4-2
次の日の夜。営業時間を終え、喧騒から置き去りにされた小鹿亭の店内に、アリアとアーニャは居た。
「……営業がが終わったら店に来いってリンに言われて来たけど、アーニャは何か聞いてるのかい?」
アーニャは首を横に振った。
「いいえ、私は何も聞いていないわ」
「アーニャにも内緒なのかい?」
驚いた様子で、アリアはアーニャを見る。
「ええ、店で待っていてほしいとだけしか聞いていないわ。締めの作業が終わった途端、すぐに戻るからって、店を出て行ったのだけれど……中々来ないわね」
心配そうに呟いて、アーニャは店の扉をちらちらと見ていると、裏口の方から、扉が閉じる音が聞こえて、二人は振り返った。
「やー、二人ともお待たせ!」
少し慌てた様子で、暗い廊下の向こうから、倫がスイングドアを通ってくる。
「遅かったじゃない。一体どこに行っていたの?」
「ごめんごめん、ちょっと、紹介したい人の残業が中々終わんなくてさ。それを待ってたら遅くなっちゃった」
「紹介?」
アリアが怪訝な顔をする。
「うん。入っていいよー」
倫は振り返って、廊下の暗がりに声を掛ける。
アリアたちが覗き込むと、暗がりから、少し緊張した面持ちのリアンが出てきた。
「あ、この人……!」
アーニャはリアンの顔を覚えていたようで、声を上げる。
「アリア、アーニャ、紹介するね。この人が、この前話した内職魔術師の人だよ」
「初めまして、リアンだ。そこの方は、一度顔は合わせたかな」
リアンはアーニャたちの顔を見て、胸に手を当てると一礼する。
「リン、これは一体どういうことだい?」
二人共、突然リアンが現れたことに困惑している様子で、アリアは倫に問いかけた。
「騙し討ちみたいなことしてごめん。でも、こうでもしないと会ってもらえないと思ったから。一度だけでもいいから、二人には、リアンに会ってもらいたかったんだ」
アーニャたちは困惑したまま、顔を合わせる。倫は顔を引き締めると、ここが正念場だと胸の内で思いながら、口を開いた。
「この前、二人は男の人に嫌な事をされたから、リアンを簡単に信用出来ないって言ってたよね。勿論、あたしはそれを否定するつもりは無いよ。きっと、それだけ辛い目に遭ってきたんだろうから」
ふと、ひとりでにニールから聞いたアーニャの過去を思い出し、それだけでもむかむかと怒りが湧き上がってくる。
そんな目に遭っていては、男性を信用できないのは当たり前だ。だが、それで足を止めてはいけないと、倫は強く思った。
「でもね、それは全員じゃないんだよ。リアンみたいに、穢れの日に対する嫌悪感も無くて、ここまで理解を示してくれる素晴らしい人もいるんだってこと、アーニャたちにも知ってほしかったから、だから……!」
どうしても想いを伝えたくて、どんどんと声色に力がこもる。だが、アーニャたちが表情を崩すことは無く、更に言い募ろうとすると、背後からリアンに肩を掴まれた。
「リン、気が急くのは分かるが、ちょっと落ち着け」
「リアン……」
「君が俺を良く見せようとしてくれるのは有り難いが、俺からの言葉も無いと、どのみち信用してもらえないだろう?」
リアンは前に出て、アーニャたちの前に対峙すると、一呼吸置いて、口を開いた。
「リンの言う通り、俺はあなた方を傷つける意思は一切無い。それに、何故そう育ったかは省くが、特に穢れの日を不浄のものだと思ったことは無い。だが、あなた方にきれいごとだけを言うつもりもないんだ」
その言葉に、アーニャたちは訝しげな顔をする。それは倫も同じだった。
リアンは不敵な笑みを浮かべた。
「いくらクズ同然の扱いを受けていようが、俺はそれでも魔術師なんだ。だから、この国に新しい風が吹くようなアイデアが、すぐそばで生まれているのを、みすみす見過ごすわけにはいかないんだよ。俺はただ、リンが産み出したアイデアを形にする手伝いがしたい。いってしまえば、俺の目的はそれだけなんだ。勿論、嫌なら断ってくれていいが、今一度、考え直しては貰えないだろうか」
リアンが口を閉じると、店内は静まり返る。アーニャは困惑しているが、その瞳は揺れていた。
アリアは思案顔で腕を組むと、リアンを見定めるような眼差しを向けて、こう問いかけた。
「あんた、リンとはついこの間知り合ったばかりなようだけど。何故そこまでこの子を信用するんだい?」
すると、リアンは虚を突かれた顔をしたあと、口元に苦笑を浮かべた。
「……確かに、そうだな。リンとはついこの間知り合ったばかりだし、出会い方もいいとは言えなかった。それに、俺だって簡単に人を信頼するほどお人よしじゃない。だが、彼女にはどうしてか心を開いてしまうんだ。それは何故なのかと言われると、正直答えようが無いが……彼女にはそれだけの魅力を感じてしまうんだ。あなた方は覚えが無いか?」
ぴくりとアリアが眉を上げた。どうやら図星の様子で、一瞬目を逸らした。
リアンは自信のある表情でアリアを見つめ続けると、力を込めて言った。
「俺はリンを信頼しているが、あなた方にとって俺がどこの馬の骨とも分からない人間だし、信用できないのは当然だ。だから、もしチャンスを貰えるとしたら、必ずあなた方の信頼を勝ち取って見せると約束しよう」
揺るぎのない言葉をぶつけられて、アリアの見る目が、少し変わった。
暫くリアンを見つめていると、くっと笑みを浮かべて、アリアは腰に手を当てると、面白そうに言った。
「……なるほどね。そこまで威勢良く言われちゃあ、試したくなるってものさ」
「アリア……」
アリアは、不安そうに見ているアーニャの方を振り向くと、優しく諭した。
「アーニャ、一回だけ試してみよう。もし、リアンがアーニャを傷つけるようなことがあったら、その時はきっちり責任を取らせてやるからさ。だろ?」
そのままリアンの方へ向き直るアリアは、笑みを浮かべたままだったが、その瞳には鋭い光が走っていた。
だが、リアンはあまり動じず、自信のある笑みを湛えたまま、一度だけ頷いた。
「……元からそのつもりはないが、粗相が無いように努めるよ」
「ふふ。じゃあ……よろしく頼むよ、リアン」
そういって、アリアはリアンに手を差し伸べる。リアンはその手を取ると、握手を交わした。
「……あ、あの。よろしくお願いします」
それに倣うようにして、アーニャもおずおずと手を差し伸べると、リアンは人当たりのよい、柔らかな表情を浮かべて握手をした。
「ああ、よろしく頼む。この間は無礼な振る舞いをしてしまって、すまなかったな」
まだぎこちないが、アーニャとリアンが少しでも歩み寄ってくれたことが、倫はとても嬉しくて、胸がじんわりと温かくなる。
スタートラインに立ったばかりだが、この三人を引き合わせられたことは、大きな前進だと確信していた。
「まあ、もう遅いからこれからの話し合いはまた後日にしようか」
アリアの鶴の一声でこの場はひとまず解散になり、アリアは子供が心配だからと、一人足早に帰っていった。
アーニャも疲れたからと先に二階の自室に戻っていき、倫とリアンが取り残される。
「じゃあ、リアンもまた……リアン?」
入口まで見送ろうとすると、今まで真面目な表情をしていたリアンが、急にがくっと肩を落として、深い溜息を吐いた。
「……き、緊張した」
「ええっ、緊張してたの?」
よく見ると、リアンの顔には血の気が無く、ひどく疲れた様子で、いくらか老けて見えた。
「そんなの、当たり前だろう! 君は分からなかっただろうが、アリアさんの言外の圧はとてつもなかったぞ……!」
「あ、あー……アリアは確かに、警戒してるとそうかも」
よくよく考えてみると、初めて会った時のひと悶着は、アーニャの知り合いとして扱われているだけ、まだましな対応だったのかもしれないと思い、今更リアンを同情した。
いつの間にか額に滲んでいた汗を手の甲で拭って、リアンはローブを正すと、苦々しげに呟く。
「ほんの一瞬だが、師匠を思い出したよ。……う、嫌なものを思い出した」
(……リアンの師匠ってどんな人なんだろ?)
倫は疑問に思ったが、今日はもう遅いし、それを聞くのはまた今度にしようと、一気に小さくなったリアンの背中が暗闇に溶けていくのを見送った。
「はぁ~、疲れたぁ……」
背伸びしながら、倫も二階の自室に戻ろうと、階段に向かう。
この行き当たりばったりの顔合わせは、関係が拗れるリスクがそれなりにあったため、正直な所不安要素がかなりあったが、結果は上々で、ようやく肩の荷が下りたような解放感があった。
(少しずつだけど、前に進めている気がするな)
確かな実感を胸に抱きながら、階段を上っていると、ふと上の廊下から人影が見えた。
「……リン? まだ起きていたのかい?」
人影は、寝間着姿のボルドーだった。時刻は日付が変わる頃で、不思議そうな顔をして、階段を上ろうとしている倫を見下ろしていた。
「あ、ボルドーさん……! あの、ちょっと、喉が渇いちゃって、水を飲みに、ね! お、おやすみなさ~い!」
こんな時間に遭遇するとは思わず、倫は若干焦りながら、そそくさと階段を駆け上がっていき、自室へと戻っていく。
「……?」
ボルドーはそれを見送ると、不思議そうな顔のまま一度首を傾げて、手洗いへと向かっていった。
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