第254話「いい夫婦の日」


「散歩にでも行かないか?」


 そう翔が誘ったのはいい夫婦の日である11月22日だった。

 すっかり日も暮れてしまって、辺りは真っ暗であることが予想されるが、帰ってきた返事はいい方のものだった。

 最近は寒いので、一枚上着を羽織ることも忘れない。


 コースは特には考えていない。ぶらぶらと適当に気がするまで歩き回りたい、というのが翔の気持ちだった。


「マフラーも巻かないと風邪を引きますよ」

「自分でできるよ」

「させてください。……翔くんは下手っぴなので」


 言いたいことはいくつかあったものの、マフラーを巻いてもらい翔と桜花は手を繋いで外へと出た。二人が繋いでいる方の手は手袋を外している。

 これはわざとであるが傍から見れば片方は手袋をしているのでさぞかし変に写ることだろう。


「翔くんがお散歩に私を誘うのは珍しいですね」

「お散歩自体そんなに行かないからね。気持ちが乗った時ぐらいに」

「その時に私は呼ばれませんが」

「ごめんごめん。今日からは桜花を誘うことにするよ」


 翔と散歩に行くのはあまり面白いものでは無いだろうという考えで、翔は桜花を誘っていなかったのだが、どうやら誘って欲しかったらしい。

 少しぎゅっと握ってやると桜花からくすっと笑みが零れた。


「な、何だよ」

「翔くん。今日は何だか緊張していませんか?」

「そんなことないよ?別に普通」

「何か話したいことでも?」

「……はぁ。桜花には全部筒抜けだな」


 翔は観念のため息を吐いた。


 まさに図星だったのだ。翔は一つ心に話そうと決めていることがあった。翔としてはその事を表情に出した覚えは無いのだが、桜花はどうしてか翔の思考を読み切っていた。


「桜花は僕に不満とかないか?」

「急にどうしたのですか」

「ふと気になっただけだよ。結構、長い間暮らしてきたから不満の一つや二つはあるかな、と思って」

「……不満ならありますよ」

「あるんだ」


 自分から訊ねておいてではあるが、やはり不満があると言われると少し胸が痛む。それは申し訳ないという気持ちとある、と言われたことに対するショックだった。


「翔くんが私にあまり甘えてきてくれないことです」

「……はい?」

「私が翔くんに甘えることは多いですが、その逆はあまりありませんよね。翔くんがとても紳士なのは分かってはいますけど、それにしてももう少し私に甘えてきてくれてもいいと思います」

「僕的には結構甘えているつもりなんだけどな……」

「そうですか?まだ足りませんよ」

「まだ足りないのか……。そうかぁ」

「蒼羽くん曰く『一緒の布団で寝るぐらいしないと男じゃない。もしくは女の子として見られてない』と。翔くんはどちらなのでしょう」

「どったからどう見ても男だし、桜花は大事な……」

「大事な?」

「……彼女だし」


 不覚をとった。ここは恥ずかしがらずに一気に言ってしまうべきだった。そうすれば今のように聞き返されることもなかったはずだ。

 翔は嬉しそうな桜花にうりうりと身体を押されながら思った。


「その他は何もないので安心してください」

「一番深刻な問題だったかもしれないな」

「翔くんがもう少し男の子らしいことをしても……私はそれを受け入れる気ではいますからね」

「男の子らしいこと……」


 一瞬であらゆる事が思い浮かんでしまった辺り、翔はもうれっきとした男児なのだが。


「ハグしたりキスしたり一緒に寝たり……一線越えたりっていうこと……?」

「最後に関してはノーコメントですけど、そういうことです」


 その時、ちゃぽんと音が鳴った。翔達は話しながら散歩をしていた。それがどうやら近くの公園の池まで来てしまったようだ。


 翔はいつもこの辺りで一旦の休憩をする。疲れたからではなく、水がせせらいでいる音や水面に映る月などを眺めるためだ。

 しかし今日はそのような風景などどうでもいい。


 翔は意を決して桜花に後ろから抱きついてみた。


「急に抱きつかれると困ります」

「受け入れてくれるらしいから」

「びっくりするのであまり後ろからは……しないで欲しいですかね」

「う……ご、ごめん」

「分かりやすいほど凹まないでくださいよ。そうですね……。先に言ってくれればいいですよ」


 桜花はくるりと一回転して翔をじっと見つめた。


「『抱きしめてもいい?』と」

「だ、抱きしめてもいい……ですか?」

「どうぞ」


 翔と桜花はもう一度、今度は向かい合う形で抱き合った。翔は先程から心臓がばくばくと忙しく働いており、胸が苦しかった。

 しかし、止められない。


「キス、してもいい?」

「誰かに見られているかもしれませんよ」

「暗闇だから見えないよ」

「あまり深いのはダメですからねっ」

「大丈夫。抑える」


 翔はそっと桜花の唇に口付けを交わした。マフラーをつけているにも関わらず、その唇は冷たかった。しかし、二度目を交わすときには熱いほどに体温が上がっていた。


「そんなに緊張しなくても」

「し、してませんよ。翔くんこそ急に温かくなりましたけど」

「桜花とキスする時はいつも緊張してるからね」


 翔はその返事を聞く前に三度目を交わした。

 桜花が深くはダメだと言っていたのでそこは守ったが、これからはもう少し積極的でもいいのかもしれないな、と思った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る