第5話 メイド少女と異形の神編
猛毒の花。
それが俺が彼女に抱いた第一印象だった。
確かに、見た目はこの上なく美しい。だが、その裏に悍ましいモノが隠されているような、そんな得体の知れない不気味さがある。
一言で言えば、もの凄く胡散臭い!
ちらと横に目を向けると、不可解そうにサングラスを取りつぶらな瞳を細めるパンチパーマ野郎の姿があった。
「(……どうした?)」
「(いや……。あの人、っていうか執事さんもだけど、オーラが全く見えん。本当に人間か?)」
「(こら、お前たち。失礼だぞ)」
小声でぼそぼそと言葉を交わしていると和尚に襟を後ろに引かれて背筋を正される。
オウマさんに促されて女主人の対面に三人で座ると、血のように赤いルージュが弧を描く。
「しばらくぶりね」
「こうして直接お顔を拝見するのは五年ぶりになりますかな。ほれ、お前たちも挨拶せんか」
「ど、どうも……。熊谷辰巳です……」
「犬飼晃弘っす」
和尚に背中を叩かれてタッツンが遠慮がちに頭を下げ、俺もそれに続いた。
「……
「これでも修業に関しては十分厳しくしているつもりですが」
「あらあら、頭どころか中身まですっかり丸くなってしまったようね。『東の魔王』とまで呼ばれたあなたはどこへいってしまったのかしらね」
「……昔の話です」
「……本当に退屈な男」
女主人がつまらなそうに嘆息すると、それだけで部屋の気温が五度は下がった気がした。
指先が冷たい。身体が震える。
見れば、黒檀のテーブルの表面にうっすらと霜が張り付いていた。
溜息一つでこの威力。これが世界最強か。とてつもないな。
それにしても『東の魔王』って、どこかで聞いたような――――。
「そういやウチの蔵の奥に魔王の玉座みたいなごっついバイクがしまってあったけど、まさか親父……」
「…………マジだ」
息子からの視線に和尚が渋い顔で小さく頷く。
思い出した。
二〇年くらい前に東日本全域を完全制覇した伝説の暴走族チームの初代総長の異名が確か『東の魔王』だったはずだ。
ちょっと前にそのチームの後継を自称するアホが突然
……マジで?
身近な人物のヤバイ過去を知ってしまった。
丸くなったってレベルじゃねーぞ!?
「ふふっ、あの頃の辰虎はギラギラしていて素敵だったわよ?
「ぐぬっ。……無知な小僧の
子供の前で恥ずかしい過去を暴露された和尚が苦り切った顔で唸ると、女主人がクスクスと愉しそうに
すると、今度は部屋の温度が春の陽気みたく温かくなった。
この人やっぱりSだ。
「さて、まずは自己紹介からさせてもらおうかしら。私は
名刺を渡される。
見れば、臥龍院不動産社長とある。呪術師じゃないんかい。
「表向きには不動産屋で通してるのよ。呪われた宝物の解呪や幽霊物件の除霊、あとは各地の霊脈の管理なんかもやっているわ。まあ、そういうのが見えない人からすれば怪しげなインチキ不動産屋ってところかしらね」
「い、インチキ不動産ですか……」
いまいち笑いづらい冗談(?)に苦笑いすると、ここで部屋のドアがノックされて、濡れ羽色の髪を揺らす美少女メイドが紅茶とお菓子を持ってきた。
メイドと言っても秋葉原にいるようなやつではなく、本場のヴィクトリアンメイドさんだ。
「お茶をお持ちしました」
黒檀のテーブルの上に白磁のティーセットが並べられ、ポットからお茶が注がれる。
それにしてもこのメイドさん、胸ないな。顔は可愛いのに……。
「……あっ!」
ここで俺はようやくレイラという名前と、昨夜チビと罵られたあの場面を思い出す。
なるほど、確かにこれはまな板メイドだ。
しかし自分の最大のコンプレックスをバカにされたのに、こうして顔を合わせてもすぐにそれを思い出せないなんて明らかに異常だ。どうなってやがる。
「ごゆっくりどうぞ」
俺だけお茶が出されないなんて事もなく、全員にお茶を出し終えたレイラは優雅に一礼して部屋から出ていった。
どうやら仕事とプライベートはきちんと分けるタイプらしい。
試しに紅茶を一口飲んでみる。
ぐぇ、渋い。
クッキーと一緒に飲んでもひたすら渋い。口の中にいつまでも残る渋柿みたいな渋さだ。
普段紅茶を飲まない俺でも流石にわかる。これは明らかに紅茶だけの渋みではない。
さては俺のカップに渋柿の汁でも塗りやがったなアイツ!?
成分的に同じタンニンを使用してくるあたり、犯行に計画性が見られる。
前言撤回。くそっ、涼しい顔で手の込んだ嫌がらせしやがって。
「(……ヒロ、あの子と知り合いか?)」
「(……たぶん)」
タッツンが小声で聞いてくるが、昨夜の記憶が不自然なまでに抜け落ちているせいで、そんな曖昧な答えしか返せない。
「(なんだよたぶんって。……それより、なーんか前にどっかで会ったような気がするんだよな、あの子)」
「(は? なに、お前も? てか、ナンパならやめとけ。アイツ性格悪いから)」
「(ち、違わい! 大体、何でそんな事分かるんよ)」
「(いや、まあ……なんとなく?)」
こんな地味な嫌がらせをしてくるんだから間違いない。
それよりも、こんなような会話を前にどこかでしたような……?
……駄目だ。思い出せない。ただのデジャヴか?
と、俺が謎の既視感を抱いていると、優雅な仕草でカップを下ろした臥龍院さんが、さて、と口を開いた。
「昨夜のことはどこまで覚えているかしら」
「おおむねの流れは。……ただ、不自然な空白があるというか、たぶん、さっきのメイドの子に関する記憶だけ抜け落ちているような感じです」
「なぜそう思ったのかしら」
「思い出したんです。少しだけ、昨夜のこと」
豆粒ドチビと罵られたとは、口が裂けても言えないけども。
メイドの地味な嫌がらせと、左腕の走り書き。そして不自然な記憶の空白。
そこから推理を組み立てていけば、おのずと答えは見えてくる。
つまり、俺はなんらかの理由で、レイラに関する記憶をとどめておくことができない。
タッツンも俺と同じような違和感を感じたことから見て、おそらくそれは、俺だけに限った現象ではないはずだ。
そんな俺の推理を聞いて、臥龍院さんは少し意外そうに「ふぅん」と声を漏らして、血のように赤い唇を笑みの形に緩めた。
「面白い子ね、あなた。……ただ、ここで全ての真実を語ることはできない。理由はあなたの推理通りよ。言っても意味がない。真実が知りたければもっと強くなりなさい。あなたなら、きっと真実にたどり着けるでしょう」
言って、臥龍院さんは俺の前に一枚の紙を差し出す。
なにかの契約書のようだ。
「さて、そろそろ本題に移りましょうか。あなたをここへ招いたのは、私の仕事を手伝ってもらいたかったからよ」
「仕事って、幽霊物件の除霊とかっていうアレですか」
臥龍院さんが頷く。
「最近この街で幽霊が異常に増えているのはもう知っているかしら?」
「はい。ここに来る途中に聞きました」
「だったら話が早いわ。はっきり言って人手不足なのよ。ただでさえ幽霊を祓えるほどの霊能力者は数が少ないのに、朝も夜も無く幽霊の大発生。正直、猫の手も借りたいくらい」
「面目次第もございません……」
先祖代々この地の守護を預かってきたらしい熊谷家の現当主である和尚が、申し訳なさそうに顔を伏せる。
「いいのよ。今回のような事態が起きるなんて、私も想像していなかったもの。それに、あなたがしっかりと霊脈の管理をやってくれているから、この程度の被害ですんでいるのだし」
「ご
契約書を端から端までしっかりと読み込む。
仕事は一回ごとの受託方式。
受けるか受けないかはこちらの自由で、報酬は依頼が完了したことが確認された時点で、専用の口座に支払われる。
納税などは臥龍院家が代理で行い、本人が希望すれば資産の運用管理も行う。
病気や怪我などをした場合は、臥龍院家が無償で治療し、仕事の活躍度に応じて様々な福利厚生も受けられるようだ。
さらに仕事中に人や建物に被害が及んでも、臥龍院家が責任を持って治療や補修をするとまである。
「逆に怪しいくらいホワイトな契約ですな」
「彼の伸びしろを考えればこれくらいは当然よ。無論、報酬もそれなりの額を用意するわ」
大人の和尚の目から見てもホワイトな契約書のようだ。
やってる仕事はこの上なく怪しいのに、労働形態がホワイトとはこれ如何に。
オウマさんが俺の前にさりげなくペンを置く。
「この内容で問題無ければここにサインして頂戴。知っての通り、今この街は幽霊や悪霊でごった返している。……稼げるわよ?」
普通に考えて、非常に魅力的な契約だ。
どうやら俺は幽霊を倒すとレベルアップする体質(?)のようだし、あいつの記憶が戻ったのもレベルが上がった直後だった。
真実を知るためには強くなる必要があって、ついでにお金が貰えるなら受けない手はないだろう。
俺は迷うことなく、契約者名の欄に自分の名前を書き込んだ。
すると契約書がひとりでにパタパタと折りたたまれて蛙の折り紙になると、まるで命が吹き込まれたようにぴょんぴょん跳ねて、臥龍院さんの手元へ収まった。
「契約完了ね。それで、早速仕事を頼みたいのだけど、いいかしら?」
「内容は?」
「山の霊園に大発生した幽霊の除霊。一体一体は吹けば飛ぶような雑魚だけど、とにかく数が多くて面倒なのよ。報酬は……そうね、これくらいでどうかしら」
金額を書き込んだメモ紙を渡される。
えっ!? 五万円も!?
「あ、あの。こんなに貰っちゃっていいんですか? 俺、まだ高校生なんですけど……」
「あら、遊ぶ金が欲しいのが高校生という生き物ではなくて?」
ひどい
ただ、こんなに貰っても親の目があるから派手に使えないというだけで。
五万円という妙に生々しいリアルな大金を前に俺が尻込みしていると、和尚が横から助言をくれた。
「管理に困るなら、口座に預けたままにしておけばよかろう。資産の管理もお任せしてしまえば、預けておくだけでも増えていくからな。ウチも代々資産の運用をお任せしているから安心だぞ」
「うーん。じゃあ、もう全部お任せします」
面倒事を引き受けてくれると言うなら、これほどありがたいこともない。
なにより和尚が安心だと言うなら、持ち逃げされたりお金が減るような事もないだろうし。
「それではこちらが仕事の連絡用アドレスと電話番号になりますので、登録をお願い致します」
オウマさんが手品のようにどこからともなくスマホを出して、赤外線で互いのアドレスを登録する。
見れば、『臥龍院家執事長
逢魔が時の逢魔だったのか。すごい名前だ。
「では、ワシらはそろそろ、おいとまさせていただきます」
「ええ。引き続き結界の維持と管理をお願いね。こちらでも原因を探ってみるわ」
「玄関までお送りいたします」
逢魔さんに案内されて玄関へ戻る。
屋敷の構造が変わっているように思うのは俺の気のせいだろうか……?
「口座の通帳とカードはでき次第、本歩来寺の方にお送りいたしますので、そちらでお受け取りください」
「わかりました。よろしくお願いします」
頭を下げて俺たちを見送る老執事を後ろに、車が走り出す。
ふと、屋敷の窓からこっそりとこちらを見る黒髪メイドの姿が目に入った。
向こうも俺の視線に気づいたのか、少し驚いたような顔をして、あっかんべーと舌を出してそのままカーテンの奥へ消えていった。
なんだ、あのメイド。失礼なやつだ。
それにしても、あの子、前にどこかで会ったような気がするのだが、……はて、どこで会ったのだったか。
「……あ」
また掌の文字を見て思い出す。
くそっ、あんな手の込んだ嫌がらせを受けたばかりなのに、また忘れかけていたのか。
あんな失礼なメイドを忘れるなんて、つくづくどうかしている。
この文字が消えたら、俺はあいつのことを思い出せなくなる。なんとなくだが、そんな確信めいた予感があった。
そうなる前に強くなって新たな手掛かりを得なければ。
……あいつのことだけは絶対に忘れてはいけない。
理由はわからないが、なぜか強くそう思った。
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