第19話

 保の私服が昔から派手だった為、特に気にも留めていなかったのだ。習慣というのは何気に恐ろしい。 

「ほら、ね、皆元々美人は美人だったんだけどさ、全体的に地味だったじゃない? やっぱり好きな人と同じセンスでいたい所が、乙女心ってもんでしょう。キャッ!」 

 ……キャッ、じゃねぇよ、岩久間さん。けど、そんなもんなのかねぇ。 

 とは言っても、彼女等の憧れの君、保君、実は自分であのロッカーさながらな派手な服装を選んでいる訳ではないのだ。保のお袋さんというのが、親父さんとは違い派手な職業の方なのだ。若い女の子に人気のあるブランドの専属デザイナーだったりする。恐らく、聞けば岩久間さんでも知っている程の人気ブランドだろう。 

 基本的にメンズは扱ってはいないブランドなのだが、保にはしばしばお袋さん自身がデザインし、自ら仕上げたオリジナルの服を着せている。昔からの習慣なのか、自分で服を買うのが面倒なのか、保は与えられた服をよく着ている。まあ、俺に言わせれば、多分、後者だとは思うのだが、それでもその服は保によく似合っていた。 

 なので服の趣味は保の趣味と言うよりは、むしろ保の“お袋さん”の趣味と言えよう。その証拠に、保の片想いの君、内場さんもあの雑誌で見る限り化粧も薄く、服装も地味とまでは言わなくても決して派手だとは言えない。 

 もし、岩久間さんの考えが正しければ、彼女等は無駄な努力に勤しんでいるとしか言いようがない。 

 俺はそんな彼女等を気の毒に思いながら、ラーメンを啜った。ついでに伸び切ったラーメンを啜っている俺自身の事も気の毒に思えのだった。しくしく。 



     * 



 翌日、岩久間さんに教えて貰った偽被害者の娘達を探して、何となく目で女子を追っていた。 

 しかし、その結果、俺は保に比べ、本当に女子の知り合いが少ないのだと今更ながらに実感する羽目になっただけだった。 

 しかも、何だか今日は、朝から誰かに見られている気がしてならない。その感覚は時間の経過と共に強くなってきていた。 



 昼、結局誰一人見付ける事が出来ないまま学食に飯を食べに行こうとしていると、声を掛けられた。 

「カタやん、今から飯かぁ?」 

 バスケ部の練習の途中、抜け出して来たのだろう、ジャージ姿の及川だった。その手には買ったばかりだと思われるスポーツ飲料のペットボトルが握られていた。 

 そうだと答え行きかけた俺だったが、及川ならば知っているか、と振り向き肩を掴んだ。 

「ちょっと付き合ってくんねぇか」 



「あ、ほれ、あの娘、あの娘が沢木さん」 

 学食……ではなく大学側にある喫茶店。俺達は今、そこにいた。及川が言うには、多くの女子学生は、質より量の学食よりも、こちらの方がお好みらしい。 

 実は及川、俺や近藤に比べ女友達が多い。と言うかモテる。身長は俺や近藤と同じくらいあり、純日本人ながらハーフっぽい容貌で、言いたかないがはっきり言って男前だ。保とは違った層に人気がある。 

 そんな及川だからこそ、この作業に打って付けだと思ったのだ。 

 因みに、ここへ来てから、俺が今朝から感じていた視線とはまた違う視線が煩い位感じられるのだった。つまりは『及川君、素敵!』ってな視線。ちっ。 

 それでも、先程から数人の偽被害者を及川に見付けて貰うというラッキーには感謝もしていた。渋々ながら。 

 皆、一様に派手な美人だった。昨日の三浦さんに関しては、流石に劇的に変化を遂げ過ぎていた為、直ぐには分からなかったようだが、捜すのを手伝って貰う際に、『皆、昨日の三浦さんみたいに派手になってる筈なんだ』と言っておいた為か、かなり順調に発見してくれていた。 

 何か彼女等に共通点は無いかと思いながら見ていたが、派手になったという点以外、特にこれと言った物は見当たらなかった。中に一人だけ、気になるブレスレットをしている人間はいたのだが、他の人間は身に着けていなかったので、共通点とは言えないだろう。 

「カタやん、他のも頼んでいい?」 

 良くねぇよ。 

 こいつに頼み事をしたせいで、現時点でもう既にこの店のお昼のランチプレートなる物と、ハンバーグランチなる物を奢らされる羽目に陥っていた。 

 確かに店自体、女の子が好きそうな可愛らしい内装だった。しかも、料理も上品な味付けな上、綺麗な盛り付けでいかにも女子が好みそうな店である。しかし、決定的に量が少ない。少な過ぎるのだ。 

 俺が無言で及川を睨むと、ちぇっという返事が返って来た。 

「なぁ、皆、保に片想いしてると思うか?」 

 俺は店にいた偽被害者の一人を顎で示した。 

「そりゃ、してるだろうよ」 

 残りのパセリを未練がましく齧っていた及川が、何を今更、とでも言いたげに言った。 

「例の噂が流れてからこっち、新山に近付く奴ってのは確実に減ってるんだぜ。なのに今まで以上に近付いていってる人間って言えば、並の根性じゃねぇだろ」 

 根性論かよ。 

 俺が呆れて黙り込んだのを何を勘違いしたのか、及川は力説し始める。 

「それにさ、大体お前が捜してくれって言った娘達って、皆最近まで基本的に新山を遠巻きに見てる、って感じだったんだぞ。それが噂が酷くなってきた途端、あいつと一緒にいるのをよく見掛けるようになったんだ。これが恋と言わずして何と言う!」 

「……ちょっと待て。保とよく一緒にいるだと?」 

「うん。……あ!」 

 及川は自分の失策に気付いたらしい。慌てて手で口を塞ぐと、すっくと立ち上がった。 

 そして、練習が、等と呟きながら店を出て行った。途中、何度かテーブルにぶつかりながら。 

 畜生、最初から知ってて奢らせる気だったんだな。 

 俺は請求書を見て心の中で号泣したのだった。 



「あれ、田中さん、足、もういいんですか?」 

 放課後、気晴らしも兼ねて麒翔館大の図書館に赴いた。気晴らしをしようにも、完全な金欠状態に突入した為、金が一番掛からない本でも借りようと思った為だった。 

 受付カウンターを見ると、足を骨折した筈の田中さんがいた。 

「あら、久し振り。足? まだリハビリ中だけど、先ずは大丈夫よ」 

 そう言って笑った。そう言う君こそ、最近、うちの大学に来てないみたいじゃない、と。 

 いや、まぁ、等と言葉を濁しつつ、気になっていた事があるのですが、と言った。 

「私、もう少ししたら休憩だから、お茶でも飲んで行きなさいよ」 

 と、言われた。 

 三十分程経過し、カウンターから出て来た田中さんに呼ばれ、以前臼井さんに通された事務所に再び足を踏み入れる事となった。 

 まだ松葉杖を突いている田中さんに替ってインスタントのコーヒーを二人分いれ、以前と同じソファーに腰を落ち着けた。 

「で、どんな事が聞きたいの?」 

 コーヒーからゆっくりと湯気が立ち上ぼる中、田中さんが言った。 

「あの、骨折した時の事をお聞きしてもいいですか?」 

「ああ、その事」 

 田中さんはコーヒーを一口啜ると、カップをテーブルに戻した。 

 顔を上げた彼女は、苦笑いをしていた。 

「単に足を滑らせて図書館の階段から落ちちゃっただけよ」 

「え? それって……」 

 臼井さんから聞いた話と違うんじゃ――そんな言葉を辛うじて飲み込んだ。 

 そんな驚いている俺の表情を暫く見ていた田中さんは、クスリと笑った。それは自然な笑みだった。 

「……って言うのは、表向き。本当は、誰かに押されたのよ」 

 と言って、俺の反応を窺うようにじっと俺の目を見た。 

「押された?」 

 臼井さんに聞かされていたとはいえ、実際本人の口から聞かされるのって、正直、凄い衝撃だった。 

 俺はコーヒーを一口ゆっくりと啜ると、再び口を開いた。 

「あの、単なる興味本位でお尋ねしますがいいですか?」 

 と、先にワンクッションを置く。それに対して田中さんは、笑って軽く頷いた。 

「押されたって仰いましたが、具体的にはどういう感じだったんですか?」 

 田中さんはこの質問を予想していたのか、すんなり答えてくれた。 

「そうねぇ、あの時、丁度階段を登り切った所を、正面から肩を押されたのよ」 

 この辺をね、と自身の右肩を指し示した。 

「本を抱えてたから、咄嗟に手摺を掴む事すら出来なかったわ」 

「じゃ、じゃあ、犯人は見たんですか?」 

 コーヒーを吹き出しそうな勢いで言う俺に、田中さんは大きく溜め息を吐いた。 

「残念ながら、見てないのよ」 

「え!? けど、正面から押されたって……」 

「そう。確かに正面から押されたのは確かよ。正しく言うなら押されたって言うよりは、突き飛ばされたって言った方が正しいわね。かなり強い力で押されたから。暫くの間、痣も残ってたしね。でも、誓ってあの時、あの場所には、私以外、誰もいなかったわ」 

 その時、俺は思い出さなくてもいい事を急に思い出していた。あの日、田中さんは保と話していた。こちらが呆れる程楽しそうに二人が映画の話で盛り上がっていた事を。 

「うわっ!!」 

 と、突然、胸ポケットに入れていた俺の携帯が、着信を告げて激しくバイブした。嫌な事を考えていた為か、酷く驚いてしまい、田中さんに笑われた。 

 田中さんに身振りでどうぞと言われ、軽く会釈すると慌てて電話に出たのだった。 

 電話の主は、俺のバイト登録をしている家庭教師の派遣会社だった。電話の内容は、単なる仕事に関する連絡事項。手短にそれを確認をすると電話を切り田中さんに謝った。 

 すると彼女は気にするな、と言いつつも、じっと俺の手元を見ていた。 

「……あのぉ、何か?」 

 田中さんの様子に首を捻っていると、やがて彼女はニンマリと笑って顔を上げた。 

「男の子でも、そういうの、信じたりするんだ?」 

「はい?」 

 聞き返すと田中さんは、『守護石』の事だと言った。 

「守護石って?」 

「あら、知らなかったの? 君がその携帯に付けている携帯ストラップの事よ。シャドウっていう占い師が販売しているお守りの石の事らしいのよ。ほら、そこに石が付いてるでしょ? その石が、恋愛成就に効果があるんですって。見た目もアクセサリーっぽくて可愛いでしょ? 今、流行っているらしいわよ」 

「これがですか?」 

 言われて俺は携帯を目の高さにまで持ち上げると、付けていた石のアクセサリーをまじまじと見た。 

 何て事の無い、ただの石にしか見えないのだが……。 

「何だ、自分で買ったんじゃないの?」 

「ええ、まあ」 

 曖昧に返事をせざるを得なかった。 

 まさか、田中さんと同じような災難に遭った人間が、階段から突き落とされた際に掴み取った代物だとは言い辛い。 

「じゃあ、大事にしなさいよ。それ、かなり高いわよ」 

 と、物欲しそうな顔で言った。田中さんが、こういうグッズが好きなタイプだったとは意外だ。俺の心の内を知ってか知らずか、姪っ子が欲しがっているのよ、と続けた。 

「今度私立中学に受験するんだけどね、それがどうしても欲しい、って言ってきかないのよ」 

 そう言って、溜め息を吐いた。 

「え? 中学受験って、恋愛成就のお守りなんじゃあ……」 

「ああ、恋愛成就にも、効果があるっていうだけの話よ。元々は、これを持つと幸せになれる、っていう話なんだけどね。でも少し前に、有名な、ほら、最近婚約した女優、いるでしょ?」 

 そう言って、俺でも知っている若手の人気女優の名をあげた。 

「彼女が、これのお蔭で、結婚が決まった、って言っちゃったたものだから、恋愛成就の代名詞にみたいになっちゃったのよ」 

 成る程、それなら田中さんの姪っ子が欲しがるのも頷ける。それに有名人がそういう事を言えば、片想いをしている人間が我先にと飛び付くきたくなる気持ちになるのも分からなくはない。 

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