第8話 九日目
そして、幕下以下の申し合いが始まった。
土俵の俵の周りにぎっしりと女力士達が乗り、土俵に乗り切れない下位の力士は、土俵下で出番を待つ。
最初は準備運動や受け身の稽古などをした後、いよいよ申し合いの始まりだ。
まずは、一門で一番上の力士がまずは土俵に立ち、対戦相手を指定し、その勝ったほうが、次の対戦相手を指定する、という流れだ。
この場にいる力士では、現在の番付(数日前に新しい番付が発表されている)には、天ノ宮の上に二人上位の力士がいるので、彼女らが取り組んでから、天ノ宮が指定されるか、野須ノ姫が指定されるか待ち、どちらかが勝った上で、彼女が相手を指定するのを待たなければならない。
土俵下で、凜花と希世乃月と南洙の三人が、
「センパイ、土俵で出番待ってますね……」
「緊張感、伝わってくるねえ〜」
「あまっち、なかなか出番来ませんね……」
と言い合っていた。
土俵上ではかわるがわる相手が変わって、申し合いが行われているが、勝ち残りの力士がなかなか天ノ宮や野須ノ姫を指定しないのだ。
しかし天ノ宮も野須ノ姫も、土俵上で繰り広げられる申し合いをじっと見つめ、終わるとすかさず手を上げ、その時を待っていた。
そして。その時が来た。
先に土俵に上がり、申し合いで勝ち残った野須ノ姫が、天ノ宮を指定したのだ。
「次、天ノ宮さん、お願いします」
その言葉に、天ノ宮は緊張した面持ちで。
「はい! よろしくお願いいたします!」
と意思を込めて強く応えると、相対する仕切り線の前へと立った。
そして。二人の申し合いが、始まった。
土俵に立ち、天ノ宮と野須ノ姫は二本の仕切り線を挟んで、相対した。
そして、軽くお辞儀をする。
野須ノ姫は、目の前に相対する天ノ宮の姿を観察した。
天ノ宮の体格には、自信が満ち溢れていた。いや、それは野須ノ姫の印象だけではない。
実際に、前に見たときよりも、廻しが小さく見えるのだ。
それは、天ノ宮の体が大きくなった証拠でもあった。
──先場所よりかなり鍛えたんだろうな。
そう思うと、野須ノ姫は嬉しく思えた。
ならば、その努力に応えなければならない。
二人はほぼ同時に腰を下ろした。
そして、静かに自らの手を土俵に下ろす。
トンッ。
そして、土俵に残りの手を付け……。
「はっ!」
二人はほぼ同時に、立ち合った!
野須ノ姫からは大量の魔力が吹き出したが、天ノ宮の体からは、魔力は少ししか吹き出さなかった。
これが何を意味するかと言うと、天ノ宮の魔力制御がかなりのものであり、相当な魔力を体内に押さえ込んでいるのだ。
最初の一撃は、お互いに張り手。
お互い狙った顔と顔に、張り差しが食い込む。
相手の張り差しに、野須ノ姫の体がのけぞるが、天ノ宮の反りはわずかだった。
その対比に、土俵の周りにいた女力士達や、観客席で見ていた客達から、どよめきが沸き起こる。
野須ノ姫はなんとかこらえ、体を起こしつつ、残りの手で突っ張る。
天ノ宮の強い張り手に、
──成長したな、こいつ。
と感じながら。
しばらく、土俵上では張り手の応酬が続いた。
バシッ! バシィッ! バシッ! バシィッ! バシッ! バシィッ!
野須ノ姫は炎の張り手を繰り出していた。
しかし彼女の炎は、天ノ宮の体に届く前に、突然弱くなり消えていく。
よく見れば天ノ宮の体には、薄い氷の膜が張り巡らされていた。氷の結界だ。
それが野須ノ姫の炎を打ち消しているのだ。
──くっ!
と同時に、野須ノ姫の脳裏にある一つの疑問が浮かんた。
──個有魔法かこれ?
目前の敵が繰り出す氷の張り手を喰らい、避け、いなしながら彼女は思考する。
──こいつは個有魔法を持っていなかったはず。まさか……。
野須ノ姫はある結論に達しつつあった。
その時だ。
天ノ宮はすり足で動き、半歩引いた。
そして、張り手を行った手を引き、そこに魔力を集中させた。
なにか魔法を出そうとでも言うのだろうか。
しかし、それを見過ごす野須ノ姫ではなかった。
天ノ宮が引いたのを見ると、懐に飛び込もうとしたのだ!
通常の魔法であれば、そこで打ち消され、野須ノ姫は天ノ宮の懐に飛び込み、廻しを取って寄るなり投げるなりしただろう。
だが。
天ノ宮が展開した魔法は、盾の魔法。物理的質量と硬度を持っていたのだ。
展開した魔法の盾に、野須ノ姫の体が衝突する。
盾は砕けて、ばらばらになり掻き消える。
けれども、その衝突に野須ノ姫の体はよろけ、ふらついた。
──なに!?
天ノ宮はその好機を逃さなかった。
逆に、野須ノ姫の懐へと飛び込んだのだ。
彼女の両廻しを取り、半ば吊るようにして一気に前へと寄る。
天ノ宮はあっという間に土俵際まで寄った。
天ノ宮の吊り寄りの力強さに、野須ノ姫は我に返ると再び力を入れ、土俵際で踏ん張る。
──なに、今の……!
狼狽しつつも、腰と足を中心に全身に力を込める。
廻しが
不快な痛みとその反対に似た性質の感覚が、股間から頭へと伝わる。
足を開き、炎の力で逆転の投げを打とうとした野須ノ姫だったが。
──あっ、もう、だめ……。
気が遠くなり、急に力が抜け、背中に控える女力士達にもたれるように倒れた。
ドスンッ!!
女力士達をもなぎ倒すように倒れていった二人は、土俵下へと落ちた。
しばらくの後、先に起き上がったのは天ノ宮だった。
彼女は少しの間惚けるような面持ちでいたが、やがて我に返ると、
「大丈夫でございますか……?」
倒れている野須ノ姫に手を差し伸べた。
その野須ノ姫も、衝撃と刺激に呆然としていたが、やがて我に返ると、
「え、ええ……」
天ノ宮の手を握り返すと、彼女の助けを借りて立ち上がった。
そして土俵へと戻り、礼をして、野須ノ姫は退場した。
彼女は呆然としていた。股間に感じるじんわりとしたしびれを未だに感じながら。
天ノ宮に、はじめて負けるなんて。
彼女には、こうした稽古の場でも勝ち続けていたような覚えがあった。
少なくとも、公式の取り組みでは負けたことがない。
しかし。事故のようなものとはいえ、天ノ宮に完敗を喫するなど。
悔しさもあったが、あの女力士、天ノ宮は確実に成長しているのだ。
野須ノ姫は、そう認めざるを得なかった。
土俵上を見ると、天ノ宮が次の相手を指名し、構えていた。
相手は、確か天ノ宮と同じ部屋の、凜花、という娘ね。
さあて、次はどんな取り組みになるのかしら。
荒れた息を整えつつ、野須ノ姫は土俵上の次の一番に注目するのだった。
その後、天ノ宮は幕下で一番多く申し合いを取った。
凜花や南洙、他の女力士たちと申し合いをし、勝ったり負けたりした。
そして、土俵上では幕下以下の申し合いが終わり、今度は十両の申し合いが始まっていた。
土俵上で繰り広げられる、肉体と魔力の激突音を背景音楽に、
「ふーっ、凜花。たくさん申し合いを積んで、気持ちよかったわね」
「……センパイって本当に体力あるんですね」
桶の水を柄杓で飲みながら、清々しい笑顔を見せる天ノ宮に対し、凜花は心の底から疲れ果てた様子だった。
「そりゃあ、まあ、わたしにはたくさんの個有魔法がありますし」
天ノ宮は胸を張って応えた。大きな胸がさらに大きく見える。
「凜花、そういえばあなたも色々取れるじゃない。相撲も、魔法も」
「センパイほどじゃないですけど……」
「最初に申し合ったときは、突っ張りに炎魔法の取り口だったけど、二回目は組んでからの寄りに戦士系の肉体強化系だったわよね。……もしかして、わたしと同じ?」
「いえ、違いますけどっ」
「じゃあなんなのですか?」
「ひ・み・つ・ですよセンパイ。大したことじゃありませんけど」
「じゃあ、考えておくわね。あとね」
「何でしょうかセンパイ?」
凜花は、柄杓で水を飲みながら返した。
それに天ノ宮は、こう尋ねる。
「あなた、廻しを引かれても結構大丈夫そうな顔をしているけれど、そういう体質なの?」
天ノ宮の問いに、凜花は少し考える表情をして、
「そういう……、ものですね。我慢強いんです、もともと」
天ノ宮は何かを考える顔をしたが、それを表には出さず、話題を変える。
「南洙達の相撲だけど……」
凜花に相談しようとしたときだった。
「……やあ、天ノ宮さん、先程はどうも」
そう言って二人に近づいてきたのは、金髪碧眼の女力士、野須ノ姫だった。
二人は柄杓をゆっくり降ろすと、
「こちらこそ、どうも……」
彼女と礼を交わした。
野須ノ姫も柄杓を手に取り、水をすくって飲み、桶に投げ入れるように入れた。
それから、いきなり本題を切り出した。
「天ノ宮さん、以前より相撲が上手くなったわね。いろいろなことを意識せずに相撲が取れるようになってきたわね」
「そ、そうでございますか? 恐縮です」
「ちょっと前だったら、あなたは考えながら相撲を取ってた。だからつけ込む隙があった。だからあなたは私に勝てなかった」
「……」
「私の師匠が言っていたわ。色々なことを意識せずにできることが、その人の今の限界。私は突っ張りを意識せずにできることに集中した。だからここまで上がってきたの。でも、それ以外はからっきしで……」
「そうでもないじゃないですか。あなたは色々な事ができる力士だと、わたしはあなたと対戦して身にしみて感じでいます」
天ノ宮は心からそう思うような素振りで、頭を掻いて言った。
しかし野須ノ姫は、そうじゃないのよ、というような顔で、
「そうかしら? それも突っ張りあってこそだと思うけどね」
そう言って、ふふふ、と笑うと、言葉を続ける。
「今のあなたは、意識しないで色々なことができるようになってる。それはとてもすごいことだわ。もう少しで、私よりも強くなるかもね」
「……本当ですか!?」
「特に立ち会いが鋭くなってきたわね。無意識的に立ち会うことができる。だから、わたしとか他の力士が当たり負けしたでしょ?」
「ええ……」
それは事実だった。天ノ宮の立ち会いや当たりはかなり向上していて、普通の力士では当たり負けすることが多くなってきていたのだ。
その立ち会いからの強い当たりは、たくさんの個有魔法を覚え、その魔法を活かすために先手を打てるようになるために、鬼金剛に鍛えられてきたことの一つだった。
幕下以下の力士では、重量級力士を含めて、一線級の立ち会いを持っているわよ、と野須ノ姫は笑った。
それから、
「ま、本場所で取ってみないとわからないけどね。もちろん、あなたと取り組むことになったら、私は絶対負けないわ。その時は、よろしくね」
「今度こそ、勝ってみせますから」
「そうね、その意気よ。それでこそ私の
そう言ってもう一度笑うと、野須ノ姫は話題を変えた。
そして、土俵上の申し合いを見つめる。
「……ねえ、あなたは何を目標にして相撲を取っているの?」
「もちろん、十両に上がることです。今は」
「まあ、それはわたしも同じよね。でも、それからは?」
「それからは……」
天ノ宮は少し考える素振りをして、それから、宗教告白をするかのような声で言った。
「……まずは親方みたいな力士になりたい。大関や横綱になって、部屋を持って独り立ちしたい」
「月読乃華関ね……。いい力士ね。あの人は……。で、もう一つありそうだけど?」
野須ノ姫が不思議そうな顔で問うと、銀髪で背高の巫女力士は、はっきりとした言い方で応えた。
野須ノ姫ではなく、そのむこうにあるなにかを見据えた真剣な眼差しで。
「でもそれ以上に、ただ、自分が自立していくために、自分が一人で生きていくために相撲を取れたら、それで満足です。それが本当の目標です」
その応えに、野須ノ姫は目を丸くして驚きを隠さずに返す。
「自立が目標って……。金を稼ぐとか、横綱になるとかは……?」
「それは二次的なものです。わたしは自分が自立するために、自分だけのために、相撲を取りたい。……ただこれがわたしの願いであり、幸せ」
「……そう」
野須ノ姫はそう言うと、苦笑しながらため息を吐いた。
そのため息は、凍りついた何かを溶かすために吐いたように見えた。
野須ノ姫の温かい吐息を最後に、しばらく、会話が途切れた。
天ノ宮も野須ノ姫も凜花も、黙りこくっていた。
土俵上の魔力を載せた張り手の音、女力士が上げる声が、三人がいる場所まで届いていた。
静寂を破ったのは、野須ノ姫だった。
「私にもね、追いつきたい人がいるの。姉の、美穂乃月関よ」
「お姉様ですか……」
その話に、天ノ宮は先程のお返しをされたというふうに、わずかに表情を変えた。
美穂乃月には妹が多数いて、そのうち何名かは女力士であるということは聞いていたが、まさかそのうちの一人が、野須ノ姫だとは思ってもいなかった。
ふと、あの彼女とその取り巻きに襲撃されたときの、彼女のつぶやきを思い出した。
──そういうことだったの……。だから……。
その天ノ宮の内心を知らず、野須ノ姫は言葉を続ける。
「ええ。私は姉に憧れて、相撲を始めた。それから力士になって、ここまできた。そして今、十両に一度はなった。でも、跳ね返された。思い知らされた。だから、もっともっと稽古して、強くなって、美穂乃月関に追いつき、追い越すのが私の当面の夢よ」
「……夢が叶うと、いいですね」
そう言って、天ノ宮は笑った。
自分では無理やり作った笑顔だったが、相手はそう思わなかったようだった。
彼女も明るい笑顔で、
「それにはまず、また十両に上がらなくちゃね。その前に、貴女と相撲をまた取って勝たなきゃいけないけど」
「……重ねて申し上げますけれども、今度は負けませんよ」
「言うわね。今度も勝ちますからね」
と会話を交わして、お互い笑った。
その時だった。
少し遠くから、声がした。
「おーい、野須ノ姫、親方が呼んでるぞー」
「はーい」
どうやら、野須ノ姫が彼女の親方に呼ばれているようだ。
「じゃあ、わたしはこれで。次場所で、待ってるわ」
そう言って凜花から離れると、二人に手を振りウィンクをして、野須ノ姫は小走りに天ノ宮達の元を去っていった。
「ごっつぁんですー」
天ノ宮もそう返して見送った後、
──ほっ……。
と、安堵のため息を内心吐いた。
そして、凜花に向かってこう言った。
「どうにも苦手ねあの方……。相撲もそうだけど、話もデリカシーありませんし……」
「まあまあ、話す話題が欲しかっただけでしょ。……それとも、あれも心理戦ですかね?」
「……単に空気読めない頭の悪い人だわ!」
そう応えると、天ノ宮はぷいと横を向いた。
凜花はそれを見て、ただただ苦笑するだけだった。
天ノ宮は、十両の申し合いを眺めながら思った。
──魔法の切り替えに関しては今回上手く行ったけれど、本場所の土俵でそれがいつも上手くいくとは限らないわ。上手くいかないほうが当然と考えたほうがいい。
今回アレを使ったことで、当然彼女も対応策を取ってくるでしょう。今回みたいに簡単に行くとは思えない。
そのためには。あの、魔法同時使用の個有魔法が欲しい。そうすれば今回のやり方でも別のことができる。
あの魔法さえ、あれば……。
そう羨望の思いで、土俵を見つめていた。
それから連合稽古も終わり、部屋に戻った女力士達は、それぞれの稽古を積み最終段階の調整へと入った。
彼女らは鍛錬を積み努力を積み修練を積み、それぞれが目指す目標のために汗を流した。
こうして、日は落ち、月が登り、沈んで、また日は昇ることを繰り返し──。
フヅキ(七月)の本場所の前日となった。
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