584・信じる者(オルドside)

 ファリスが絶体絶命の危機に陥っている時。軍の最前線を死守しているオルドは焦りを浮かべていた。


「ダメです! 向こうはこれ以上保ちません!!」


 右翼から現れた伝令兵から絶望に染まった声でそれが伝わる。彼の恐怖は周囲に広がり、士気が下がる。


「……っ、右翼側は戦える者は後退せよ! 決してあの化け物共に近づくな!!」


 怒鳴り散らすように叫ぶオルドはぎりりと歯噛みする。現在のベルン軍は五体の怪物の相手に四苦八苦していた。ダークエルフ族は自分達の手に負えない兵器を投入している自覚があるのか一歩引いた状態でベルン軍が蹂躙じゅうりんされていく様を眺め、王都防衛軍を殲滅するべく引き返す者も出てくる始末。既に戦いのステージは次へと移り、たった五体の化け物相手におよそ八千の軍勢が次々と命を散らしていく。もはや戦いと呼べないそれは虐殺に近かった。

 既に左翼側は戦意を失い、辛うじて敗走していない状態でしかない。いつ伝令が諦めの報告をしてくるか時間の問題だった。


(僅か五人でこの戦況をひっくり返されるなんて……ファリス様になんと報告すればいい!?)


 オルドはファリスにこの前線の指揮を任された。ベルンが任せた彼女が。わざわざ自分に。

 その事は彼の誇りだった。強者であり、これからもより高みへ昇っていく者が自分に信頼を置いている。それは何にも変え難い宝だった。

 そんな人物の信頼に応える事ができず、徐々に後退する事を余儀なくされている事実。オルドにとって屈辱以外の何者でもなかった。


「隊長……」


 心配そうな声を上げるのはずっと彼の後ろで共に戦ってきた魔人族のワーゼル。大勢たいせいは決した。これ以上戦っても勝利は薄く、被害は尋常ではなくなる。それがわかっていてもワーゼルの瞳からは諦めの色は見えない。むしろまだまだこれからだと意気込んでいる程だ。何がそこまで彼を駆り立てるのがオルドは分からなかったが、ふと静かにため息が漏れていた。


 そして気付いたら彼はワーゼルを小突いていた。


「いっ!? 何するんですか!」

「そんな見捨てられた子犬みたいな声を出すな。情けない」


 にやりと不敵に笑う。それだけでワーゼルの気持ちは払拭されたのか、殴られて痛そうなのにどこか嬉しそうだった。


「行くぞ」

「どこにですか?」


 突如動き出したオルドに戸惑いの声が上がるが、彼はそれを意に返さない。ワーゼルの方も質問はしたが答えが返ってこないところから彼を信じて付いて行く事にした。


「オ、オルド様!? どうして……」


 最前線。その中でも今現在怪物の相手をしている場所の近くまでやってきたところで付近にいた兵士達に止められる。彼らにとっては『隊長』ではなく『臨時の指揮官』といった存在なので、自然と敬称が変化していた。


「決まっている。アレと戦う」


 視線の先には怪物がいる。まだ視界に入ってはいないが、彼が暴れているのはよくわかる。この間にも刻一刻と兵士達が命を散らしていた。その中に突っ込もうとオルドは宣言したのだ。当然兵士はそれを引き留める。


「お待ちください! あそこには今例の怪物がいるのですよ!?」

「わかっている。だからこそ行くのだろう」

「考え直してください! 貴方が死んでしまったら私達は――」

「わかっている!!」


 兵士がなおも縋るように懇願するが、オルドはそれに対し怒声で返す。苦しい表情を浮かべ、何とか絞り出すようなものでもあった。オルドにとっても苦渋の決断であった事を教えてくれている。


「ここで私が死ねば、指揮系統は崩れて真に戦いは継続不可能になるだろう。しかしそれはこのまま時間が経っても同じだ! その事に何故気付かない!?」


 大きな声に沈黙した兵士は気まずそうに俯いてしまった。彼は今現在の話をしていたが、オルドは未来の話をしていた。このまま戦い続けても同じ。遅かれ早かれ戦える状態ではなくなってしまう。そうなればオルドがいようといまいと敗走するしかない。それほど追い詰められているのだ。


「既に前線を維持する事も不可能に近い。怪物どもが他に四体もいる以上、もう私が指揮を執ってもどうする事も出来ない。ならば……今私に出来る事は一人でも多くの怪物を葬るのみ!」

「オルド様……」


 既に状況は絶望。右翼・左翼は既に総崩れ。残った中央もガタガタ。今更怪物を一人葬ったとしても意味はない。しかし、軍の士気を上げる為に。数少ない勝利の可能性を掴み取る為には戦うしか道がなかった。


「……ファリス様もまだ戦っておられるはずだ。あの御方が戻ってこられるその時まで、ここを維持しなければなるまい」


 随分長い間戻ってこないファリスに死んだのではないか? と疑問を抱いている兵士達も少なくない。それが士気の低下にも繋がっており、目の前の兵士も今はいないファリスよりもオルドにいて欲しいという気持ちが強かった。


「しかしファリス様はもう……!」

「あの御方は必ず戻ってこられる! 私達が信じなくて一体誰がそれを信じる!?」


 オルドの叫びに兵士もワーゼルも黙るしかない。彼が誰よりファリスを信じ、彼女の為に道を拓こうとする決意が伝わってきたから。何も言えずにいた兵士の横を通り抜け、怪物の元へと向かったオルドを止める者はおらず、ワーゼルも同様に覚悟を決めて彼の後ろに付き従っていた。

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