第15話 疑心
ああ、また泣いている。
ぼんやりとした世界の中にはふたつの人影。
どちらもよく知る相手だった。名前は――何故か思い出せない。
ぼーっと佇む俺の前で、ひとりは泣き、ひとりは微笑う。
密やかな声が重なり、そっと言葉を零した。
――さぁ、始まるよ
●
「――かは……っ!?」
胸の痛みに驚いて起きた。
空の青。
薄い雲。
蒼白な顔の男が二人。
父様と、ポム。
おや?
喉の奥あたりに、空気の塊を吐き出した感覚があった。何だろう。昔、前世で肉の塊を呑みこみそこねて息が詰まった後みたいな感じだ。
目の前にいるのは、真っ青になった父様と、厳しい表情のポム。二人とも俺に覆いかぶさるようにして覗き込んでいる。よく見なくても、父様の目は真っ赤だ。なんで泣いているんだろう。今世の父様は泣き虫だ。
というか、俺はどういう格好なんだ?
背中には硬い土の感触があって、父様とポムの向こう側には空が広がっている。
あれ? 俺、寝転んでる?
なんで?
というか、何があった?
「うわああああああああレディオンちゃん!!」
ぐぇえ!? 父様! しまってます!!
突如俺に抱きついた父様は大洪水だった。涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。ちょっと!? 母様いないのにそんな母様の大好物の顔をしてどうするの!?
「はぁぁ……九死に一生ぉ……私が死ぬかと思いましたよ坊ちゃん……」
近くにいたポムが全力で脱力したように地面にへたりこむ。ただでさえ存在感が薄い男だというのに、今はかき消えそうなほどだ。……本当に、何があった?
と、思ったら顔を上げたポムに怖い目で見つめられた。ぉぉぅ。
「坊ちゃん」
はい。
「いくら皆を助けるためとはいえ、あんな魔法を使うのはいけません」
え。
「覚えてないかもしれませんが、心臓が止まってました。死にかけたんです」
は!?
「そうだぞレディオンちゃん! ポムが
うぇい!?
――いや、待て。違う。そうじゃない。
俺、相当やばかったの……?
すっぽりと父様の腕の中に閉じ込められた俺は、きょときょとと周囲を見渡す。
厳しい顔のポムの向こうには、狼狽している騎兵達。その背後で点々と小山のようになっているのは紫色の大蛙だ。ピクリとも動かない。
「閣下!」
ふと、少しだけ遠くにいた騎兵の一人が声を上げた。その近くには巨大な肉塊のようなものが山となっている。
二秒考えて思い出した。
赤い皮が消えて分かり難くなっているが、
父様は俺を離す気は無いようで、今度は俺を抱きしめたままそちらへ動いた。もう安全だと思っているのだろうか……それとも、判断力が低下しているのだろうか?
「なんだこれは……」
騎兵の指すものを見て、父様は顔を顰めた。
俺も見下ろして目を細める。
肉塊のまま絶命したAMの周囲に、蛙の卵のようなものが大量に敷かれていた。大きさにして直径三センチ程。だが中に入っているのは、オタマジャクシではなく蛙だ。おそらく、
「他の
言葉を濁し、視線を向ける先には炭化した何かの死骸が無数にあった。一つとしてまともな形はしていないが、大きさ的に巨大蛙の成れの果てだろうと思われた。おそらく、父様の雷撃の余波で死んだものだ。
「――長期化すれば、危うかったのは我々か」
呟いた父様の腕に力が込められた。俺は設置されている内容をつぶさに観察する。
だが、ここで自然発生したわけじゃ無いのは明白だった。
生命を
(――誰だ)
ひやりと脳の奥が冷えていくのを感じた。熱いはずの血液がどんどん冷たくなっていく。心臓が痛い。体が震える。
(誰が、企んだ)
どろりとしたものが何かの重い蓋を押し上げて溢れ出すのを感じた。危なかったのだ。例え魔族の基礎能力が高くとも、父様は無敵じゃないし、他の部下達はさらに弱い。格下とはいえ、強力な毒という決定打を持つ敵が物量戦をしかけてくれば、万が一の事態だって発生するのだ。
――父が死ぬところだった。
殺されるところだったのだ。
(誰が……!)
「レディオンちゃんがいなかったら、パパは蛙に食べられていたんだね……!」
むぎゅん!?
「レディオンちゃんはパパの命の恩人だ! ありがとう!! 愛してるよ!!」
分かってる! 父様、分かってるから頬ずりやめて! 涙と鼻水がっ……ああんっ!
「坊ちゃまは身を挺して皆さんを救ってくださったんですねぇ……」
父様に抱きしめられぐりぐり頬ずりされている俺に、棒読みの馬鹿でかい声でポムが言う。そして、なにか祈るようなポーズとってから、ハンカチで口元を押さえて俯きやがった。
まてぇえええ! そこのポム!
わざとらしい台詞と泣き真似はよせ!! おまえ絶対笑ってるだろ! 一瞬見えたぞニヤニヤした口元が!!
周りの騎兵! お前達も! 「我々の為に、身を挺して……!」とか言ってないで俺を助けて!! 父様の涙と鼻水から!!
しかし感極まった父様はそうそう落ち着きそうにもなく、感情が伝播したらしい他騎兵も以下同文。一人影でニヤニヤしているポムは最初から俺を助ける気は全くなさそうだった。
……ポム……貴様……
ジト目で見る俺に気付いて、ポムがパチンと器用なウィンクをする。ええい。男のウィンクなんぞ俺はいらん! なんだその何かを成し遂げたみたいな顔は! 俺の救出がまだですよ!?
……まぁいい……甘んじて受けよう……
頬ずりでなすりつけられた鼻水と涙に濡れながら、とりあえず俺は状況を整理した。
周囲の様子を見るに、判ることは四つ以上ある。
一つ。俺の魔法は上手く発動した。
一つ。俺は魔法の反動か何かで死にかけた。
一つ。ポムは俺でも使えない最上位蘇生魔法の使い手。
そして――おそらく、周囲の反応を見て、俺への忌避を回避する為に芝居じみなものをうっている。
……何者だ? こいつ。少なくとも、今は敵対していないようだが、正直この場の何よりも得体が知れない。
そして今世の俺よ……何故、魔法一つ満足に放てないのだ……
「ところで閣下。あの死体はどのように処分いたしましょうか」
ひっそりと落ち込んだ俺と父様の姿をひとしきり楽しんだらしいポムが、泣き真似をやめてそう声をあげた。俺としてはもっと早くに……いや、言うまい……こいつには借りが出来てしまった……
それに、猛毒大蛙の死体処理に関しては大事なことがある。勿論、この『異変』について、何かの手がかりを探さないといけない、というのもあるが、それと同時に――
「焼き払え」
うぇええい!? 父様!? 何言ってるの!?
「全部焼き払うのですか?」
「当然だ! 連中の毒は周囲を穢す。あの
それを焼き尽くすだなんて勿体ない!
「とうさま! ぽわぞんもるてる・ふろっぐは、げどくやくのだいいちそざいです!」
慌ててあげた俺の声に、何時の間にか涙と鼻水を拭い終えていた父様が目を丸くする。
知らなかったのか……? いや、そうか……これが一般化したのは、父様が死んだ後だった――ていうか、ちょ、俺の顔はまだべたべたなのに、父様だけ何綺麗になってるの!?
と、思ったらポムが神妙な顔で俺の顔を拭いてくれた。……よく気がつくじゃないか得体の知れない男よ。少しだけ評価あげておくぞ。一ミクロン単位ぐらいでいいよね?
「解毒薬……?」
「のどのおくに、どくぶくろがあって、それがざいりょうになるんです」
「なんで、そんなことを……」
困惑した父様の眼差しに、俺は言葉につまった。
猛毒大蛙の毒が解毒剤の上位素材になるのって、人族を経由して知った知識なんだよな……しかも教会の最奥にある秘伝書に記録されてる類の。
……まぁ、元は誰ともわからないどこかの魔女の知識なんだが……
どう言うべきか。
――うん。誤魔化そう。
「『まじょ・てーら』のごほんにかいてありました!」
父様が目を見開く。
『ほうきのまじょ・てーら』は俺の愛読書の著作者だ。その知識はかつて魔王として君臨していた俺すら平伏するほど膨大で、幅広く、奥深い。
なにせこの俺に料理のさしすせそまで教えてくれた偉大な方だ。心の師匠とこっそり呼んでいる。一度も会った事は無いが。
きっと『ほうきのまじょ・てーら』ならばこの程度の知識、知っているだろう。うん。
数多くの
「……そんな蔵書まで読んでいたのか……」
父様が茫然とした顔で呟いている。
おお、父様も『ほうきのまじょ・てーら』をご存じでしたか。そして敬意を抱いていましたか。まぁ、あれだけ本が揃っているしな。実はファンですね? 同志よ。
「だが、先にも言ったように、誰かの罠の可能性がある」
む。確かにそれはあるんだが……
「てんねんとうや、こくしびょうのたいさくにも、つかえるんです」
「なんだと!?」
世界三大伝染病の名に、父様は目を見開いた。流石に聞き逃せないらしい。まぁ当然なんだが。
と言っても、流石にそれらの病に対しては、他に揃えないといけない素材が膨大なんだがな……
「かんぺきではありませんが、よぼうのしゅだんとしてゆうこうだと、かかれていました。ほかにもたくさんのそざいがひつようですが、ぽわぞんもるてる・ふろっぐのどくぶくろは、さいしゅのむずかしいそざいのひとつです」
この素材採取の難しさには、連中の特殊な性質が関わっていた。
物理・魔法を問わず『敵からの攻撃があたる』と、死亡時に毒袋が裂けるのだ。その為、通常は倒した後、毒が周囲を穢さないように血の飛んだ箇所を含めて全て焼き尽くさないといけない。
だが、【
これらの魔法の時のみ、素材が採取できる。
父様は迷い、チラとポムを見た。
ポムは頷く。
「採取される方向で動かれたほうが良いかと」
「……そうか。なら――素材回収を視野にいれよう」
ポムの一言で、父様は嘆息をつくようにして俺の意見を汲んだ。
俺はその様子をじっと見る。
ポムも父様も何でもない事のように会話を続けているが、俺のポムに対する警戒は深まった。
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