでもない事であることを、彼女とこの部屋の中で行われていた約3年間の付き合いの中で嫌というほど理解していた。


 僕と彼女がいるこの場所は自然と都市部が調和した比較的小さな市街地、久我市の外れにある私立陣内大学の隅にある部室棟の一室――オカルト研究部。この部屋の中で部長である彼女が話す内容は、つまりはそういう類の話なのだろう。


「んー。やっぱり畑中賢治(はたなか けんじ)クン、君は無知だねぇ。じゃあこれからあたしの『講義』の時間とさせてもらおうかしらねぇ。ありがたーいお言葉、じーっくり聞きなさいな」


 勿体ぶって人の事をフルネームで呼ぶ時は、邑兎がこれから行われる『講義』とやらがそれなりに長くなる時だ。手元に置かれたUMA大全集に視線を落とす。


 今日は先程終わった3限目の授業だけ出ればいい日であるが、明日に行われるこの大学に夢と希望を持ちながらキャンパスのアーチを通り抜けるであろう新入生を勧誘する準備をすると邑兎から連絡があり、折角なので人が集まるまでの時間潰しにこれでも読んで時間を潰そうかと早めに部室に寄ったらこれだ。


 十数分前の自分自身の行動に激しく後悔しながらも、結局は彼女に気圧される形で『講義』を耳を傾ける。


 正直なところ、僕がこのオカルト研究部に在籍している理由はただの数合わせだ。部長の邑兎の両親が僕の住むアパートの大家であり、入学直前に不動産屋で偶然居合わせた邑兎の尽力により築10年日当たり良好・風呂トイレ別・ガスコンロ完備の10畳1Kという大学生にしては好待遇の部屋を田舎からの仕送りと軽いバイト程度で住めるほどの家賃で提供してくれたのだから、恩義があるというか、彼女には頭が上がらない。


 長いこと彼女の話を聞いたり、暇を潰す為に本棚に収められた本を何冊も目を通してみて知識を取り入れてみたものの、それでも邑兎の『講義』はメルメンホトリーノだの西野通書だの意味がまるで分からない専門用語の連呼や脱線が多く、基本的に何を言っているのかさっぱりわからない。そんな言葉の密林をくぐり抜けながらわかる言葉だけを抜き出し、自分なりに解釈すると邑兎は具体的にはこのようなことを言っていた、と思う。


 『お告げ事件』とは、主に若者を中心とした加害者達が夢の中で自分自身にもたらされたお告げを信じたと証言している、この国で十数年前から散発している数々の事件の総称である。


 喧嘩のような傷害から強盗、果ては性的暴行から殺人事件まで起きているこの事件であり、この陣内大学がある久我市だけでなく全国で偶発的に発生しているこれらは、警察の見解では加害者が若者中心であることから最初は新しいドラッグの影響で行われたものと判断し徹底的に身体検査が行われた。結果はよくある合法ドラッグが検出された加害者も確かに何人か存在していたのも事実であるが、大多数が薬物の反応が検出されることはなく、『お告げ』を証明する決定的な証拠は掴めかったというのが調査機関等の見解であった。


 更には加害者の共通点も少なく、件数もそこまで多くないこともあり、ただの偶然か集団幻覚の一種という認識であるというのが知識人やテレビや新聞をはじめとしたメディアの出した結論であるが、一部のサブカル系の雑誌やアングラなサイト、更には都市伝説などを扱うオカルト研究家などが、ここ最近になって急速にこの事件に関して取り上げはじめたというのだ。当然、オカルト研究部に所属している邑兎がこの話題に食いつかない筈もなく、雑誌やインターネットを巡って調べた結果、この後に彼女が語る仮説に行き着いたということらしい。


 つまりは、今まで話してきたこと全てがこれから語られる仮説への前置きだ。これだけでおよそ1時間は語り続けている。オカルトではなく、演説でも研究した方がいいんじゃないかという突っ込みを入れたくなるが、それをすると話がもう1時間延びるので口を噤んで『講義』に耐えることに集中する。


 『講義』が佳境に入り、自ずと放つ言葉に熱が入ってきたのだろう。邑兎はパイプ椅子を蹴飛ばしながら立ち上がり、大きな声で叫ぶ。


「これは、きっと外宇宙からの啓示に違いない!」


 一瞬の静寂の中を天井に設置された空調から吹かれた乾いた風が僕と邑兎の間を通り抜ける。後ろで纏められた邑兎の長い髪の毛が、立ち上がった勢いとは別の方向に揺れていた。


「……いや、どうしてそうなる?」


 思わず僕の口からこぼれ落ちた呟きを、三倉邑兎という女性が聞き逃すことはなかった。元々つり目気味の邑兎の目尻が更に上がるのを見て、地雷を踏んでしまったと確信して頭の中で印を結ぶ。南無三、これはもう1時間コースだ。


「聞いていなかったのかな!? じゃあもう一度説明したげるからニューロンの接続をオープンにして聞きなさい! マルコシアスエフェクトにより電磁波が6重螺旋を描く時、外宇宙の存在から光の速さの7倍以上の速さで地球にやってくるんだよ! そしてそのメッセージはオゾン層に衝突することによりユンオネス信号によく似たリズムへと変換された後に空気中の窒素の間を速度を変えることなく通り抜け、ナッカラ効果によりヒトの脳内に直接響き渡り―――!」


 邑兎が廊下にまで突き抜けそうな大きな声で『講義』を再開し始めた瞬間、部室棟内に間抜けな鐘の音が鳴り響く。この気の抜けるような連続した音は1時間ごとに鳴るものであり、今回は午後5時を告げる音だった。そして、殆どの講義が終わりを告げる音でもある。このタイミングを逃す手はないと判断した僕は、慌てて邑兎に向かって一手を打つ。


「ほらほら部長、『講義』の途中だけどさ、そろそろみんな集まってくるから。明日の準備しないといけないだろ?」


 背中に冷たさに感じながら、半ば懇願するように中断を求める。あわよくば、ここで話が終わってくれれば御の字だが。


「むぅ、せっかく調子が出てきたのに。じゃあ、続きは準備が終わってからネ!」


 僕のそんな目論見など当然お見通しだと言わんばかりに、わざとらしくウインクを一発。口を開いたまま何も言えなくなってしまった僕のことなど見ずに手際良く机の上に散らばった資料を片付けていく様子は、出来る女性そのものだ。


 傍から見ればすらりとした細い手足と切れ長の眼をした上品な猫を連想させる美女と言ってもいいルックスの邑兎ではあるのだが……オカルト研究部の部長という肩書とこの4室隣、果ては2階下まで甲高い声が聞こえると有名になってしまった『講義』のお陰で男に口説かれた等という浮ついた話は一度しか聞いたことがない。


 話を聞く限り、その男は美人の彼女というステータス目当てに近づいたのは想像に難くないのであるが、如何せん相手が悪すぎた。三日三晩ほぼ休むことなくで彼女の『講義』を聞き続けた結果、体調を崩してかなりの期間を休学するハメになった……らしい。あくまでこれは噂で聞いたレベルの話ではあるが、それから邑兎に声をかける男の姿が見えなくなったのだから、信憑性のようなものはそれなりにあるのだろう。


 そして、偶然か必然か。彼女の下に集まってしまったメンバーは現在5人。


 殆ど顔を出すことのない人もいるし、そもそも邑兎以外の全てが僕のような数合わせであったり、オカルトにあまり興味が無い、ただの暇潰し目的で参加しているような僅かな数の部員たちであるのだが、この大学の中で邑兎の影響というものは非常に大きかったようで、『変わり者集団』という認識を持たれてしまっている。今ではもうすっかり慣れてしまったのだが。


 実際のところ部が示す名前の通り、オカルトを研究しているのは邑兎一人と言っても過言ではないのだが、それでも来年で卒業してしまう彼女は最後に何か大きなものを見つけたいのかもしれない。


 正直彼女の謎の行動に付き合う気は毛頭無いが、部室の椅子に座ってロクでもない時間を過ごすのは存外悪くは無かったし、あと一年足らずの期間ぐらいはこの椅子の下にいて、静かに時を過ごすのも悪くはない。


 どうせ、もうすぐ各々の進路が決まり、皆が違う道へと進んでいくのだ。大学生活最後の猶予期間を、どうせなら楽しく過ごしていこう。


 ただ、この後にやってくる『講義』の続きが、今の僕にとっては非常に恐ろしいものであることは紛れもない事実であった。

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