月夜見短編集

安濃津 伊勢

短編だよ!その1

寄せては返す波のように


行きては戻りつ、貴方のことを想う‥・。




そう書き残してあの人は海に身を投げた。


丁度、20年前の、サクラの花が散るころだった。




彼女の家は地元では有数の素封家で、僕はしがないサラリーマンの家庭の


長男で。今の日本でそんなことが?なんて笑われそうだけど、うちみたいな田舎じゃ


未だに家格だとか、跡取りだとか、そういう問題で結婚が大きく左右されて


しまうところがある。




彼女は銀行の頭取の息子とお見合いをさせられ、強引に婚約をさせられた。


その日の夜、彼女は初めて親の言いつけを破り、僕の部屋に来て


一夜を過ごした。僕と彼女が知り合って2年。初めて彼女を抱いたのは


その夜だった。




そしてその翌日に、彼女は先程の文章を残して、僕の前から姿を消した。


彼女の亡骸が見つかったのは、それから3日後。僕らの住む町から遠く離れた


海辺の町で、彼女の靴とコートが見つかり、その日のうちに海に沈んだ


彼女の遺体が見つかった。


彼女は自分の体が浮かび上がらないように、腰にひもでコンクリートブロックを


3つもくくりつけていた。




でも彼女の死に顔は、苦痛の色が少しもなく、うっすらとだが笑さえ浮かべていた。


心はあなたの傍にいる・・・デートの帰り道、別れを惜しむ用に抱きしめたとき


彼女が必ず口にした言葉・・・。


今でも本当に、彼女は僕の傍にいてくれてるのだろうか?


そう思いながら、でもそう信じたいという気持ちで僕は20年間を


一人で過ごした。恋人を作ったことは一度もないし、縁談も全て断った。


彼女への操を立ててるという感覚より、今でも彼女と付き合っているという感覚。


いないはずの彼女だけど、でも僕は今でも彼女の恋人という気分でいる。




そんなある日のこと。


何時ものように、彼女の消えた海に佇んでいた僕に不意に呼びかける声があった。


「雅紀・・雅紀ってば・・・。」




声のトーンに聞き覚えがある。


マサキのさの発音がちょっと鼻にかかったような


言い方に聞き覚えがある。


まさか、そんな。。。恵美めぐみ?恵美なのか?




胸をうつ衝撃、僕は慌てて彼女の姿を求め視線を左右に巡らせる。


いた・・恵美・・


僕の目の前、僅か15メートルほど先に、あの日のままの姿の恵美がいた。


僕は夢を見ているのだろうか・・・夢でもイイ!!恵美に会えた。


恵美を抱きしめられる・・僕はもう脇目もふらず彼女のもとに駆け寄った・・・・
















(サイレンの音)


「えぇ、急に飛びだしてこられて・・・必死にブレーキを踏んだんですが。はい・・・はい・・」




黒い背広の男が背中を丸めて、警官と思しき男に答える。


「又ですよ・・・この道路。毎年この日になると事故が起きる」


背広を着た男のうち若いほうが、年かさの男に話しかける。


年嵩の男は何を考えているか解らないような表情で、道路に倒れた


40がらみの男の、一目見て死んでいるとわかる遺体を見ている。


「ガイシャの顔が幸せそうに微笑んでるところまで同じ‥・・か」


年嵩の男がため息混じりに呟く。




慈悲深いのか、冷酷なのか‥・・なぁ、どっちなんだ?


心のなかでそう呟くと年嵩の男は、道端に祀られている小さな道祖神に


心のなかで語りかける。


道祖神は黙して語らず、男は小さく肩をすくめると。撤収!と一言。


自らはもう振り返ること無く歩き始めた

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