第214話「貰ったけども」
翔は深いため息を吐いた。
カルマと買い物を済ませ、学校へと戻り桜花と共に帰路に着いたのだが、桜花の様子がえらく、よそよそしい。
その様子が今日の朝とよく似ていて翔はその時をふと思い出した。
翔が目を覚ました時には既に桜花の姿はなく、その温かみさえ薄れてしまっていた。余程、早くに起きていたらしい。
「おはようございます。ご飯はできていますからね」
「おはよー、いつもありがとう」
桜花はその言葉のみでそれ以降は翔と会話らしい会話はしていなかった。
桜花が意識していることは確実である。
翔が寝ている内に無意識で何かしてしまったのかもしれなかったので、用心なく訊ねることは少し難しかった。
しかし、いつまでもこのままでは翔の精神が持たない。いつも桜花に頼ってばかりいるせいか、心に穴がぽっかりと空いてしまったかのような虚脱感が全身を支配していた。
「桜花」
「……何ですか」
「今日はどこかに食べに行こうか」
「……どうしてですか?」
「どうしてって……。桜花があんまり僕と話してくれないから、そのきっかけ?みたいな……」
翔が頬を掻きながら恥ずかしそうに言った。
仲直りというほど喧嘩もしていないし、気が無くなった訳でもないが、以前のように仲睦まじい関係に戻りたいと思っていた。
桜花も根本的には同じ気持ちだったのか、翔の提案を二つ返事で受け入れた。
「翔くんは気付いていないのですね」
「気付いてない?」
「いいえ、私の話です」
翔は首を傾げる。桜花は何やら一人で安堵するように頷いていた。とても気になる。
「教えてくれよー」
「いやです」
「即答された?!」
どうやら断固として翔に教える気は無いらしい。
しかし、翔の反応がとても寂しそうなもので、少し心にちくりと棘が刺さった桜花は、
「翔くんが寝ている間に少し悪戯をしたのです」
と、結局は教えてくれた。
だが、当の翔はさっぱりで、何をされたのかはまったく覚えていない。しかも、一緒に寝ていたことを恥ずかしがっているに違いないと思っていた翔には寝耳に水だった。
「僕と一緒に寝たけど……緊張しなかったの?」
「私を誰だと思っているのですか。緊張するに決まっています」
「あ、そっちなのね」
「そっち?そっちとはどういう意味ですか」
「緊張するんだ、と」
翔はもう桜花が何を考えているのか分からなかった。
元から桜花が考えていることを全て分かるとは思っていない。むしろ分からないことの方が多いだろう。
しかし、一緒に住むにつれて何となく、桜花の思考回路が理解出来たような気がしていたのだ。
物ごとには順序だててことにあたる桜花の思考は読み取りやすいのだが、今回はそれが全く出来なかった。
「でも、それは慣れなければいけないことですから」
「……それって」
「その先は言いません」
ふいっとそっぽを向いてしまう桜花を視線で追いかけながら、頬が熱くなるのを感じる。
慣れなければいけないこと。
それはつまり、将来的に、翔と一緒に寝たいという隠喩ではないのだろうか。
「僕のこと好きだな?」
「別に好きではありません」
「本当……?」
わざと泣きそうな声色を作って問い掛けると桜花はたじろぎ「……好きですよ」と返してくれる。
翔はふと、もう桜花との仲は戻ったのではないかと思った。
先程までの無言や何となく話しかけにくい雰囲気だったのがいつの間にか霧散していて、いつも通りの桜花達であった。
「どこに食べに行くのですか?」
「それは決めてなかった。何か希望ある?」
取り敢えず何か話すきっかけを、とばかり考えていたのでどこに何を食べに行くか、という基本的な大事なことを全く考えていなかった。
「ラーメンですかね」
「ラーメン?」
「そうです、ラーメンです。何となく気分がラーメンの気分なので」
「肌寒い時期のラーメンも乙なものだな」
「暖まって帰りましょう」
「そうだな」
桜花からまさかラーメンという答えが出てくるとは思わなかったが、よく良く考えれば最近のめっぽうの寒さは確かにラーメンが恋しくなる。
翔が右手を差し出せば桜花がそれをそっと握った。
「翔くんの手は冷たいですね」
「逆に桜花の手は暖かいな」
「暖めて上げましよう」
桜花の手は冷たくなっていた翔の手に温度をもたらせてくれる。
「手の冷たい人は心が温かいって言うよな」
「それは私の心が冷たいと?」
「いや、そういう訳じゃない」
「分かっています。でも私はその迷信は手の冷たい人がでっち上げた虚言だと思っています」
「……はっきり言うね」
「そうですね。翔くんになら歯に衣着せぬ言い方ができます」
そうか、と翔は返し、先導する。
果たして歯に衣着せぬ言い方というのが翔を信頼してのものなのか、取るに足らないと思われているのかは議論の余地があるが、まぁ、何でもいいかと思った。
翔は桜花とラーメンを食べて帰宅した。
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