第3話 移動手段が問題なら
「グリフィア、ちょっといい?話があるんだけど」
ラエルスがそう声を掛けると、グリフィアは一瞬どきりとした表情を浮かべた。
「な、なに?やっぱり私じゃダメ?」
「何の話だ。お前じゃなきゃダメに決まってるだろ」
これで変なところでグリフィアは心配性で、そのたびにこんなバカップルぶりを発揮しなければならないので、エルフのミアナからはよくからかわれていた事を不意に思い出した。
「いや、一つ事業を起こしてみようと思ってさ」
「事業?冒険ギルドでも作るの?」
「ギルドもいいけど、鉄道とバスを作ろうと思ってさ」
「てつどう?ばす?」
グリフィアはそう言って首をこてんと傾けた。かわいい。
「そ、俺が転生者だって話はしただろ?」
ラエルスがそう言うとグリフィアは微妙な顔をしたが、それは仕方ない。最初に元の世界の知識を披露したのは、パーティーでも手に負えない程の大量の魔獣を相手にした時だ。
まさか相手が物量作戦に出て来るとは思わず、いくら最強パーティーと称される自分達でも一度は敗走したのだ。
悔しさのあまりラエルスが即席で作ったのが、矢を発射できる筒にその後ろに火の魔法で爆発を起こせる空間を作ったものだ。
上には矢を装填できる入れ物も用意して、銃の発射機構で矢を撃つ代物を作り上げたのだ。
それは絶大な威力を発揮し、やがて魔王との最終戦争で世界各国が魔獣の脅威に怯えた時、世界各国へと広がっていった。
ラエルスは意図せずしてこの世界に大量破壊兵器の始祖を作り上げ、パーティーの皆が図らずもその宣伝に手を貸してしまったのだ。
「あー、するとラエルスの元居た世界の何か?」
グリフィアが気を取り直したように問う。
「正解。どっちも大量輸送手段なんだけど、手始めにこのリフテラートと王都オルカルを結ぼうかと思ってね」
「ふーん、それってどんなやつなの?」
そんなグリフィアに簡単に鉄道とバスの特徴を説明する、気が付けば使用人の狼兄妹も聞き入っていた。
「そんな便利なものがねぇ…」
「色んな街の色んな人や物が入ってくるのでしたら、さぞこの街も賑やかになるのでしょうね。お二人に作れる料理のレパートリーも増えるかもしれません」
ルファは早くも好感を示してくれている。
この世界の移動手段はとにかく貧弱だ。
馬車も船も何より速度が遅いので、生鮮食品の持ち運びはかなり難しい。自ずと保存食の文化が発達し、生野菜や生魚などはそれが採れる街でしか味わえない高級品になっている。
生魚文化が旺盛な元日本人であるラエルスにとっては時折恋しくなる刺身なんかも港町に行かなければ味わえず、冒険途中に時折無理を言ったりして生魚が食べられる街に寄ったりもした。
ちなみに魔法が発達しているとはいえ物を保存するような魔法は無く、内陸で生物を食べるのであればかなりの金を支払うか自分で育てるかのどっちかだ。
「ラエルス様、しかしそのような物が作れますでしょうか」
ジークの言う通り問題はここである。大事な動力になる蒸気機関は確かにあったが、あくまで魔法の補助であり精度も低そうなものだった。
次に大事なのはレールや車輪となる鉄、それを加工する技術。鋼材自体はこの世界でも建築物等々に使われていて確保は出来るだろうが、量が並大抵ではない。
加工もドワーフ族ならばかなりの精度でやってくれそうだが、果たしてそれもやってみなければわからない。
そして鉄道運行に欠かせない信号設備や電信設備、強電に弱電。電気と言えば魔法で雷のような物を打ち出すぐらいしか縁の無いこの世界で、果たしてそれが出来るのか。電気が無かったとして、果たして鉄道の運行が出来るのか。
さて作ったとしてもどう運営するか、その規模のものをまさか個人経営では出来ない。出資者を募り金を集めて…
考え出したらやる事がいろいろとあって、本当にできるのかとラエルスは頭を悩ませる。しかしそこで助け舟を出したのはグリフィアだった。
「ラエルス、そのバスってやつは馬車でも出来るんじゃないの?同じかどうかわからないけど、道を走ってたのならすぐにでも出来るんじゃない?」
「あぁ…そうか、5ソルの馬車か」
ぽつっとそう言うと3人は何ソレといった表情をしたが、ラエルスは一人納得していた。
5ソルの馬車は17世紀にパリで誕生した、世界初のバスの原型となる交通機関だ。
当時は馬車を持つのは多額の費用が掛かり一般庶民には縁の無い物だったのだが、それをこういった形で庶民に開放したという訳だ。
これは決められた路線を決められた時間で乗客がいなくても運行するという当時としては画期的なものだったが、開業ブームが過ぎるとすぐに乗客は落ち込みまもなく廃止されたのだという。
ちなみに5ソルと言うのは運賃だ。
さてこの世界でも状況は似たり寄ったり。
馬車は貴族か商人の持ち物であり、平民が持つものでは無い。街の中では徒歩移動、街と街の間を移動する時は稀に馬車を貸し切る時もあるが、普通は商人の馬車にお金を払って便乗する形だ。
だが当然金目の物を積んでいる馬車を狙う賊もいるわけで、商人達は隊商となりギルドから護衛を雇う。
となれば当然その分のお金も必要なわけだが、ここで必要経費を安く済ませて利益を得たい商人と街を移動したい人のニーズが重なる。
経費を浮かせたい隊商はいつどこからどこへ行くという情報を街の"駅"と呼ばれる場所に掲示し、馬車を持たない平民や護衛の務まらない駆け出しの冒険者はそれを見てお金を払って便乗させてもらうと言うわけだ。
最初は上手くできてると感心したラエルスだったが、すぐにそれでは何ら解決になってないと思い直した。
結局どの隊商がいつどこに行くかは万人か知ることが出来るわけで、当然賊も知る事が出来る。
すると当然賊もその情報を元に襲撃をするわけで、隊商は対抗する為に護衛をより多く雇わざるを得ず、結果的に輸送費用は増えて物価は高騰する。
隊商の規模を悟られない為に張り出される情報には、いつどこへ向かうという最低限の情報しか書かれないが、当日になれば規模は自ずと分かる。
あとはそれを見て馬で先回りして待ち伏せすればいいだけであまり効果は無い。
「都市間の馬車はそのうち鉄道と競合するから出来ないけど、街中の乗合馬車ぐらいならやってみる価値はありそうだな」
「よく分からないけど、役に立てた?」
「ああ、バッチリだ」
「ところでその、ナントカの馬車ってなに?」
そう言えば説明してなかったとばかりにラエルスが3人に説明すると、一様に納得の表情を浮かべた。
「しかしラエルス様、確かにこの入り組んだリフテラートを決められた経路で走る馬車は便利だとは思うのですが、それだと案内人の仕事を取ってしまいませんか」
「案内人?そんな人がいるのか」
ルファが聞き慣れない事を言ったので思わず聞き返すと、はいと狼耳を揺らして頷いた。
「リフテラートはこれでも観光地ですからね、訪れたお客さんを案内する人がいるのですよ」
「なるほどなぁ…」
言われてみればそうだ。何か新しい画期的なものを作るという事は、既存の職を奪う事になる。だがすぐに妙案が浮かんだ。
「その案内人はどのくらいいるんだ?」
「えーと、確か5人程です。彼らは街の宿の人でもあって、訪れた人を案内しながら自分達の宿に泊まってもらおうというのもあるようなので、何か規定か何かでそのぐらいの人数になってると聞きました」
それぐらいならどうにかなる、とラエルスは考えた。思いついたのは案内人に馬車に乗ってもらって観光案内をしながら進む、観光ルートの開設だ。
元よりリフテラートはそこまで大きい街という訳でも無く、炭鉱も放置状態の今では観光が主要産業だ。ならばこの馬車の開設によってより訪れやすい街になるだろう。
「わかった、その案内人も説得してみよう。取り敢えず明日はロイゼンさんに相談しに街に行ってくるよ」
「私も行く!何か手助け出来ることもあるかもしれないし」
グリフィアが授業中の子供よろしく、手をぴんと上げていった。いちいちかわいい。
「心強いな、よろしく頼むよ」
正直グリフィアが付いてきてくれるのは心強かった。この世界に来た時はまさかの森の中、右も左も自分が何者なのかもわからないところを助けてくれたのが偶然森で弓の練習をしていたグリフィアだったのだ。
それからこの世界の色々な決まり、不思議な事、種族についてや魔法について。生きていく上で最低限必要な知識は、グリフィアとその家族に教えてもらったと言っても過言では無い。
とは言ってもラエルス自身、魔王討伐の旅に出かけてからは一つの街に長くいる事も少なくやはりまだ世間知らずな所があった。
頼れる仲間と出会うまではグリフィアと2人旅、食糧や武器の調達ではずいぶん助けてもらった。
その過程で恋仲になったとして、何の不思議があろうか。
「じゃ明日は街に降りようか。馬車はあったよね」
「あります。いつでも出せますよ」
ジークが馬車の整備担当と牽引する馬の世話係を兼任しているようで、自信満々にそう言った。
旅をしていた時は馬車も工面できる時とできない時があった。駆け出しの頃なんかは実力も名も無かったので便乗すら難しい事もあったし、魔物が支配する大陸では当然馬車など無く延々と歩き続けた事もある。
なのでこうして自分達専用の物があると言うのが信じられない。
…イーグルやミアナも、こんな気持ちを噛み締めているのだろうか。
まだ別れて何日も経っていないが、急に恋しくなってきた。
「…ラエルス様?」
ジークに声を掛けられて我に帰った。イーグルもミアナも王宮からの誘いを蹴って故郷に帰ったのだと言う。
それこそ鉄道網を広げれば、いつでも会いに行けるじゃないか。
「あぁ、ごめんごめん。それじゃ明日はよろしく頼むね」
「はい!」
元気な返事に、思わずラエルスとグリフィアは微笑んだ。
*
その夜、夕食を食べ終わって自室でロイゼンさんにどう説明するか考えていると、グリフィアが入ってきた。
「どうしたの?」
「ね、その鉄道ってさ。出来たらリフテラートとオルカルはどれぐらいで行けるようになるの?」
「そうだな…多分3日以内ぐらいじゃないかな」
「そんなに速いの?すごい!」
3日もかかるとか大陸横断鉄道じゃあるまいし。とも思ったが、それでもこの世界の常識に照らし合わせれば画期的な速さらしい。
まぁ確かに日本で最初に鉄道ができた際には、それまで徒歩で1日かけて移動した距離がわずか30分で結ばれるようになったと言うので、わからないでもない。
「あ、でも夜も走るからもっと早く行けるかな」
ラエルスが何の気無しにそう言うと、グリフィア達3人は一斉に驚きの表情を浮かべた。
「夜も!?」
「危ないかと…」
「さすがにそれは、賊に狙ってくれと言ってるようなものでは?」
と言うのもこの世界では、夜間に街を移動するのは一般的ではないのだ。
街の外に出ればそこは魔獣やそれ以外の獣が跋扈し、運良く獣を避けられてても賊が狙ってくる。
最近は魔王討伐により魔獣は数を減らしているが、代わりに賊が幅を利かせているようだ。
そんなわけで街と街を移動する時は日の出から日没までが原則で、途中に野営できる村も無い所には北海道に昔あった駅逓のような休息所が設けられている。
隊商や旅人は明るい時間に移動し、暗い内は安全な町や村、休息所で身体を休めると言うわけだ。
「確かにそうだ。だけど鉄道を襲うのは並大抵の事じゃないし、案内人の話で思いついたんだけどこれまで隊商の護衛をやってた冒険ギルドの人を守衛として雇えないかって考えてるんだ」
「なるほど、そんな便利なものが出来たら職を失う人も多そうだしね。今のご時世でそんな人増やしたら大顰蹙だろうし」
これでグリフィアは結構経済の事もわかるので、それも大いに助かっている。
魔王軍の侵攻や戦争で、この国では多くの人が職を失っている状態だ。鉄道では駅だけでも信号手や転轍手等々の沢山の人手がいるので、失業者対策にもなるんじゃないかと踏んでいる。
「それに明るい時間しか移動しないって言うのもあって、夏と夜じゃ移動できる距離に差ができるだろ?それも無くしたいんだ」
「あー確かにね、冬はどうしても移動に時間かかるし」
「そのてつどう?が完成したら、お野菜とかお肉とかいつでも同じ値段で買えるって事ですか?」
「ルファの言う通り。そのうちリフテラートでも川魚が食べられるようになるぞ」
そう言うとルファが嬉しそうに顔を輝かせた。
明るい時間しか移動できないと言う事は当然夏より冬の方が移動に時間がかかるわけで、今の時期は春も終わりの頃なのでオルカルから5日で来れたが冬なら8日は見ておかなければならない。
いくら冬の方が腐りにくいとは言え、経費は嵩みそれは市場価格に反映される。自ずと冬は保存食ばかりの食生活になり、冬の終わりに近づくにつれて皆が一様に「新鮮なモノが食べたい」と言い出すのはもはや風物詩だ。
「ま、とにかくまずは乗合馬車からだ。明日はよろしく頼むよ」
「うん!」
「はい!」
「わかりました!」
その言葉に3人が元気よく返事をする。さて明日から忙しくなるぞと、ラエルスは気を引き締めて構想を練る事にした。
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あまりに距離感とかガバガバだったので少し訂正しています。
時速10キロで1日13時間移動したとして、20日かかるならオルカルから2600キロ?ロシアか??
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