第24話 第一回大規模輸出計画<薔薇と紅茶>
生後八ヶ月と三週間になった。
前よりも体が大きくなってきた気がする。髪の毛の量は増えなかったが、体重は増えた。しかし、そのわりに身長はそれほど伸びていない。
……あれ、俺はもしかして、太……い、いや、大丈夫だ。まだ大丈夫だ。この腕が若干ぷにぷにしている気がするのもきっと気のせいだ。
……明日から筋肉トレーニング、もっと増やそう……
だが、その前に体調を戻しておかないといけない。
俺は現在、ぷち療養中だ。
別に牛乳の飲み過ぎで腹を壊したせいではない。歯の生えるスピードは変わらないのに、口から摂取した食べ物が体外に出て行くスピードだけ激化したが、些細なことだ。しばらく牛乳禁止令が出てしまったけれど、問題無い。具合が良くなれば、今度は山羊乳でチャレンジするからだ。俺は諦めん。
――いや、それはともかく。
ここ三週間ばかり、俺は屋敷の東側だけしか動けない状態になっていた。
別に俺の足腰が衰えたわけではない。今日も壁を登って玄関ホールの頂上へと至り、見つけたポムに絶叫をあげさせるという武勇伝をやらかしたほどだ。「どうして坊ちゃんは蝉になろうとするんですか!」と泣かれたが、俺は別に節足動物になろうとした覚えはない。登ったが降りられなかっただけなのだ。
それもともかく。
東側だけしか移動できないのは、父様達に西側へ行くのを禁止されたからだった。
理由は簡単。
西側は台所などの家人達が多く働く場所が揃っており、東側と比べて圧倒的に人の出入りが激しい。
対して東側は図書室や執務室、書斎、俺や家族の部屋など、広いけれど過ごす人数が少ない。そのため、俺以外の者の安全を考えて、俺は東側しか移動してはいけない、ということになったのである。
何故か。
俺が、三週間ほど前に、盛大に魔力を暴走させたからである。
俺の部屋は、いくつかの部屋を纏めたある区画全部を指す。寝室は一番奥だ。
俺はその寝室を完璧に吹き飛ばしてしまった。
魔力暴走だと、状況を見た父様達は判断した。
魔力暴走――それは、自身の魔力を制御できずに暴走させる状態、その全般を指す。
生まれながらにして強大な魔力を持った子供は、物心つく前にしばしばその魔力を暴走させる。収まるのは、きちんと魔力の制御が出来る年齢になってからだ。
その為、暴走させる可能性のある子供には、その能力に合わせて『魔封じ』が施される。道具や術の力で、自身で制御できない時代の危険を減らすのだ。
俺は、生まれてからは魔封じをされなかった。
なぜなら、生まれる前にすでに十二もの魔封じを施され、生まれた後もそれは解除されていないからだ。
これ以上は逆に危険では無いか、という危惧と、俺自身があっという間に魔力制御をマスターした為、追加されることなくそのままにしていたという。
最近では魔法も使ってみせたから、余計にそう思われたのだろう。
だが、夜中に魔力が爆発した。
十二の封じが効いていたからか、被害は俺の部屋一つで済んだが、その部屋に関しては屋根ごと吹き飛んだ。
完璧に粉々に吹き飛んだのである。瓦礫すら残っていなかった。
丁度誰も傍にいなかったから良かったものの、下手をすれば死者も出ていただろう。流石に恐怖を覚えてか、何名かのメイドが辞めて行ったのを俺は知っている。
爆発させた直後は、父の呼び声で元に戻ったという。
だが、その後しばしば、ひとりになると魔力を暴走させがちになった。流石に部屋一つ吹き飛ばすような暴走は無いが、作っていた道具が粉微塵になったり、グリル焼きした肉が炭化したりという感じだ。
理由は分かっている。
ふとした瞬間に、俺の前世の記憶がやたらとリアルに蘇ってくるのだ。
ある時は初めてルカと会った日の記憶だったり、
あるいは遠乗りに出掛けた日の記憶だったり、
または盛大に喧嘩した記憶だったり、
ついこの前は結婚式の記憶だったりした。
全てが酷い記憶なわけではない。ただ懐かしいだけの記憶も少なくなかった。
共通点はその全てにルカが出てきたことだろうか。
ルカは俺の最も近くにいた側近だったから、ある意味当然だろう。だが、主体となるのがルカ個人となると、何か意味があるのではと思ってしまう。
――意味。
たぶん、俺は、寂しいのだ。
自業自得ではあるが、ルカは俺と離された。
クロエは俺の傍に居させたかったようだが、他の家人――特にメイド達――がクロエや母様を説得してルカを自分達のいる離れへと連れて行ってしまった。
力が落ち着くまでは、ルカには会えない。寂しい。寂しくて余計に記憶が蘇る。いや、このままではいかん。物作りに集中して早く落ち着くのだ。そう、こうやって完璧に制御しつつ……あっ俺の入浴の朋『ぴよこちゃん』が壊れたっ……俺はもう終わりのようだ……
「坊ちゃん。そんな、打ち上げられた子アザラシみたいになってないで、ご飯に行きますよ」
気力を失って床に転がっていると、ポムが回収して俺の部屋へと歩き出した。
部屋で俺を見守っていた別の執事が恭しく俺に礼をして、ポムを羨ましそうに見送る。廊下には相変わらず置物のような守護者の姿があり、そこだけを見ればいつも通りの光景にも見えた。
だが、メイドの姿は無い。
見える範囲にいるのは、全て男である。なんていう男くさい空間だろうか。それもこれも、メイドを立ち入り禁止にした父様が悪い。
俺が安定するまで、館東側には守護者と執事以外の立ち入りが禁止されているのだ。 例外は母様とクロエだけ。
俺の身の周りの世話はクロエがしてくれていたのだが、クロエが動けない時はメイドさん達がしてくれていた。今はそれらを執事達がやってくれている。潤いが無い。そしてポムは相変わらず気配が無い。
東側で母様以外唯一の女性であるクロエは、爆発させた初日こそビビッていたが、次の日にはもう慣れていた。最初の呪いの塊のようだった俺に免疫があったのだろう。だからこそ、自分の息子のルカもいつも通り傍にいさせようとしていたのだ。まぁ、他の反対を受けて駄目になったようだが。
そんなクロエだが、ここ最近俺を恐れるようになっている。多分、俺がずっと物を壊したり不穏な気配をまき散らしているからだろう。三週間前より落ち着いてきたとはいえ、未だに思い出す過去の記憶につられて、俺の感情の幅が酷い事になっている。他にあたることこそないが、近くにいれば怖いだろう。
今日も、顔を見るなりビクッとされた。何やら辛そうに目線を逸らすのを見ているとこちらも辛くなる。クロエはルカの母で、俺の乳母なのだ。前世と違い、接した記憶が多い分、地味に堪える。
父様や母様は全くいつも通りだが、あのふたりはオリハルコンでアダマンタイトな精神をしているから例にはならないだろう。
あとポム達執事連中も何故か普段通りだ。むしろ胸を張っている。
「今日は坊ちゃんの大好きな
今日は父様が外に行っていて帰りが遅いため、ポムがつきっきりで傍にいる。父様が家にいる時は父様がつきっきりだ。
ちなみに夜寝る時は、父様の部屋で父様と母様に挟まれて眠っている。俺の寝室が吹っ飛んで無いからだが、父様だけでなく母様も俺と一緒に寝ているのは、俺が夜に寂しがらないように、という配慮だった。
親子三人で寝ているのだ。前世の俺に見せてやりたい光景だな。絶対信じないと思うが。
「さて、この間の収支報告です」
俺の口にせっせと鍋の具を入れながら、ポムがそう口を開く。
ちなみに俺はスプーンも何も持っていない。口を開いてもぐもぐしてごっくんするだけだ。
そうしないといつまでたってもご飯を食べないので、最近はポム達がせっせと親鳥のように俺の口に餌を運ぶようになっていた。
「天魔羊達の干し肉は人族の口にあったようです。
テールからせっせと送られてくる
ちなみに儲けの何パーセントかは手数料でうちの収入になる。斡旋業の一種だな。
「
テールの狩りをする速度は凄まじいらしく、共有化している『無限袋』はすでに半分ほど素材で埋まっているらしい。俺がもう少し大きければ全部解体してしまうのだが……
「技術を磨きたい者に捌かせろ。加工したものは領内で売る」
「クロエの親族も、冬になれば暇になる。冬の間は連中に店をさせるのもいいな」
某クロエの親族は、俺の農園の管理をすることになった。給金は一定額を決め、貿易による売り上げで黒字が発生した時はボーナスが出る。衣食住は俺が保証しているので、健康面も最低限保証されているようなものだろう。
彼等の借金は一部を俺が肩代わりした形で、残りの額は農園で働きながら返していく予定になっている。全額をいきなり肩代わりするよりもいいだろう、という判断だ。
俺への借金については、貿易であがってくる収益から少しずつあてる予定だ。
ただ、農園は冬になると雪に閉ざされてしまう。
その間は別の仕事を与えようと思っていたので、店を任せてもいいだろう。店がつぶれて借金を作った連中だが、もともとは真面目にこつこつやっていたのを上手い商売があると騙されて破滅した形だ。真面目にコツコツ働く生活なら、同じ轍は踏まないだろう。……どうせ他にも店番は用意するしな。
彼らが料理上手だと、さらにいいのだが……あとで聞いてみよう。
三週間前までクロエを悩ませていた問題は、こうして一応の決着をつけた。まだ「めでたしめでたし」にはなっていないが、クロエが追いつめられる可能性は無くなったとみていいだろう。なにしろ、クロエには前世で俺を毒殺しようとした前科がある。今生でどのように変化するのか不明だが、クロエの問題は最優先で解決しなければならないのだ。愛するルカの母親だしな!
……まぁ、最近、避けられているわけなんだが……
……あ、涙が。
「ありゃりゃ。ほぅら、坊ちゃん、鍋の残りでスープにしますよ~。あとソルベやグラスもありますよ~?」
俺が涙ぐんでいるとポムがあわあわと声をかけてきた。ああ、友好度をあげていたはずの家人に一歩退かれた傷心で食欲が無い……おや、
「
「途中で需要が減ってだぶついたりはしないか?」
「一つの街の組合窓口で即完売なんです。これから先、版図を広げる予定なのですからむしろだぶついてくれないと困ります」
成程。それもそうだな。
「精油も好調です。人族への売り上げも増えましたよ。どうやら貴族の目にとまったようですね」
ほぅほぅ。
「小麦に関しましては、行商人との売買をメインに行っています。一か所で小麦商と縄張り争いするよりは、こういう商品も扱っているがどうだ、ともちかけて遠方で売りさばいてもらったほうがいいでしょう」
ポムの声に、俺も頷く。小麦に関しては、周囲に軋轢を作らないほうが重要だった。なにしろ、外貨獲得よりも飢餓対策の意味合いのほうが強いものだからな。
「あまり売りすぎると、貴族に睨まれないか? 税を払えとかなんとか」
「農民では無いから大丈夫でしょう。どのみち、街で商売するにあたって相応の税は払っていますからね。もっと寄越せ、と言ってくる前に、冒険者組合と懇意になっておきましょう。そこらの領主より権力もってますからね」
寄らば大樹の陰、だな。もともと、ポーションや干し肉等、冒険者組合との遣り取りの方が多いのだから、彼らが望む物を用意して実績を積んでいくべきだろう。
農園が落ち着いたら、ポーション量産の為の工房を本格的に作りたいな。
「あと、回復系消耗品がよく売れるということで、紅茶も用意してみました。僅かですが飲むと持続回復するタイプです」
「ああ、アレか……」
ポムの説明に、俺は商品にピンときて苦笑した。
俺達の飲む紅茶の何割かは、飲むと数分間、魔力がじわじわ回復する効果をもっていた。ものすごい微々たる量なので、正直、俺達にとっては無いも同然なのだが……
「人族は魔力も体力も最大値が低いから、効果が高いのか……」
「まぁ、例えて言うと……生活魔法を一回使う魔力を一として、最大魔力が百の個体が一分間で六十の回復をするのなら、効率がいいことになるでしょうしね」
その計算にあてはめると、魔族は最低でも魔力量は五百とか千とかだからな……
「考えたら、俺達の飲み食いしているものは、向こうの連中には宝の山か」
「そうなりますね。いつか略奪戦争をしかけてくるかもしれませんねぇ」
……笑えないぞ、ポム……
本当に笑えないんだぞ……ポム……
「……坊ちゃん、そこで荒んだ目で微笑むのはやめてくださいよ。なんだか背筋が寒くなってきちゃいますから。ほ~ら、クイニーアマンですよ~、あ~ん」
あ~ん。
「まぁ、紅茶そのものはこの家で飲んでいるものを中心に、お手頃な価格のものから高級なものまで、試しで売ってみようということになりまして。あ、旦那様とのやりとりで売れそうなものはどんどん売っていいということだったんですが、坊ちゃんはいかがです?」
ん? 別にかまわないのだが。
ああ、そうか。俺を介さずに商品決めたから気にしているのか。律儀だな。本来、今の俺には何の権限もないのに。
「売れるものは売って稼ごう」
「流石坊ちゃん。この調子でグランシャリオ・ブランドで人族の世界を支配しましょう」
うむ。あなたの傍にグランシャリオ計画だ。
「ちなみに紅茶の銘は『レディオン』でいいですよね?」
「嫌だよ」
一言だよ。
「却下なんです!? 薔薇製品は奥様なんですから、紅茶は坊ちゃんの名で行きましょうよ!」
ヤだよ! いつか人族の大陸に行ったときに「俺の嗜好品は『レディオン』でな」とかもし言われたらどうするんだ! 俺の黒歴史がワールドワイドになるだろ!?
「仕方ありませんね……」
「『グランシャリオ』でいいじゃないか」
「では、それで」
ポムはあっさり頷く。
……たんに俺の反応が見たくて言ったんじゃないだろうな……
「折角ですから、今日のお茶の時間に輸出品をいくつか飲み比べてみませんか? 体にいいものだけ用意させていただきます。……とはいえ、坊ちゃんは赤ん坊なんですよねぇ……胃腸も丈夫だから忘れそうになりますが……」
牛乳の飲み過ぎでは下ったが、それ以外で壊れたことが無い胃腸だものな。普通、この時期の赤ん坊は消化器官弱いんだが。
「まぁ、坊ちゃんはちょっと変わってるので、大丈夫だとは思いますが……少なめにして、用意しましょう。体調が悪くなりそうでしたら飲まずにおいていただけますか? 舌でなめる程度でいいと思いますし」
味と香りを見るだけだしな。でも喉越しも大事だと思うのよ。
とりあえず、実際に目にしてから飲むか舐めるか決めよう。
「では、また三時にお会いしましょう。私はちょっと遅れますので、後で結果だけ教えていただけたら幸いです」
鍋と小皿を片づけて、ポムはにっこり笑った。
相変わらず記憶に残りにくい笑顔だが、俺は嫌いじゃない。
歩くたびに手首につけた鈴がリンリン鳴っている。鈴の音が無いと存在感知できないから苦肉の策だ。父様も絶賛してたから、普段相当苦労しているのだろう。……本当に生きてるのか不安になるほど気配薄弱だからな……
リンリン可愛らしい音を響かせて去るポムを見送って、俺はまた魔力制御の訓練に入った。
●
三時のおやつはシブーストだった。
美味しそうな匂いが漂ってる。
机の上にはちっちゃなコップがいっぱい。あまり飲み過ぎないよう、一口で終わる量を入れる形にしたようだ。
一つにつき一種類入れるからだろうが、それにしてもコップがいっぱいだな……最近では珍しく、銀食器類の棚から出してきたコップのようだが……洗うの、大変だろうにな……
給仕はクロエがしてくれた。今日も真っ青になっている。
……大丈夫か、クロエ……そんなに無理しなくても、俺が怖いなら休んでいてくれて大丈夫よ……?
震えながら紅茶を淹れる姿は、俺の胸にもだいぶ堪える。
珍しく扉の所に別のメイドが控えているのは、そんな最近のクロエに周囲が気をきかせたか何かだろう。父様も母様あたりから言われたのかもしれないな。
代わってほしいのか、チラチラとそちらを気にしながら紅茶を丁寧にいれていくクロエに、胸を痛めつつ味見していく。
む。これは渋い……こっちはまろやか……ぎゃっ苦いっ……香しいけど、味が無い……
ちょっとずつでも最終的に大量になりそうだな、と思いながら、早くこの時間を終わらせるべくパカパカ空けていく。クロエも早く俺から解放されたいだろうしな。……うっ……視界がぼやける……大丈夫だ。俺は泣いてない。
俺はチラとクロエを見、何故かバッチリあってしまう眼差しに申し訳ない気分になりながら新しい茶をもらう。
ゾワ、と背筋に悪寒が走った。
コップには濃い目の紅茶。
コップもその色が映ったかのように変色している。
――違う。
俺は目を瞠った。意味が分からなかった。
毒が入っていた。
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