340・暗闇の中の記憶

 ――暗い。


 何も見えず、何も届かない。だけど、黒いスライムに飲み込まれた私は、何の制約もなく動く事が出来た。


 腕も動かせるし、歩くことも出来る。最初はすぐ近くにファリスがいるだろうから、彼女の手を取って魔導を発動。その後は脱出してスライムを滅殺する――そんな作戦だったんだけれど、これは流石に想定外だ。


「あ、あーあー」


 声が出るか試してみると、自分の耳にしっかりと聞こえてきて少しだけ安心する。

 一体ここがどこなのかわからないけど……不思議と知っているような気がする。


「ファリス? ファリスー!!」


 このままここにいても仕方がない。大声をあげて歩くけれど、私の声は暗闇に消えていくだけだった。

 それでも諦めずに声を上げる。私の声が少しでも彼女に届けば……そんな可能性を捨てきれなかったのだ。


「――!」


 どれくらい歩いただろう? 声を出し続けるのにも疲れを覚えたころ――どこからか声が聞こえた気がした。


「ファリス?」

「――!」


 再び声を上げて耳を澄ませると……やっぱり声が聞こえてくる。そちらに向かって歩いて行くと、徐々にはっきりと聞こえてきて、意味のある言葉となっていく。


「――ィア――? ――に、るの?」


 聞き覚えのある声に、自然と足が速くなる。どこに行っても真っ暗だから本当に声の方に行ってるのかわからないけれど、少しずつ聞こえてくるその声に引き寄せられるような気持ちになって――やがて、それははっきりと耳に入り込んだ。


「ティアちゃん? いるの? それとも――」

「私はここにいるわ! ファリス、貴女はどこにいるの?」

「――!? こ、ここ! わたし、ここにいる!」


 必死に呼びかけてくる声の場所に近づいて行くと……ようやく見知った姿が見えた。というか、いきなり飛び出してきて驚いたくらいだ。


「ティ、ティア……ちゃん?」


 若干涙目になっているファリスは、どこか小さく……幼く見えた。

 驚きと動揺とよくわからない表情になっている彼女は、私の姿を見て硬直していた。

 そこには魔王祭の決勝で戦った彼女の姿はじゃなくて、か弱そうな一人の女の子だった。


「え、嘘……。本、物……?」

「偽物の私を作り出す程、優しい世界じゃない。……でしょう?」


 恐る恐る私の腕や顔を触って本物かどうか確かめているファリスは、ぼろぼろと涙を流し始めた。


「ティ、ディア゛ぢゃん゛ん゛ん゛ん゛」


 涙腺が決壊したファリスは、体当たりするように抱き着いてきた。

 思わずよろけそうになりながら受け止めると、ぐじゅぐじゅと泣きじゃくりながら私の存在を確かめるように強く抱きしめてくる。


「ほ、んもの? なんで?」

「ローランが貴女の事を教えてくれたの。それでシュタインのところまで案内してくれてね。彼のおかげでここまでこれたの」

「わ、わだじ……」


 また感極まって涙が溢れ出たようだ。抱きしめられてるからまともに顔を見ることも出来ないんだけど……きっと人にあまり見せられない表情をしているのだろう。


「ほら、今は良いから存分に泣いていなさい。この暗闇の中なら私以外気付くことはないから」


 たった一人で暗闇の中に居続けて……さぞ心細かっただろう。

 普通の子ならとうにおかしくなっていてもおかしくない。ファリスはよく頑張った。

 だから、せめて自由に泣かせることくらいさせてあげたかった。


 ――


「落ち着いた?」

「……うん」


 しばらく泣いていたファリスはまだ鼻をすんすんさせていたけれど、大分落ち着いたようだった。


「……あの、ありがとう。つい、昔の事を思い出して」

「昔?」

「わたし、ローランの――転生前の初代魔王の記憶も受け継いでるから」


 ぽつりと呟くように零れ落ちたその言葉は、すんなりと私の心に納得感を与えてくれる。

 でなければ、あの時の決闘で私にあんな愛を囁くことはしないだろう。おかげで顔が真っ赤になるほど恥ずかしい思いをしたけれど。


「ティアちゃんなら、わかるでしょ? 誰もいない暗闇で……一人で布にくるまって過ごす夜の怖さが。悪意の目が。闇夜でも安心して眠れない苦しさが」


 ファリスの気持ちはよくわかる。私もそんな日々を過ごした事があるからだ。だからこそ、他人のぬくもりを求めた。愛情が欲しかった。だから、彼女の想いは痛いほど伝わってきた。


「この暗い空間にたった一人。すごく、すごく心細かった。もう誰とも会えないのかと思った」

「私が来たからもう大丈夫。貴女は一人じゃないから」


 過去の記憶を持っているファリス。それでも彼女は完全に『ローラン』になりきる事は出来なかった。

 だって魂は彼の物ではなくて、ファリスはあくまでファリスでしかなかったのだから。

 そんな彼女がローランの記憶――戦いの記憶に縋っていたのだとしたら、戦う事こそ彼女なりのコミュニケーションだったのだろう。


 他者とのふれあいを求めるあまり奇行に走る――戦い、傷つけあう事が愛の証であるという想いも……。

 この子がこんな風になったのは、私の責任でもあるだろう。あの日、絶望の末他者に恋焦がれ求めた私。同じように生きて、それでも他者を信じたあの人との壮絶な戦い。


 その結果が彼女を産んだ。……そんな風に思わざるを得なかった。

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