第31話
触手の形に具現化されたうねり狂う時間の奔流が扉の奥からぞるぞると溢れ出す。
俺と麗羅はそれぞれ金棒と薙刀を振るい、触手の攻撃を躱し、払い、切り裂き、叩き潰していく。
「さっきからキリが無い! 本当にこれで大丈夫なの!?」
「今はこれしか打てる手がねぇ! もう少しだけ耐えてくれ!」
相手は三千世界全てに同時に存在する時間と空間を司る神。
いくら触手を押し返した所でそもそもの物量が桁違いなのだ。
そのため真正面からぶつかってもまず勝ち目はない。
そこで俺は事前に秘策を用意しておいた。
計算通りならもうすぐ変化があるはずなのだが……。
すると突然、触手の数が目に見えて減った。
「よしっ! まずは予定通りだな」
「どうなってるの!?」
「平行世界で同時にマシンが起動して、やつのリソースがそっちに割かれたんだ」
無数の平行世界から同時にアクセスされれば如何に神様だろうと処理速度は落ちるだろうと睨んで、あらかじめ平行世界の可能性を収束させておいたがどうやら正解だったらしい。
おかげで霊的異世界との接続面を分散できたし、タッツンが視た未来よりも地獄や魔界、天界などの勢力を押さえ込むのは容易になっているはずだ。
こちらに割けるリソースが減った影響なのか、ヨグ=ソトースの姿が変化していく。
少なくなった触手が束なり、光の泡が寄り集まって、扉の奥から不格好な竜の似姿が鎌首をもたげた。
「さあ第二ラウンドだ! このまま一気に押し返すぞ!」
「でも、このまま武器で戦っても埒があかないわよ!?」
「だからお前の力を借りたい!」
「まだ何か考えがあるのね!?」
「ああ」
俺たちは五年前のあの日、影の子宮の中で溶けて混ざりお互いの不足を補ってこの世界に生まれ直した。
つまり俺たちは擬似的な双子であり、魂の波長もこれ以上ないほど相性がいい。
麗羅の肩を掴み、彼女に向き合って俺は次の秘策を伝えた。
「麗羅! 合体だ!」
「……へ? は、はぁ!?」
麗羅の顔がみるみる真っ赤になっていく。
言ってから気づいた。
やっべ、これじゃまるで俺が変態みたいじゃ……。
「な、ななな何言ってるのよこんなときにこの変態!」
バチーィン!!!!
強烈なビンタが右の頬に炸裂。
その瞬間、俺たちの体は眩い光に包まれ――――。
◇
「触手の落下が止まった……?」
空間が軋む音がした直後、それまで止まる気配が無かった触手の落下がピタリと止まった。
マシンの起動は止められなかった。にも関わらず、その被害は辰巳が視た未来よりも随分と小規模に感じられる。
本来ならば世界中の空が、大地が、海が罅割れ、そこから天使や悪魔、地獄の亡者に妖怪たちが溢れ出してくるはずだった。
しかし実際には何か別の力に阻まれて水際で留まっている状態だ。
「おい!? なんか出てきたぞ!」
天魔の視線を辿った先、肉の大樹の幹の中程に、巨大な人の上半身を模った触手の塊がせり出してきた。
それを見た瞬間、辰巳はあの肉の大樹の中で晃弘と麗羅が戦っているのだと即座に理解する。
「あれの外側だけ燃やしてくれ! あの中にこの木の核が入っとる!」
「あぁ!? だったら核ごと燃やしちまえばいいじゃねぇか!」
「友達なんだよ! 何が何でも引きずり出して説教してやる!」
「注文が一々多いんだよクソが!」
などと口汚く辰巳を罵りながらも、天魔は注文通り胸像に焦点を当てて肉の壁を焼いていく。
なんだかんだ言いながらも、辰巳の歯に衣着せぬ物言いを天魔は少しずつ気に入り始めていた。
少なくとも研究所にいた頃の建前ばかりを振りかざして醜い本音を隠す汚い大人よりは余程好感が持てる。
だが……。
「くそっ! 焼いても焼いてもすぐに再生しやがる!?」
やはり核を守る部分だけあって、一筋縄ではいかないようだった。
黒い炎が燃え移った触手が燃え尽きると、すぐさま新しい触手が生えてきて一向に核へとたどり着けない。
辰巳が観測して事象を確定させることで、攻撃された事実そのものを「無かったこと」にされるのだけは防いでいるが、このままでは埒が明かない。
「ならば手数を増やすまで!」
刹那、複雑に絡み合った触手がバラバラに切り裂かれて宙を舞った。
いつのまにか辰巳の隣に立っていた高時が鞘に納めた大太刀を構えて異形の胸像に鋭い視線を送る。
「逢魔さん!」
「犬飼様はあの中ですか?」
「はい。あと、麗羅ちゃんも!」
「なるほど。ではさっさと助け出してしまいましょう。観測手はお任せします」
高時が鯉口を切る。
たったそれだけの動きで、また無数の触手が千切れ飛び、人型の胸像がさらに一回り小さくなった。
明らかに自分よりも強い謎の老執事の加勢に内心恐々としつつも、触らぬ神に祟りなしとばかりに天魔は黙ってそれに合わせて黒炎の能力を発動させる。
極致の剣戟と滅びの黒炎に削り取られた胸像の中心から、黒いぶよぶよとした塊がデロッと顔を出す。
「切り離します!」
高時が再び鯉口を切ると、黒い塊が肉の木から切り離され、地面に向かって落下する。
それを辰巳が両腕でがっしりと受け止め優しく地面に下ろすと、ブヨブヨの塊に手を突き刺して肉をかき分けるようにして中身に手を伸ばした。
◇
「よしよし、いい子だ。さあ、優しい夢の中でお眠り……」
若返ったピエロが、動きの止まった化け物の触手に優しく触れる。
すると触手が絡み合ってできた身体がするりと解けて、それっきり動かなくなった。
これで二十体目。ピエロが術の連続使用の反動で苦しげに胸を抑えて倒れそうになったのを、辰虎が肩を貸して受け止める。
「それにしても、これはどういう術なんだ」
「彼らは今、優しい夢を見ているんです……」
「夢だと……?」
「ええ。生前の後悔や無念、そういったものが無かった順風満帆で幸せな人生の夢をね」
ピエロが指を鳴らす。
すると二メートルはありそうな不気味なピエロ人形がパッと目の前に現れ、動かなくなった触手生物たちをその手に持った袋に詰め込み、またパッと消えてしまった。
天国にも地獄にも行けず、輪廻の輪からも外れてしまったのであれば、せめてこの世の終わりまで優しい夢を見続けるしか救いなどありはしない。
人間ブローカーペットショップの奥の手。『
それは対象に幸せな夢を見せて、その精神を永久に封じ込める禁術。
術が発動してしまえば回避も解呪も不可能。
あまりにもよくできた幸せな夢は対象者に術にかかっていることすら気付かせず、気付いたとしてもその世界から抜け出す気力すら奪い去る。
しかし、強力である分、その代償も重い。
この術は一回の発動につき寿命を一年消費する。
悪魔に願い若さを取り戻したとはいえ、考え無しに使えばあっという間に寿命は尽きてしまうだろう。
「さあ、急ぎましょう」
「……あまり無理はするなよ?」
「ええ、大丈夫です。やっぱり若いって素晴らしいですね。身体がよく動く」
軽口で無茶を誤魔化し、ピエロたちは再び研究所の最奥を目指して動き始めた。
事前に頭に叩き込んできた施設内部の地図が正しければ、そろそろ制御ルームがあるはずだが……。
「なっ!? これはいったい……?」
開けっ放しになっていた扉から制御ルームに侵入した辰虎は、あまりに異様な光景に思わず顔を顰めた。
無数のモニターで埋め尽くされたそこは、まさに血の海と呼ぶべき地獄と化していた。
「どうやら一足遅かったみたいですね」
中央のモニターに映る起動したマシンの映像を見上げてピエロが歯噛みする。
「むっ!? あれは愛斗くんじゃないか!」
画面の中で整備用のクレーンによじ登る少年の影を見つけ、辰虎が目を見開いた。
彼はあんなところでいったい何をしようとしているのか。
クレーンの先端までよじ登った愛斗は、フックのついた自分の足ほどもあるチェーンを強引に引きずり出すと、投げ縄の要領で鎖をぶん回してプールへフックをブン投げた。
「ま、まさかあれでマシンを釣り上げようとしているのか!?」
向こうには聞こえるはずもないのに、思わず無茶だと叫んでいた。
無茶をする姿がかつての悪友の背中に重なるのは、やはり親子だからだろうか。
父親の記憶など碌にありはしないだろうに、ここまでそっくりに育つとは血のつながりとは馬鹿にできないものである。
激流うず巻くプールへかっ飛んだフックがマシンに突き刺さり、鎖がピンと張り詰める。
人間離れした怪力で愛斗が力いっぱい鎖を引っ張ると、プールの底からマシンに繋がっていた電源ケーブルとの綱引き状態になった。
異常を知らせるアラートが制御ルームに鳴り響く。
だが、綱引きの力に足場のクレーンの方が耐え切れず、ギシギシと音を立ててクレーンの鉄骨が曲がり始める。
「えぇい! 親子そろって世話の焼ける! オンアロリキヤソワカ!」
画面の向こうで必死に踏ん張る悪友の息子のため、辰虎が両手を合わせて祈りを捧げる。
辰虎の祈りを受けて現世に顕現した観世音菩薩の巨大な影が折れかかったクレーンを支え、愛斗の呼吸に合わせて鎖を掴むと、張り詰めた鎖を一思いにぐいと引っ張り上げ――――。
ザッパ――――――――ン!!!!
青白く輝く巨大な球体が水を跳ね上げて、勢いよく空中に引き上げられた!
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