第12話 悪夢×看病

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いつも通りの日常を、当たり前だと信じて生きていた。

朝日と共に目を覚まし、一階に降りるとお母さんが朝食を作って「おはよう」と言ってくる。

学校に行けば、友達と朝一番に雑談を交わし、休み時間は先生に注意されるくらいにはしゃいで。

放課後は少ないお小遣いを手に握り締めて駄菓子屋に行き、公園で遊ぶ。

それから、友達よりも大切な人が居たような気がするけど、それは思い出せない。

多分、すごく大好きで、宝物のように大切で。


——なのに、どうして思い出せないんだろう。


まあ、兎にも角にも僕はそこそこ幸せと呼べる物を持っていた。


——あの日までは。


一つの部屋に黒ずくめの服を来た人達が溢れている。

ほとんどの人が下を向き、涙を流す人もしばしば。

僕の隣にいるお父さんが片手で大事そうに抱えているお母さんの写真。

——お母さんが、死んだ。

お母さんがどうして死んだのか、それを伝えられたような気もするけど、それよりもお母さんがこの世界に居ないという事実があまりにもショックで忘れた。

幼い僕とお父さんが病院に駆けつけた時には、時すでに遅しで。

病院の先生は暗い顔をして、僕とお父さんに何かを話していた。

その時一緒に、色々な話を聞いたけれど僕はその殆どを忘れている。

ただ、朧気に残る記憶の中お父さんが僕に言った、最後の言葉だけは覚えていた。


「……だからな、優太。……——は、悪くない。」


病院の待合室で、お父さんが言ったその台詞。

曖昧で、その意味もその時になんて言っていたのかも覚えていないけれど。

きっと、お父さんは誰かを守るためにその言葉を僕に告げたのだと思う。

今でもその時、お父さんが悪いないと言ったものが何だったのかは分からない。

それでも、お父さんはそれからずっと僕を一人で育ててくれた。

あの病院の待合室で、きっと誰よりもショックを受けていたはずなのに、僕のお父さんは涙を流す事はしなかった。

それはお通夜、葬式の日も同じだった。

葬式の間、お父さんは左手で僕の小さな手をずっと握っていてくれた。

そして、お父さんはしきりに呟くように僕に言う。

「優太は俺が守るから。」

優太は俺が守るから。優太は俺が守るから。優太は俺が守るから。優太は俺が守るから。優太は俺が守るから。優太は俺が守るから。優太は俺が守るから。優太は俺が守るから。優太は俺が守るから。優太は俺が守るから。優太は俺が守るから。優太は俺が守るから。優太は俺が守るから。優太は俺が守るから。

それはまるで、お父さんが自分自身を縛る為の呪文にも聞こえた。

だから幼ながらに思ったんだ。

僕はこの人に迷惑をかけちゃいけない。

僕がこれ以上この人を苦しませないように。


それは使命感に近い。

そして僕も知らず知らずのうちに、自分自身に足枷をはめていたんだ。

でも、なんでこの時そんな事を考えたのかは、自分でも分からない。

いや、気付かないふりをしていたのかもしれない。


——だって、本当は……。



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ピピピピ。

頭が痛い。体が重い。目が開かない。

「……ん。」

こじ開けるように瞼を開けると、窓から朝日が差し込んでいた。

さっきまで夢を見ていたような気がするけど、それがどんな内容だったのかは思い出せない。

ただ、心が重くなるような事だったのは確かだ。

だってこんなにも体が熱いのだから。

——って、あれ……?体が熱い。熱い?


棚の中から体温計を取り出して、体温を測ってみる。

脇から取り出した体温計の表示を見て、僕はため息をついた。

「まじか……。」

それは微熱とは言えない程の数値。

昨日雨の中走って帰ったのが祟ったんだろう。

これは完全に風邪だ。

まあ梅雨の時期は風邪を引きやすいとも言うし、自分で体調管理を怠った僕が悪いんだよね。

とはいえ、お父さんはまだ家に帰ってきていない。残業が長引いているのだろう。

一人で病院に行こうかとも思ったが、

「ダメだ……頭がクラクラする……。」

まともに歩ける状態では無かった。

焦点の定まっていたい目を必死にこじ開けて、僕はベッドから立ち上がった。

とはいえ、ここからどうしようか。

お父さんに迷惑をかける訳にも……。

そこまで考えて、昨日お姉ちゃんが言ってくれた言葉を思い出す。


『迷惑をかけたくないだとか、心配して欲しくないだとか。そういう我慢はしなくて良いと思う。』


お姉ちゃんの声が頭の中で優しく響き渡る。

体が弱っているからだろうか。頭がぼーっとして、思考が鈍る。

喉の奥が妙に熱くて、心の中でお姉ちゃんの笑顔を思い出してしまう。

無理に身体を起こしたせいで熱が上がったのだろうか。手足の感覚が麻痺して、思考回路が止まる。

だからこんな事を考えてしまうのも、風邪のせいだ。

きっと、そうに決まっている。だって普段の僕なら絶対にこんな事は考えないし考えなくも無いはずだ。

それでも。それでも今は……。


——お姉ちゃんに、あい、たい。


「おはよう、優くーん!お姉ちゃん、参上しましたー!」


ガチャッと、ドアノブが回ったかと思いきや、制服姿のお姉ちゃんの声が頭に響き渡る。

さっきとは違って嫌な意味で。

「……なんで居るの?」

嗚呼、やっぱりさっきの思考は風邪のせいだろう。

だって今はこんなにもお姉ちゃんに帰って欲しいと思っているんだから。

華麗なスキップで部屋に足を踏み入れたお姉ちゃんは、幸せそうな顔で僕に話す。

「なんでって、お姉ちゃんセンサーが反応したからだよ?」

なるほど。ところでそのセンサー、出来ることなら僕の軽蔑も反応してくれると有難いんだけど。

風邪で体が重いところに追い打ちをかけるようにお姉ちゃんの登場。

もしかして今日はついてないのかもしれない。

なんて思っていると、お姉ちゃんは手に持っていたビニール袋に手を入れた。

色々な物が入っているからだろうか。袋はゴツゴツと角張っていた。

「お姉ちゃん、その中何が入っているの?」

気になってお姉ちゃんに問いかけてみると、袋から取り出した物を僕に見せる。

「じゃーん!冷却シート!」

箱を開け、素早い手際で冷却シートを僕のおでこに貼り付けたお姉ちゃんはニコッと笑った。

「優くんはベットで横になるんだよ!」

お姉ちゃんがすっと胸を軽く押すと、そのまま僕はベットに倒れる。

テキパキと、布団の中に誘導された僕は為す術もないまま、横になった。

「熱は測ったのかな?」

お姉ちゃんは手馴れた様子で袋の中を漁りながら僕に話しかける。

僕はゴホッと咳き込みながら「うん」と答えた。

するとお姉ちゃんは、袋からスポーツドリンクを取り出し、キャップの蓋を軽く開けてからベットに備え付けてある戸棚に置いた。

「こまめに飲んでね。水分は大事なんだから!」

こくっと頷きながら、僕はふと思う。

どうして僕が熱を出したことを知っているのだろう。

どうしてこんなに世話を焼いてくれるのだろう。

お姉ちゃんの服装を見た限り、これから学校があるというのに。

どうしてこんなにも……。


「——どうしてお姉ちゃんは、優しいの?」


心の中で思っていた事が、するっと口から零れ落ちた。

熱のせいで心身弱っているからだろうけど、でも前から思っていた事でもあった。

お姉ちゃんは袋を持ち、ドアノブをくるりと回す。

そして振り返りそっと微笑んた。


「それはね——お姉ちゃんがお姉ちゃんだから。」


血も繋がっていない。この関係に意味があるのかも分からない。誕生日もお姉ちゃんの本名も知らない。

僕は、お姉ちゃんの事が何も分からない。

でも、パタンとドアを閉めるその音が耳の中に心地よく響いて、少しだけ自分に素直になれた。


——もしもその言葉が本心なら、僕は、お姉ちゃんが貴方で良かった。


そんな事を考えながら、僕は再び瞼を閉じる。

再び目を覚ます時は、お粥の優しい香りが鼻を擽る時。

お姉ちゃんのとびきりの笑顔と共に「おはよう」と声をかけてくれる。

たまには、そんな日があってもいいかもしれないな。

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