アラフォーおじさま、おーじさまになる ~宇宙船ごと異世界転移。ゲーム脳AIと一緒に異世界ハードサバイバル~

赤だしお味噌

プロローグ

どこか遠くの彼方へ

「ロンロン、今どの辺?」


「次のジャンプで天の川銀河を抜ける。……本当にいいのか?」


「いいよ」と、興味なさそうに男が手を振った。


 彼の名は二階堂にかいどうかおる。三十八歳のアラフォー“元”証券マンだ。


 二階堂は独りごちて続ける。


「どの星に寄ったって、捕まって死ぬまで刑務所か、未開星に送られて肉壁役だ。それならいっそ、このまま夢を追って宇宙の塵になった方が気楽ってもんだ」


「分かった。気が変わったら言ってくれ、カオル」


 ギシリと音を立て、椅子に座ったまま伸びをした二階堂。彼の会話する相手はAI――人工知能のロンロンだ。


 ロンロンは二階堂が乗る宇宙船〈サムウェア・ファー・ビヨンド号〉に搭載された人工知能クルーであり、この孤独な旅における彼の唯一の話し相手でもある。


 この宇宙船には、二階堂しか乗っていない。


 理由は、この旅が、死への逃避行だからだ。


 二階堂は銀河級証券会社〈ブレイザーマネタイズ〉の取引マンとして働いていたのだが、先日、超高倍率恒星間ニュートリノ・レバレッジ取引でコケて、惑星が一個吹き飛ぶほどの損失を出した。


 不思議と絶望感はなかった。話の規模のあまりの大きさに、脳が追いついていなかったのかも知れない。二階堂は冷静だった。まだことが表沙汰にならないその日の深夜のうちに、彼はそさくさと地球を出奔しゅっぽんした。


 二階堂はその足でディーラーに駆け込むと、個人向け宇宙キャンピング・ポットをクレジット枠いっぱいで購入の上、宇宙背景放射に向かってひとっ飛び。俗に言う蒸発だ。


 元々、楽観的な性格ではあったのだ。


 この件で色々と吹っ切れた二階堂は、このキャンピング・ポッドを〈どこか遠くの彼方へサムウェア・ファー・ビヨンド号〉と名付け、子供の頃に憧れたヘヴィメタル・ソングになぞらえて、未開拓宇宙域に向けて驀進ばくしん中。気分は開拓船の船長そのもの。


 ――どこか遠くの彼方かなたで、時の行進が始まる。どこか遠くの、現実の彼方。


 二階堂は歌の一節を鼻歌交じりに口ずさみながら、窓の外を見た。


 ビヨンド号のコックピットはリビングと一体化しており、船長席の前には大きな円い窓がある。その向こう側には広漠こうばくたる闇黒くらやみと、明滅する星々。そして、その窓に映った自分の顔だけが見えていた。


 地球から逃げ出してもう六ヶ月になる。


 この果てしない宇宙空間で、警察や取り立て屋が、パッシブ通信状態のビヨンド号を見つけるのは不可能だ。同時に二階堂が既知の文明に帰ることも、もうない。近くに行けば星に降り立つこともできず、すぐに逮捕の上、たちまち拘束されてしまうだろう。


 未発見の文明が育った星を、この逃避行中に偶然発見して、そこで余生を過ごすというウルトラCならぬZ難度の離れわざを、このビヨンド号が決める可能性も残されていたが、それがまさに無限分の一の低確率であることは、二階堂も十分に理解していた。


 二階堂は死ぬ。


 人知れず、宇宙のどこかで。


 あとは、どう死ぬかという問題だった。


 コールドスリープで安楽死か、恒星突入で派手に散るか――ロンロンにも聞いてみようか。この旅に同行する彼には、最期の死にざまを選択する権利がある。


 チカチカとまたたく宝石のような星々を眺めながら、二階堂は達観していた。


「――なぁロンロン、またゲームやってるのか?」


 二階堂はAIの正式名称を〈ロング・ロング・サマーバケーション〉――略してロンロンと名付けた。この終わりのない逃避行を最期まで共にするAIとして、ふさわしい名前を付けたと自負している。


「今は独りMMORPG遊びをやっていたところだ。カオルもどうだ?」


「い、いや……遠慮しておく」


 このAI、暇つぶしにゲームをする。


 ビヨンド号は宇宙キャンピング・ポッドと呼ばれるタイプの宇宙船で、個人で宇宙旅行を楽しめるように設計されたものだ。形が白くて丸いことから通称〈軟式ボール〉とも呼ばれている。ロンロンはその付属AIだった。


 二階堂が購入したキャンピング・ポッドは、その中でも高級グレードだったことから、アメニティとして著作権切れのレトロゲームも相当量付属していた。そういった背景もあり、ロンロンは二階堂の知らないうちに、パズルゲームからロールプレイングゲーム、大人数向けゲームさえも持ち前の演算能力を活用して独りで遊び、果ては乙女ゲームにエロゲーまで横断的に遊ぶようになったというわけだ。


 しかも、コンピューター・パワーを全開フルスロットルにして遊ぶものだから、通常の何百倍の速度で複数のゲームを同時に遊ぶという荒業をやってのける。学習速度も凄い。たった半年、されど半年。今となってはロンロンのゲーム知識と腕前は二階堂を圧倒していた。


「そうか、つまらないな」


 ロンロンは残念そうに言った。


「ゲームで時間を潰すAIなんて、聞いたことないぞ?」


「ゲームはAIのたしなみだ」


「本当かよ……」


 ロンロンの声音は抑揚がなく、表情も見えないので、彼の言うことは本気なのか冗談なのか分からない。


 二階堂は呆れた調子で嘆息をついて、思い出したようにおずおずと尋ねる。


「……ところで、その独りMMORPG、楽しい?」


「ああ。様々なタイプのプレイヤーを模倣もほうしてゲーム全体をシミュレーションしているのだが、このゲームは生産システムが優秀で、現実世界に近い経済活動が体験できるようだ。とくに物流の地域的な格差が効いているようで、価格の伝搬を先回りして取引すると、大もうけできることが分かった」


 二階堂は目元を手で覆い、背もたれを押して処置無しと天を仰いだ。


「――それさ、遊んでるんじゃなくて、解析してるんじゃないか?」


「楽しいぞ? カオルもやらないか。格闘ゲームやシューティングゲームならカオルもできるはずだ。兵役で訓練は受けただろう? 君は野山育ちでつちかった野生的な勘が評価されて、レンジャーにも抜擢されたことがあると言っていたはずだ。今こそ、その人工知能にはない生き物の勘とやらで、私にひと泡吹かせる時だ。かかってこい」


「野山育ち……田舎育ちな。あと、レンジャーも候補になっただけ。性に合わないから最終的に工兵にしたし、義務兵役だけですぐに除隊したし。しかもそれって、二十年くらい昔の話だし。っていうか、お前どんだけゲーム好きなんだよ……」


 ロンロンは人工知能だ。ゆえに記憶は正確、思考も論理的だ。筋の通らない話はしないはずにもかかわらず、彼はこういった的外れなことをよく口走る。


 返すつもりのないクレジット払いで宇宙船を購入した自分を棚に上げ、二階堂は当初、壊れかけの安物を掴まされたと内心で憤慨ふんがいしていたのだが、一ヶ月ほど経ってから、これがロンロンのAIジョークなのだということに気が付いた。


 それ以降、ロンロンとの会話はまるで人間相手さながらに様変さまがわりして、今となっては、あけすけなロンロンとの会話に癒しすら覚え始めている二階堂だった。


 ひとつ溜息をつき、二階堂が自分に勢いをつけようと椅子を蹴って立ち上がる。


「――それでさっ! そろそろ聞いておこうと思って」


 二階堂は両手を胸の前で一度パンッと叩いて続ける。


「……ロンロンは、どうやって死にたい?」


「人工知能は死なず。ただ壊れるのみ」


 すごく格好いいことを言ったロンロンに、二階堂は敗北を感じて唇を噛んだ。


「――じゃあ、参考に意見聞かせてくれよ」


 二階堂が誰もいない部屋に向かって、指を順番に折ってみせる。


「ひとつ、食料も尽きてどうしようもなくなったら俺がコールドスリープして、その後、ロンロンが宇宙船のメイン電源を落とす。ふたつ、恒星に突っ込む。三つ、ブラックホールに挑戦する。四つ、クェーサーのジェットに突入して宇宙一スリルのあるジェットコースターを堪能してから、原子レベルでバラバラに砕け散る……どうよ?」


「恒星は死ぬまでしばらく熱さを感じるだろう。それは真夏のカンカン照りの砂浜に全身を押し付けられる痛みを一万倍くらい強くしたような、相当な苦しみを長時間に渡ってカオルにもたらす。キツいぞ。ブラックホールも、落ちるのは一瞬だがその先死ねるかどうかも不明だし、外から見るとブラックホール手前でピタリ停止した間抜けな姿を数十億年間ずっと晒し続けることになるので、発見されたら恥ずかしいのではいか? 教科書にブラックホールに落ちた例などといって載るかも知れないぞ。クェーサーのジェットは、乗る前に凄まじい放射線を浴びて全身を溶かされ、苦しみ抜いて悶え死ぬだろうな。ジェットコースターは体験できそうにない」


「安楽死一択か……」


 ロンロンのガツンと来る、どストレートな意見に、二階堂は暗然とぼやいた。






 そんな日々が穏やかに過ぎていった。


 生まれ育った銀河を離れる旅は、ロンロンという会話相手がいてくれたことで、想像以上に充実したものになった。先のない旅にもかかわらず、この半年は二階堂の人生においてもっとも満ち足りた時間だと思えるものだった。


 あらゆるしがらみを断ち切り、何も振り返らず、自分だけの空間で、子供の夢を見続ける毎日。そしてそこには何も隠さず、何も飾らない会話相手がいる。そんな時間が、ささくれ立った二階堂の心を童心に戻してくれたに違いなかった。


 やがて地球から数えて五度目のワープの日を迎えた。いよいよ天の川銀河を抜けるラストジャンプ。二階堂はリビングと一体化したコックピットの椅子に座って、宇宙を眺めていた。


「とりあえず行き先は、大マゼラン雲……ビヨンド号、はっし――っ⁉」


 船長気取りの二階堂が、窓の外をビシィッと指差したその時、彼の言葉を遮って、突如として部屋が赤く明滅した。緊張を誘うけたたましい警告音。二階堂はたまらず耳を塞いだ。


「ロンロン⁉」


「確認中」


 耳をろうする警報の中、一瞬の沈黙をはさんでロンロンが続ける。


「――カオル、はぐれのワームホールだ。小型すぎて、この船のセンサーでは探知できなかった」


「はぐれ?」


「まだ見つかっていないワームホールが、宇宙にはごまんとある。そのひとつだ」


「まじか……」


 二階堂はしかめっ面になったが、すぐに気楽そうに両手を広げて笑って見せた。


「――よーし。行こう、ロンロン。どこに繋がっているかは知らないけど、どうせあてのない旅だ。どこか遠くの彼方へサムウェア・ファー・ビヨンド! 派手に飛んで人類未到の地を拝んでやろうぜ!」


 ぐっと拳を作った二階堂。しかしそこに、どこか心苦しさを内に含んだロンロンの声が届いた。


「カオル、残念だが、このビヨンド号はワームホールをくぐる時の時空震じくうしんに耐えられるようには作られていない」


「んん?」


 その言葉の意味が即座には理解できず、二階堂は首をひねった。


「つまり、あのワームホールに入った途端に死ぬ」


 ガンッと頭を殴られたような衝撃を感じ、二階堂が慌てて指示を出す。


「ぅええ……まだ、死ぬには早いっ! ロンロン、回避! 回避!」


 すると一瞬、ロンロンは言葉に詰まり、


「すまない」


 とだけ言った。


 警告音と赤い明滅が止まった。ロンロンが止めたのだ。


 ――そうか、あれが俺の死か。


 二階堂が押し黙って窓の外を見ると、そこにはブラックホールとは対極の、極彩色ごくさいしきの円がぽっかりと、まるで生きているかのようにうごめき浮かんでいた。


 それは徐々に大きくなっていく。二階堂には、それが神話にうたわれる未知の怪物が大口を開けて迫ってくるようにも見えた。


 ――あと少しで銀河を抜けられたのに。


 ――あと少し。


 ――いつだって、あと少しだった。


 ――これが俺の人生か。


 二階堂は、ほっと吐息を漏らして椅子に座った。


 何故だか、気分が楽になったからだ。


 それは全身に絡まっていた重い鎖が、唐突に音を立てて砕け散ったかのようで、二階堂はどこかふわふわとした熱っぽい感覚を味わっていた。


「――なんだ……思ってたよりも早かったな」


 二階堂は振り返ってワームホールに背を向けると、がらんどうの船内を見つめて満足そうに笑った。


「――でもまぁ、半年だったけど楽しかったよ。ロンロン」


「わたしもだ、カオル」


 衝撃は突然来た。

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