第二章『老技師と蒸気大戦』2
蒸気機関――この機械は人間に多大な功罪をもたらしている。
蒸気機関を取り入れた国家は最初に経済面での発展を成し遂げた。
《三盟主》をはじめとする欧州の列強国や和州の大東和帝國は国力を増していき、さらに勢力を伸ばそうと、それまで以上に周辺国を取り込みはじめる。そうした各勢力の魔手が衝突した結果、人類は初めて世界規模の戦争を経験する。
それが世界大戦、通称『蒸気大戦』である。
戦争の被害は大きく、それは単純な戦域の拡大によるもののみならず、蒸気機関を取り入れた兵器の進化によるところも大きい。『蒸気大戦』の名がそれを如実に示していよう。
この戦争によって多大なる被害を受けてなお、人々は蒸気機関を棄てられなかった。
その恩恵が計り知れないほどに大きかったからだ。
戦時の技術革新がなければ帝都に《時計塔》は生まれなかったとまで言われている。
蒸気機関は帝都のみならず、いまもなお世界の技術の中核に座している。
「技術的な観点でいえば、戦時の蒸気機関の日進月歩はすさまじかったよ。今日の発明がすぐ過去になる。研究者も技術者もうかうかしておられん時代じゃった」
「そういえば技師をしていらしたのですね」
「お陰で戦地にも駆り出されずにのう、せっせこ機関車なんかをこさえておったわ。なかでも列車砲〈
老人は誇るような顔で言って、しかしどこか疲れを感じさせるため息を吐く。
ありし日を懐古しているようでありながら、後ろめたさを抱えているようでもある。
その態度に楓は既視感を覚えた。
どこだろうと記憶を探る間もなく、自分の二重廻しに触れてすぐ思い当たる。
祖父に似ているのだ。
彼も過去を語る際に、相反するような態度を一緒くたに取ることがあった。
祖父の言動から老人の心境を類推するに、戦争に積極的に加担したという罪悪感と、そこに自分の青春を捧げられて悔いはないという誇りの混在した状態といえようか。
むろん楓はそこまで突っこんで聞けない。身内の祖父相手にもそこまで踏み込めないのだから、ましてや初対面の相手に戦争への思いなど聞けるわけがないのだった。
一方で楓は自分がどことなく老人に親身を感じた訳を知った。
帝都郊外の工場に勤めていたという老人と、帝都の後背地で任務に服していたという楓の祖父。二人は極めて近い空間で同じ時間を過ごしていたのだ。
もしかしたら老人と祖父はどこかで出会っていたかもしれない。
そう考えると親しみを覚えるのであった。
そういえば、と楓は老人が佩用している勲章に目を向ける。
祖父も似たものをいくつか持っていたはずだ。彼は普段から身に付けてはいないが。
「これか? これは先の戦争で技師として貢献して賜った勲章じゃよ」
歯車を模した地金に車輪と柏の葉を配した小綬章だ。
柏葉は大東和帝國を象徴する
老人の勲章は丹念に磨かれているのだろう。彼に馴染みながらもこれだけは煤がついておらず、すっかり黒ずんだ作業服との対比がまぶしい。
「技師現場からの徴兵がほとんどなかったのは、東和の戦況がさほどひどくなかったというのもあろうが、それ以上に
結城閣下が誰なのか楓にはわからなかったが、そこまでは突っこまずにうなずいて、
「早くから銃後の必要性を存じ上げていらしたのですね」
「うむ、仮に技師連にまで召集が掛かっておれば帝國の生産力は落ちて、欧州連合に押し負けて都内まで攻め入られていたと思う。しかし、のう――」
一度区切って、老人は眉を細めて遠い目をする。
過去を見るような遠い目だった。
「わしら技師連がもっと優秀であれば、帝都を包囲する連合軍を跳ね返して帝國が勝てておったかもしれんとも思う……」
うつむき、押し黙った老人に楓はかけるべき言葉が見つからない。
彼はあくまで技術者としての悔恨を口にしたのだろう。
しかし先の大戦で帝國が勝っていれば、軍人であった祖父が戦後に退役していたかは怪しく、結果として楓が生まれていたかもわからない。
蒸気大戦は大東和帝國の勝利には終わらなかった。
といって敗北してもいない。
戦況の膠着を原因とする休戦で終わっているからだ。
しかし開戦の当事者であった大東和帝國は講和条約の調印により解体、伴って帝政と帝室も廃されている。一方の欧州列強は北の大国ルーシーを除いて政体に大きな変化もない。
これをして事実上の帝國の敗戦と見る向きもある。
なぜ大東和帝國だけが解体されたのか。
これは開戦の直接の原因が帝國にあることに求められる。
蒸気大戦は大東和帝國による東欧への侵攻が発端だ。
緒戦となったバル・ベルデでの戦争において破竹の勢いで展開した帝國軍は、瞬く間に欧州東海岸を占領した。バル・ベルデの宗主国グラン・ハンザはすぐさま帝國へ宣戦を布告し反撃を開始する。
やがて地の利があるグラン・ハンザが帝國軍を撃破して東海岸を奪回するやいなや、機を見た欧州列強も続々と参戦を開始、ついには連合を組んで帝國本土まで攻め入り、帝都を包囲するに至った。
欧州陣営にとってはもう一息という状況にまで差し迫ったが、帝國側の新兵器〈城壁〉によって連合軍は包囲を狭めきれず、かといって帝國軍も連合軍を跳ね返す余力までは持たなかった。
老人が言っていたのはこのことだ。
一進一退の状況が長引く中、帝國は帝政の廃止を条件に休戦を申し入れた。
当初、戦争の発端は帝國にあると休戦に反発した欧州の連合軍であるが、やがて帝位の廃止と帝國の解体というふたつの条件を追加してこれを受け入れた。長く包囲を続けるよりも、大国家を解体し、その跡地に
帝國は自らを壊す条件を呑まざるをえなかった。
戦況が拮抗しているとはいえ、年単位で包囲を続けられれば干上がるのは目に見えていた。
三つの条件の履行をもって講和条約を結ぶとの合意がなされ、事実上の終戦である休戦が成った。条件の履行には二十年の猶予が設けられた。
そうして二十年、いまからおよそ三十年前、大陸最北域にある
旧帝國領はそれぞれの方法、形で新たな国家として独立していった。
帝都も大東和帝國の後継国『帝都』として興国した。
一方で帝都を囲む東和地方の各国は、欧州列強の後ろ盾を得て形の上で独立を果たした。
楓が学校で習った知識を思い出していると、老人がふっと顔を上げ、
「あいや、すまんかったの。お嬢さんは帝都のことが聞きたかったのに、つい自分の昔話に入れこんでしまった」
「や、大丈夫です」
老人の昔語りは好きでない楓だが、老人のそれからはまったく嫌な感じを受けなかった。
歴史を聞くような形であったからだ。歴史の話で、楓は駅舎のステンドグラスを思いだす。
「駅舎にあった五枚の
彼女は中央神話の四枚の主題を挙げてから、「五枚目の柱を描いたものだけがわかりませんでした。時計塔ではないかとの当たりはつけられたのですが」
「その通り。背にお日さま――
「悲劇とは蒸気大戦のことでしょうか?」
「それもあるが、もっと大きく、人類の歴史そのものについてじゃと思う。人々はいつの世も明るい未来を望んでおるからの」
神々に導かれた時代は去り、人間は自立した。
人々の明るい未来は《時計塔》に代表される科学がもたらしてくれる。
楓は駅舎のステンドグラスの主題をそう解した。
「しかしお嬢さん、お若いのに神話なぞよく存じておられるようで」
「昔からそういったものについてよくよく教えられてきましたので」
「それはそれは、頼もしい話です。しかし、名残惜しいがそろそろ時間であるな」
老人が懐中時計のふたを開けて示す。楓はあらかじめ待ち合わせと刻限があるのを相手に伝えていた。
「いまからならゆっくり歩いて向かって、途中で道に迷っても間にあう」
懐紙と鉛筆を取り出して、ここをこう行きなされ、と道順を丁寧に示す。
「帝都に来て早々こんな年寄りの茶飲み話に付き合ってくれてありがとうな」
「や、お誘い申し上げたのはこちらですから、お礼を言うのは私です」
笑みを浮かべて手を振る老人に、楓は深く頭を下げて、「では」とさりげなく伝票を手にする。だが相手はそれを見逃さずに首を横に振った。
ためらいがちに、「や、ですが――」と言う楓に、
「気になさるな。若いうちは甘えられるだけ甘えておくに限る」
やや強引に伝票をひったくって、さっと隠すように懐にしまいこんでしまった。
そうされると楓には打つ手がない。『年寄りの好意は受けられるうちに全て受け取っておくのが礼儀です』という、祖母の押しつけがましい言葉が再生された。
「お嬢さんの支払いは、またどこかで会う機会があった時にの」
「……はい!」どことなく希望の持てる老人の言い方に楓は自然にほほ笑んで、心をこめて謝辞を述べる。「なにからなにまで、ありがとうございます」
平素は無愛想な楓にして、この老人を前にすると珍しく口が回るのであった。
*
二重廻しの女性を見送りながら、彼は若者に幸あれと思った……、だろうか?
さにあらず。
技師からの志願を禁じる命令。未完成に終わった最終兵器。
戦争に加担した罪悪感。技師としての全力を捧げた満足感。
余命宣告を受けた帝國。戦後の混乱。《時計塔》の光と闇。
仲間と共に築いた黄金の日々。
彼はいまを見ず、往時の輝く思い出にだけ浸り生きる。
止まった時の中、いつまでも過去の光を浴びたいと。
そのとき、彼の周囲をほんの少しだけ茜が彩った。
彼は驚きに目を細める。
煤煙に包まれた帝都に白耀が差すことは滅多にない。
煤煙の中に沈む〈蒸気都市〉は日の光を拒み、《時計塔》が放つ黄金を浴びつづける。だが《時計塔》がこの世に起つよりも前から生きている彼には、その黄金がまやかしに見える。
真なる黄金とは白耀のように、何者の心をも照らすべきなのだ。
そしてそれは人々の身の丈にあったものでなくてはならない。
彼はゆっくりと振り返りかなたを望む。
その先にそびえるのは帝都の象徴にして、守護者にして、支配者だ。
ここからは見えるはずのないそれを目にしてしまった彼女には、どうやら真なる〈黄金〉の礎を築く《名優》の素質があるようだ。
白耀の昇る東方より訪れた彼女は科学に明るくはないのだろう。
だからこそ思いもかけない真実へと辿りつく素養を秘めている。
もっとも、その日はもっともっと先のことだろう。
いまはまだまだ卵。さらに磨かれなければならない。
そして、そのための手段はすでに用意されている。
「おや、ここにおられましたか、我らが黄金なりし――」
馴染みのある、甲高い声がかかる。
「ああ、思いがけずよいものに巡り合えてね」
間もなく夜が来る。いまを見ない彼は夜の闇を蔑む。
夜と共にある闇など本当の闇ではない、と。
輝く黄金の中にあってこそ闇は色濃く姿を顕し、その真価を発揮する。
「ほう、頼まれごとならばいくらでも引き受けましょう」
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