第275話「年越し」
日にちもあっという間に過ぎて、今年がもう数える程になってしまっていた。
クリスマス一色だった世間が新年へと移ろっていく。
ふと、そんな光景を清少納言が見ればどのように書き綴るのだろうか、と思い更に深い思考に入ろうとしたところで桜花に呼ばれた。
「どうした?」
「明日は大晦日です。なのでおせちを作りたいと思います」
「おせちを……つくる?」
梓は大抵の料理は作れるが、おせちを作っているところはついに見た事がなかった。それ故におせちとは何と難しい料理なのだろうと感慨深い気持ちに襲われていたのを覚えている。
そのおせちを桜花は作る、といっているのだ。これを驚かずにいられようか、いやいられない。
「本当なら大晦日に作り始めても間に合う日程なのですが、万が一の失敗を考慮して今日から始めたいと思います」
「僕も手伝うよ。とはいっても作ったことがないから役に立てるかどうかは分からないけど」
「ありがとうございます。では、共同作業と行きましょう!」
「おー!」
心の中で「共同作業」という言葉の響きに何故かグッときてしまったのは秘密だ。
「早速ですが、翔くんが思う「絶対に外せない料理」は何かありますか?」
「卵系」
「即答ですね……」
「絶対外せない、と言われると……やっぱり卵系の料理は外せないな」
「数の子は買いましたし……。伊達巻もだし巻き玉子も作りますからね」
「ありがとう」
今回のおせちは翔の好みの料理ばかりになりそうだ。
しかし、そう喜んでばかりもいられない。
翔は久方ぶりの料理であり、感覚が戻っているのかが心配の種である。それに桜花が張り切りすぎないかも心配のひとつだ。
「桜花は今までにおせちを作ったことがあるのか?」
「祖母に仕込まれたので、お手伝い程度ならしたことはありますが、私が主体で行うのはこれが初めてです」
「桜花のおばあちゃん凄いな……」
翔や桜花のおばあちゃん程の年齢の方ならばおせちを一から作るのも造作のないことなのかもしれないが、まったくの素人の翔からすれば、凄いことだった。
「翔くんのお家ではお雑煮も一緒に食べますか?」
「あー確かに言われてみれば食べる。餅好きだから」
「お餅が好きなのですか。……どうしてもう少し早く言ってくれなかったのですか。言ってくれればもう少し多めに買ったのに……」
「ごめん。……つい」
翔の中ではもう既に桜花に言っているつもりでいたのだ。それに、こんなことを言うと桜花が悲しむかもしれないが、梓や修斗達と過ごす、いつもの年末年始のように思い違いをしていたのだ。
梓は翔がいちいち言わなくても翔の好みを理解しているし、修斗も足りなさそうなものは追加で買ってくる。
翔は子供らしく遊ぶなり勉強するなりしていればよかったのだ。
翔が謝ると桜花は仕方がないですね、とばかりにふっと息を吐いた後、
「一息ついたら追加のお餅を買いに行きましょう」
「因みに……どれだけの餅を買ってるの?」
「1kgです」
「……充分では?」
均等にわけたとしても500グラムはある。一日で食べ切るという訳では無いが、正月だけを考慮するならば別にこれ以上買い足す必要は無いような気がする。
しかし、桜花は首を横に振って否定した。
「梓さんからもう少し買い足すべし、とのお達しを頂きましたので」
「母さん……」
翔の胃袋を一体何と勘違いしているのか。大方、ブラックホールだろうか。
高校生男児ならばこれぐらいは食べるだろうという予測は翔の前ではまったくの役に立たないことを早く覚えてもらいたい。
たまに思い切り食べる時もあるのだが、基本は少食で、カルマ辺りが見れば「いや、それ足りなくね?俺なら死ぬ」と言いそうな程である。
「あと、おせちに時間をかけるのでお蕎麦は市販のものでいいですか」
「……そこは訊ねる所じゃないと思うけど。蕎麦は市販のものしか食べたことないので大丈夫だよ」
外食の場合は分からないが、家で食べたことのある蕎麦は全て市販の安い麺だ。
翔はもしも頼めばそば粉から始めるのだろうか、と疑問に思ったがもう市販のものでいいと言った手前、それを訊ねるのは憚られた。
「では翔くんはお雑煮の下準備を。私は浸け置きできるものから片付けていきます」
「すっかり主婦だな」
翔は言ってからすぐにしまったと思った。これでは翔と結婚しているようなニュアンスが含まれるではないか。
桜花は大きな瞳をぱちりと瞬きしたあと、ふっと微笑んだ。
「主婦は舐めたらダメですよ」
「は、はいっ。肝に銘じます」
恐らくは錯覚なのだろうが、桜花の後ろに極道の道を極めていそうだが、可愛らしいエプロンに身を包んだ厳つい男性がいたような気がした。
「料理は翔くんに唯一負けていない家事ですし」
「いやいや、桜花には全部抜かれたよ」
「そうでしょうか?私が家事をしようとすると大体終わっているのですが」
「それは……まぁ、桜花に任せっぱなしも悪いかな、と」
「あ、ありがとうございます」
翔が肩を竦めてそういうと、嬉しかったのか桜花が身体を当ててきた。体当たりというほど強くはなかったがそれなりの強さだったので翔は驚いた。
遠くの方で「愛が一番や」と関西弁が聞こえたような気がした。
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