第九章『《猟奇博士》なる男』2

「番外のごときお前が私に口出しするな! お力添えを、と言い出したのはお前ではないか! 足を引っ張る気か!」

 道化師が見知らぬ少年と女を連れて戻ってきたのはつい先ほど。

 さらにこれを牢に入れて、「このお二人はお客様でございます。くれぐれも今般の〈地下炉〉計画に取り込むのはお止めください。他の者はお好きにして構いませんが」と一方的に告げたのが直前のこと。

 むろん博士は激怒した。

 まったく無関係の人間を秘密の地下に連れて来て、あまつさえ手を出してはいけないと言うのである。ほんの数時間前に力添えするとのたまったのはいったいどの口か。

「確かにお力添えをと申しあげました。〝閣下〟の大業の一翼と申しあげました」

「ならなぜ――」口出しするのか。

 そう言いかけた博士に人差し指が突き立てられる。

「ですが猟奇閣下、よくお考えくださいませ。〈地下炉〉の稼働が当初の予定よりずっと早まっている事実に、他の皆さまがいかなる意見をお持ちになっておられるのかを」

「う、貴様どこまで知って……」

 猟奇博士が苦しげに息を漏らす。

 事ここにいたって、ようやく全てを見抜かれているのに気づいたのだ。しかも他の幹部も知っているらしい。もしかすると道化師が面白おかしく伝え歩いたのでは。そんな気さえしてくる。

「なら……、なぜ私に、閣下に協力するなどと言いだした。まさか私が失敗するのに協力する、ということでは、ないでしょうね?」

「いかなお調子者の口といいましても『《猟奇博士》閣下に』にお力添えするとは一言も発しておりません。全ては我らが偉大なる《幻影男爵》閣下のためでございます! 〈地下炉〉計画は我らが大業〈混沌なる黄金〉の下ごしらえという事実を努々ゆめゆめお忘れなきよう」

 釣り上がる口元にはあからさまな侮蔑の笑みが浮かんでいる。お前など最初から相手にしていないとでも言いたげに。その笑いこそ、あらゆる存在を例外なく見下す《無銘道化師名無しのおどけ者》の本懐であった。

「〈地下炉〉計画は大業にかかる事業として、〝閣下〟より《暗黒卿》閣下を通じて猟奇閣下が手配されたもの。それを無断で前倒しするのはいかがなものでございましょうか」

 結社の総帥にして第一位《幻影男爵》。

 かつて帝都中を荒らし回ったこの犯罪者は大業〈混沌なる黄金〉を興すべく裏社会から姿を消し、〈黄金の幻影の結社〉を組織した。爾来じらいおよそ二十五年も世間から行方をくらませている。

 七年前に〈結社〉に加わった博士は一度も首魁の総帥を見たことがない。しかし彼は怪人《幻影男爵》が現役の犯罪者として帝都を荒らし回っていた時代はおぼろげに記憶しているし、現在においても〈結社〉に指令を下すことで健在を示すのも身をもって経験している。

 また第二位の《暗黒卿》と番外の《無銘道化師》は《幻影男爵》と直に通じているという。

 すなわち道化師に何かを知られるというのは、結社の長に知られるのと同義で、〈地下炉〉計画の独断はほぼ筒抜けと言ってよいだろう。となれば、


 ――な、なんとしても成功させなければ、殺される


 暖かで残虐な炉の近くにいる博士は、だらだらと汗をかきはじめた。

 組織の指令に独断で変更を加え、あまつさえ失敗すればどうなるか。想像のつかぬ男ではない。にもかかわらず、ばれはしないという根拠のない楽観にってここまで計画を進めてきた男でもある。

 起こりうる失敗にいまさら恐れをいだくのも滑稽な話であるが、単に悲観的な想像と、現実に道化師が言うのとでは真に迫る度合いが大きく違う。

「しかしですな」

 と道化師が残り四本の指を開いて、手をひらひらと振ってみせる。

「大きな事業ともなれば多少の変更はつきもの。実際我らの〈混沌なる黄金〉とて一度頓挫とんざしております。その建て直しがこうも遅れるとは〝閣下〟とて予想しておりませんでした。ですからその傘下事業〈地下炉〉計画にもいくらかの変更はあってしかるべきでしょう。で、あればこそ、計画が成功すれば猟奇閣下の逸り驕りの一切は不問となりましょう」

「ほ、本当だろうな?」

「帝都人として、誓って嘘は申しませんとも」

 こんなに胡散うさん臭い帝都人がいるか、と思わないでもない博士であったが、いまはぐっとこらえる。すべて成功すれば何ら問題はないのだ。

「ならば大丈夫だ。横槍が入らなければ失敗などありえない」

 早くも楽観に溺れはじめる博士は断言した。

「さすがでございます。その要領で人形がさらってきた他の人間は猟奇閣下がお好きなようにご加工くださいませ」

「当たり前だ。言われずとも先に捕らえた特高の連中を薪にしている最中だ。もっとも貴様が同じ牢に『お客様』二人をぶちこんだおかげでしばらく何もできなくなったがな」

「この二人は計画変更に伴う大事な存在でありますから、手をお出しになりませんよう」

「だからなぜ貴様が勝手に変更を加える。私に口出しをするなと言っておるのだ」

「話が振り出しに戻っておりますが、なぜ手を出しては駄目かと申しますと――」


 道化師がいつの間にか取りだした燐寸マッチをこする。


 しゅっと小気味よい音を立てて灯された火が牢内の虜囚りょしゅうの瞳孔を照らすと、「うぅ」と、かすか呻きが漏れる。燐寸のかすかな明かりの中で、少年が目を細めて道化師をにらんでいた。その隣にはまだ意識を失ったままの女が横たわっている。

「お目覚めでございますな。さて猟奇閣下、よくお聞きくださいませ。この少年はかの《軍団卿》閣下の手足、それもとびきり優秀な手足なのでございます」

 碩学級探偵にあたる《軍団卿》は〈結社〉の人間ではない。本来ならば閣下をつけなくてもよいのであるが、道化師は結社の慣わしにのっとって他の者もそう呼ぶ。

「な……、《軍団卿》だとっ!」

「こめかみがひくついておりますよ」

 顔が見えているとの暗なる指摘に、博士は手にしていた仮面を慌ててかぶった。

 口元を覆わない仮面は道化師のそれと似た形状だ。

 しかし博士の仮面はある動物をかたどっていた。

 耳は大きく、開いた口には鋭い牙が生え、平たく押しつけられたような鼻は豚に似ている。仮面の上部、耳の上側が大きく左右に突き出している。ばさり、と鳥が羽撃はばたくように広がる突き出しはまさに翼を模したものだった。

 燐寸の灯りを受けて、仮面の影がふらふらと壁面を舞う。


 仮面は洞窟を飛ぶ天鼠コウモリを模していた。


 これほど薄暗がりで舞うのが似合う動物はいない。

「ええい! いきなり明かりを灯すな道化師!」

 もしや自分の素顔を探偵の助手に見られたのではないか。

 仮面を着けて素顔を隠した博士は檻の中の少年をうかがう。

 そこには厳しくねめつける子供がいるだけだ。

 犯罪者の素顔を目撃した、といったような驚きの表情はない。

 ほっとした博士はようやく少年の身の上に触れる余裕ができた。 

「これが《軍団卿》の助手だというのですか! この少年と女が!」

「違わい! 姉ちゃんに手ぇ出したら絶対に許さないぞおめぇ!」

 市谷少年はよろめきながら立ち上がり、楓と博士との間に立った。

 その間はさらに格子で隔てられている。

「ええ、彼が檻を楯にお守りしているお嬢さんは助手ではありません。ですが大事な客人まろうどであるのには違いありません。繰り返し申します。手をお出しになりませんように」

「誰が招いたというのですか、え?」

「むろんわたくしが」

「勝手なことを!」

「独断で計画を先走らせたのは誰でございましょう。その修正でございます」

 道化師がしれっと当てこする。博士は「貴様ぁ」と強く息を吐いて、

「この際その女はどうでもいい。だがせっかく捕らえた探偵の助手を殺すなと言うのですか! しかも碩学級探偵の助手ですよ!」

「左様です。この少年には餌になってもらいます」

「な……、ここに碩学級探偵を招き入れろというのか!」

 相手は帝都に数えるほどしかいない碩学級探偵だ。

 さらにいえば《軍団卿》の号を持つ帝都探偵協会の第三位、神楽坂かぐらざか和巳かずみは過去に幾度も結社の計画をくじいてきた忌むべき存在である。

 そんなものを招致するというのは、

「〈地下炉〉計画を失敗させろと言っているも同然ではないか、この気違い道化師め、お前は自分の言っている意味がわかっているのか!」

 顔を隠して気が大きくなったのか、つかみかからんばかりの勢いで叫ぶ。

 横槍が入らなければ大丈夫だと、さっき断ったばかりの博士であるから、そこに横槍を入れさせようとする道化師の行動がまるで理解できなかった。

 これは彼でなくても同じであろう。もしかすると他ならぬ道化師自身、自分の行いが何をもたらすのかが分かっていないのかもしれない。

 ――この気狂いならばそれもありえるぞ

 博士としては断じて認めるわけにはいかない。探偵がやってきて計画がむちゃくちゃになれば、成功どころの話ではない。待っているのは我が身の破滅だ。

「炉の出力測定の結果が出るにはまだ時間がかかるのだぞ!」

「むざむざ計画をふいにする気はございません。ですからわたくしも加勢しているのでありませんか。猟奇博士閣下とわたくしで測定完了まで時間を稼ぎ、あわよくば《軍団卿》閣下をも倒す。仮に〈地下炉〉計画が失敗いたしましても、号を持つ碩学級探偵を葬った事実があれば皆さまも十分に納得いたしましょう」

「碩学級探偵を抹殺しろだと? あの《機関卿》閣下ですら失敗したのだぞ」

「兄貴がお前らなんかに倒されるかよ!」

 道化師が博士と市谷の視点を一身に浴びる。彼の舞台はここにもあった。

「むろん猟奇閣下に軍団卿閣下が倒せるとは毛ほども思っておりません」

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