579・恐怖を感じぬ者(ファリスside)

「……で、なにあれ?」


 かなり重傷なベルンを横目にファリスは奇妙な黒竜人族の男に向かい合う。片腕はまともなのにもう一つは爬虫類の腕に爪。足も片方は似たような形。翼は一つしかない上、目は赤黒く血走っている。竜鱗が黒色だから辛うじて黒竜人族とわかる程度の歪さに気味悪さを感じていたが、それ以上に不快感を抱くファリスは嫌悪を剥き出しにしていた。ここまで不快感を露わにする彼女も珍しい。

 ベルンの乗ったワイバーンが墜落しているのを見たと同時に前線の指揮を一旦オルドに任せ、自らは【フラムブランシュ】や【シャドウウェポンズ】などを駆使して前方に立ちはだかる敵に集中して撃破し、周囲の敵は放置した結果、なんとかベルンが死ぬ前に辿り着くことが出来たのだが、そんな事をベルン自身がわかるはずもなく、『ようやく来てくれた』と『なんでこんなに早く?』という二つの感情に支配されていた。


 放心しているベルンから答えが返ってくることを期待していなかったファリスは仕方なく男の方に意識を集中させ……既に間近に迫っている男に驚きを表していた。


「!? いつの間に……!」


 自分の目でも追えない相手と出会うことなどほとんどなかった。ほとんど感覚で動いたファリスは下から振り上げられた爪を間一髪で上半身を逸らして避ける。はらりと髪が数本切れ、舞い落ちる前にくるりと一回転する要領で再び下から袈裟斬りでも行う形で鋭い爪が襲いかかってくる。その体捌きについていけず、再度ギリギリの回避を味わうことになったファリスは更なる追撃をされては保たないと咄嗟に魔導を発動させる。


「【ボムズウィン】!」


 前方に展開されたのは幾つもの風の塊。中身が渦巻き、爆発と同時に凄まじい風が二人に襲いかかる。辛うじて距離のあったベルンまで影響は及ばない程度の爆風で吹き飛んだ自身の身体は【フロート】によって宙を浮き、魔力によって体勢を整えて着地する。同時に【アジャイルブースト】を使用して直進の加速力を上げ、死んだワイバーンに身体を預けるように倒れているベルンの元に駆け寄る。爆発が地面を抉り砂や土を舞い上げ、多少の目隠しの役割を果たしている間に一気に離脱しよう――そんな考えをしていたファリスは背中の冷や汗が止まらなかった。チリチリと指先が焼けるような感覚。まるで自分の命に危機が迫っている事を教えてくれているかのような警告。ファリスはそれに正直に従うことにした。


「【フラムブランライン】!!」


 恐らくここにいるであろうと思えた場所に細く白い炎を解き放つ。線状に伸びたそれは、間違っていたらそのまま通り過ぎるだけ……だったのだが、予想に反してそこから起こったのは凄まじい爆発。

 耐えきれずにベルンを庇うように背中で爆風を受け、飛んできた石や熱風にその身を晒す。これが【シックスセンシズ】を発動していたときならば痛みに悶える事になっていたかも……などとどこか楽観的な考え事をしていたが、状況は決して楽ではない。むしろその魔導を使わなければ戦いについていけない可能性すらある。

 それに加えてファリス自身最大の切り札を失っているのだ。ベルンの時よりは些か好転しているとはいえ、まだ苦境に立たされていると言っても過言ではない。

 現に引き起こされた爆発をモノともせずに突進してくる男がそこにいるのだから。


「しつこい男……! 【ガイストート】!」


 ベルンの様子が気になるファリスは一度撤退する事を決めたらしく、不格好ながらもなんとかベルンを背負いながら魔導を発動させる。黒い鎌がファリスの影から出現し、次々と男の身体を貫くが……苦痛に呻くだけで突進する力は変わらない。怯んだのは最初の一発だけくらいだ。その間に再び【アジャイルブースト】を発動してベルンを背負ったまま一気に距離を取る。


(全く……あんなのと荷物を持ったまま戦う事なんて出来る訳ないでしょう。ルンべはまだこの国にも必要な人だし……きっとこの人が死んだらリューネが悲しむ。そうなったらティアちゃんもきっと悲しむはず。だったらこんなところで死なれても困る)


 エールティアの為、と言い聞かせてはいるが、それでも自分の命を張って戦う彼女の姿は最初の頃を知る人物から見たら驚きを隠せなかっただろう。


 ちらりと後方を見ると、男は既に追いかけるのをやめて一度吠えて身体を深く沈み込ませる。ぐぐっ、っと身体の全てを引き絞られた弓のように力を蓄え、全身が魔力で満ちていく。【ガイストート】で生み出された鎌は傷つけた相手に問答無用の激痛を与える。外傷を一切与えない代わりに想像を絶する痛みに対象はもだえ苦しむ――それが相手の精神を削ぎ、戦闘意欲を喪失させるのと同時に恐怖を与える【ガイストート】と呼ばれる魔導の本性だ。常人であれば動くことすらままならないはずなのだが……ファリスの後ろを追おうとしている男にはそんな様子はあまり見られない。苦痛に顔を歪めている程度だ。


(はあ……厄介な相手に出くわしたみたい。先は長そうね)


 恐らく逃がしてくれないだろう……そんな予感を肯定するように解き放たれた男はファリスの走る速度を上回り、あっという間に距離を詰めてくるのだった。

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