第90話「嫉妬じゃないです」


「おかえりなさい」

「ただいま。頼まれた物も買ってきた」

「ありがとうございます」


 翔は蛍とカフェで話をした後、桜花からのメールを見て、帰宅する前に買ってきた。その時には既に蛍とは別れており、一人で買い物をした。


 頼まれていた物が入ったレジ袋を桜花に渡す。

 玄関までお出迎えしてくれた桜花は晩御飯を作っている最中だったのか、エプロンをつけて、髪を後ろでまとめていた。


 見慣れたはずなのだが、玄関という場所のせいか、蛍との話をまだ引き摺っているのか、胸が高鳴っているのを感じた。


「学校帰りに寄り道するのはしんどいや」

「何あったのですか?」

「ま、まぁ」


 危うく話しかけたが、簡単に口に出していい話でもないだろう。翔は曖昧に誤魔化した。


 桜花が怪訝な視線を送ってきていたが、見ていない振りをする。


「ともかく、翔くんは手洗いしてきてください」

「うん」


 桜花に急かされ、入念に手洗いをする。

 手洗い場からリビングへと戻ると、ダイニングで桜花が料理を並べていた。


「僕も手伝うよ」

「もう終わりますから構いませんよ」

「まぁまぁ」


 やんわりと断りを入れる桜花だったが、翔は桜花の手から皿を受け取って並べる。


 今並べているということは翔の帰りを待っていてくれたのだろうか。現在の時刻はいつもの飯時と比べても遅い。


「蛍さんと何を話したのですか?」


 いただきますを言い、美味しく頂いていると、桜花が気になっていたのか唐突に訊ねてきた。


「ん?大体はカルマの誕生日プレゼントを選ぶ参考に差せられてたよ」

「蒼羽くんの誕生日が近いのですね」

「教えてくれてなかったし、気にしなくていいよ」


 何かするべきなのだろうか、と考え始めた桜花に必要ない、と言い切った。

 もしかしたらカルマは蛍だけに祝って欲しいのかもしれないからだ。


 もしそれが当たっていたならば、下手に誕生日プレゼントを用意しない方がいいだろう。


 当日にメールぐらいは送るかもしれないが、翔は特にこれといってする気はなかった。


「その他はどうだったのですか?」

「その他?」

「大体は、と翔くんが言ったので」


 いつもよりもぐいぐい来る桜花に少し戸惑ってしまう。


「……障害物競走の事で、出場しないかって勧められた」

「今度ある学校行事ですね。確かに体育委員の方が参加者を募ってましたね」

「蛍はそういえば体育委員だったな」

「放送部にも所属しているらしいですよ」


 その情報は初耳だった。体育委員に放送部。何も委員会に入っていない上に、帰宅部の翔とはまさに雲泥の差だった。

 桜花も帰宅部ではあるが、翔とは意味が異なる。


 体験入部の際に、男子の部活からは異常なまでにマネージャーを勧められ、女子の部活からは桜花曰く、「きっと歓迎されないでしょう」という事で、そこまで乗る気ではないなら、わざわざ入る必要は無いだろうと翔が提案したからだった。


 委員会については須藤が周りに同調圧力をかけ、強引に保健委員にさせられたが。


「それで翔くんは出場するのですか?」

「僕が出たって面白くはないと思うんだけど」

「障害物競走は誰が出ても変わりませんよ」


 それなら尚更、翔が出なくてもいいでは無いか。翔はう〜ん、と思案顔で桜花を見た。


 そしてふと、蛍からの言葉を思い出す。


「桜花」

「はい?」

「僕が出るって言ったら、桜花も出るか?」


 翔がでるならば、桜花もでてくれる、という謎の理論だ。蛍があまりにも自信満々に言うので、つい口に出てしまった。


 桜花はぴたりと固まった。


「男女別じゃなかったはずだから」

「それは……そうですけど」

「どうだ?」

「翔くんが出て欲しいというのならでます」


 翔から提案したので、それはもう言っているようなものなのだが、これはきっと口に出してもう一度、ちゃんと誘って欲しいということだろう。


 翔もそれぐらいは分かる。


「一緒に障害物競走にでてくれないか?」

「……はい。いいですよ」

「何か小っ恥ずかしいな」

「言わないでくださいよ。私も恥ずかしくなりました……」


 桜花がもじもじと身体を揺らし、目線を泳がせる。翔は自分の言葉と桜花の様子を見て、強く何かが込み上げてくるのを感じたが、どうにか押し込め、平静を保とうとした。


「さ、さぁ食べましょう?これはもう食べましたか?」

「う、うん。これから頂くよ」

「はい、どうぞ」


 一人何故か自爆した桜花が料理をスプーンの上に乗せて翔が食べてくれるのを待っていた。


 ぱちくり、と瞬きを何度繰り返しても現実であるらしく、風景は変わらない。


「どうぞ」

「う、うん」


 そこまで押されて断れるはずもなく、翔は桜花が先程まで使っていたスプーンであることも、桜花に食べされられているということも一旦忘れて頂くことにした。


 きっとスプーンは新品で、翔の知らない間に技術が進歩し、機械に食べさせて貰える日が来たのだ。


 と、そう思うことにした。


 美味しいはずの料理が、甘みが強すぎるように感じた。


「どうですか?」

「お、美味しいよ。昇天しそう」

「もっと食べてください」


 向かい合って座っていたはずが、いつの間にか隣に桜花がいる。

 流石に同じことをさせる訳には行かなかったので、桜花の肩を持って止める。


「翔くん」


 甘えるように囁く桜花に翔はどうしてしまったのだろうか、と考える。

 いつもの桜花ならば、後から思い立って悶絶しそうな事はしないはずだ。だが、何かに焦っているのか、いつもより距離が近く、肩と肩が触れ合っているほどで、肩を掴んでいる今に至っては目を閉じればそういう雰囲気になりそうなほどだった。


「どうした?ちょっと落ち着け」

「落ち着いています」

「いやいや、どう考えてもいつもの桜花じゃないよ」

「いつもの私ですよ」

「いつもより近いし……!」

「いやですか?」

「……いやじゃないけども」

「ならいいですね」


 やはり何かがおかしい。

 翔はそこまで算段はついたが、何故なのかがさっぱり分からない。強いて言うならば、蛍と放課後に買い物に行ったことだが、あれはちゃんと桜花も知っているはずだし、それが何かの引き金になったとはどうしても思えない。


 蛍はカルマの彼女なのだ。


「何があったんだ……?」

「何もないですよ」

「その顔は何かあった顔だろ」

「そこまで気付いていてどうして最後まで分からないのですかっ」

「そんな事言われても……」


 ぽこぽこと胸を叩かれる。

 翔は桜花を宥めようと色々考えたが、元が分からないのでどうにも出来なかった。


 そして、翔は盛大な諦めのため息を吐いた。

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