拝啓、近所のお姉ちゃんのショタになりました

桜部遥

第1話 お姉ちゃん×ショタ

麗らかな日差しが、俺の頭を撫でる。

春になって、桜が降る。背中に背負う黒い箱は使い始めて六年目になった。

こんなに長く使っていると、形も悪くなるし傷も増える。

自分よりも大きなランドセルを見て喜んでいたあの頃が、やけに懐かしい。

昔は随分と弱気な性格だった気もするけれど、今は友達も出来てかなり毎日が充実している。

最近の悩みは友達よりも背が小さいこと。普通なら背がどんどん伸びてくる筈なのに俺は伸びないままだ。

昨日までが休みだったこともあって少し憂鬱なような、でも少し楽しみなような。そんな複雑な気持ちのまま学校に向かう。

昇降口に張り出されたクラス表を見て自分の名前を探す。「笹月 優太」の文字を見つけ出すと、人の流れに沿って歩く。

階段を二回登って、昇降口から遠く離れた目的地にたどり着く。

「六年一組」と書かれた部屋の前までくると、そのドアを開けた。

お母さん譲りの茶髪の髪が桜と共に靡く。

教室には、顔なじみの友達から、知らない人まで沢山の人が集まっていた。

それぞれ二、三人で集まりながら雑談を交わしている。

鼻を抜けるのは、学校独特の匂い。ちょっと焼けた学級文庫の本、新しく生けた花、体育館シューズ。色々な香りが混ざりあって、俺の鼻をくすぐる。

「おう! 優太ー」

入口で立ち尽くしていると、友達が大きく手を振ってくれた。

黒板に貼られている紙を見て、指定された席を見つける。

名前の順だから、窓際の席とまではいかなかったけれど、中央の一番後ろの席だった。

そこそこ当たりの席を引き当てた俺は、内心ガッツポーズをしながら自分の席に向かう。

いわゆるランドセルと呼ばれる物を机の横にかけると、俺は友達の輪の中に混ざる。友達と笑いあっていると、教室にチャイムの音が鳴り響いた。

「はーい、席についてー!」

俺達を急かすように、担任の先生が教室に足を踏み入れる。

こうして慌ただしくも、六年生最初の授業が始まった。


■+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+■


最初の日だったから学校は午前中で終わり、俺はそのまま真っ直ぐ家に帰ろうとしていた。

本当は遊びに誘われていたけれど、なぜか今日はそういう気分にならなかったのだ。

それに今日は久しぶりに、お父さんと一緒に夜ご飯を食べられる。

普段夜勤務めのお父さんと一緒に食卓を囲めるのは、俺にとって幸せなことだった。

足元を見ると、コンクリートの上に桜の花びらが落ちている。

桜の絨毯とまてばいかなくとも、桜の水玉が辺りに広がっていた。

今日はこのまま帰ったら寝てしまいそうだ、なんて考えながら歩いていると、遠くの方から誰かが歩いているのが分かった。

ブレザーを着ていたから直ぐに高校生だと分かる。

でもこの近所でブレザーの高校に通う人なんていないし。

変だなと違和感を覚えたので、その人が俺を横切るまで待ってみる事にした。

下を見ながら歩いているその人は、ゆっくり顔を上げる。

ちょうどその時、細目で警戒していた俺と目が合う。

そして突然驚いた様な表情をすると、次の瞬間勢いよく走り出した。

小さかった影は次第に形がはっきりしてきて、近づいてくるのが女の人だと気付く。肩に付かないくらいのショートボブ。その髪が走る度に踊る。

だんだんと大きくなっていくその姿はいつの間にか見えなくなっていた。変わりに俺の体を包む生暖かさ。ほのかに香る甘い花の匂い。俺の目の前は紺色一色だった。そして何より息が苦しい。

何が起きたのか分からなかったけれど、次第に俺の頭が答えを導き出した。


——俺、さっきの女子高生に抱きつかれてる……!?


俺の全身を包み込むこの温もり、耳をくすぐるブレザーの質感。

何より、鼻の辺りに柔らかな感触。

俺の本能が、危険を悟る。変質者!?痴漢!?誘拐!?

しかもそれがおじさんでは無く、女子高生……!?

待て待て、落ち着くんだ笹月優太!もしかしたらまだ、話の通じる人かもしれない。

お父さんに迷惑をかけないためにも、ここは穏便に済まそう!

まずは離して貰わなくちゃと体をジタバタさせる。「ん〜! んん〜! 」なんて声にならない叫びで必死に訴えた。すると我に帰ったのか、女子高生は俺から体を退けた。

「あ! ごめんごめん! 嬉しくなってつい……。わぁー変わらないなー。少し背が伸びたのかな? もう六年生だもんねー。」

俺の体はまだ熱を帯びている。本当に死ぬかと思った。

ドキドキと鼓動が早くなっている心臓を落ち着かせてから顔を上げる。

俺の方を真っ直ぐ見ているその人は目が大きくて肌はツヤツヤで唇はぷるぷるで……多分こういう人を美人って言うんだろう。

って、目を奪われ過ぎて忘れていたけど、この人俺に抱きついてきた変態じゃないか!

ふと我に帰ったところで、彼女に向ける視線を警戒マックスにする。

恐る恐る聞きたいことを聞いてみることにした。

「あ、あの。いきなり抱きついたりして……あなた誰ですか? 」

女子高生は、目を丸くさせ、きょとんとすると直ぐに晴れやかな笑顔を見せた。

「え? 忘れちゃったの? ほら五年くらい前に近所の公園で一緒に遊んだじゃない。ほらほら、私だよーなんちゃって。」

両手を頬の近くでひらひらさせる。うっ、あざとい。

はっ! 違う違う。五年前? ……そういえば誰かと遊んでいた様な……。

ということは、今目の前にいる人があの時の?

ぼんやりと思い出す過去は誰かと公園で遊んでいたという記憶だけだ。

でもいつの日から姿を消してそれっきり……。

今の俺が思い出せる記憶は、そんな朧気なものだった。

一緒に遊んでくれたあの子の顔も名前も、何も思い出せない。

「なんで俺の事覚えてるの? あんなの凄く前の話なのに……。」

俺は殆ど覚えていないのに、彼女は俺を覚えている。

その記憶の違いに、少しだけ申し訳なく思う。

話しづらくなって顔を落とす。こんな事を聞いてもいいのかと心の中で戸惑っていると、女子高生は両手で俺の頬を持ちぐっと上げた。

眉を尖らせ、真剣な目付きで俺を見る。

「だって私、優くんの事大好きだもん! 今までもずーっと会いたかったんだもん! 」

その瞳には、確かに俺しか写っていなかった。

真っ直ぐ、こんなにも素直に「好き」と言われると、不覚にも胸がきゅんとする。

初めて告白をされた。しかもこんなに年上の人から。

で、でも俺まだ小学生だし! そういうのは早いって思うし! あ、いや、周りの奴とか付き合ってる噂聞くけど! でもー!

なんて思考をぐるぐるさせていると、女子高生はそのままこう続けた。


「だからね、私のショタになって欲しいの! 」


……しょた? ショタって何?

意味の分からないことを言われ反応に困っていると、女子高生は「あ、ショタって言うのは今ゆる小さい男の子とかの事でね。だから私のショタになって欲しくて……」なんて追加説明していた。

この細かに説明をしてくれるのは言いけれど、ちっとも理解出来ない。

この人が何を言っているのかは分からないけど取り敢えず、この人がやばい人だって分かった。きっと誰よりもこういう人が世の中に溢れているから防犯ブザーってあるんだ。今まで先生の話まともに聞いてなかったけど、これからはちゃんと聞こう。

今は生憎防犯ブザーを持っていなかった。けれど幸いな事に俺の家はすぐそこだ。走ってこの人から逃げよう。

逃げるタイミングを見計らっていると、女子高生は突然慌て出した。さっき自分が言ったことが変態発言だと気が付いたらしい。

どうどう、と腰を下げて両手を上下に動かしていた。それ、テレビで見たことある。敵対心を持っている相手にやるやつだ。自分は味方ですよって。


「いや、違くて! いや、違くはないけど……。あのね、私こう見えても実は漫画家なの! それで最近連載が決まってね、どんな話にしようかなーって考えてたら時に『おねショタ』っていうジャンルがあるのを知ってね。それでそれを書こうと思ったんだけど、私の周りにショタが居なくて! そんな時に優くんのこと思い出したんだ! えーっとそれで……。」

焦っているのか言いたいことがまとまっていなかった。ただ必死に俺の警戒しんを解こうとしているのは分かる。

「つまり、俺を漫画のモデルにしたいってこと? 」

俺の頭で理解したことを伝えると、「そうそう!」と首をブンブン振っていた。

確かにそれなら分からなくはない。でもこの、変態の漫画のモデルって……。怪しいに決まってる。

「嫌です。それに俺忙しいんで。」

そうだ。俺にはやらなくちゃいけないことがある。父さんを安心させる為にも、まずは——。


少しだけ父さんの事を思い出した。俺の母さんは四年前に事故で死んだ。それから男で一つで俺を育ててくれて。だから俺は父さんの為にも絶対に……。


「知ってるよ、優くんが中学受験するの。」


その言葉に我に帰る。女子高生の方を見ると、優しげな微笑みで俺のを見ていた。

「優くんは優しいからね。お父さんの為に勉強してる事知ってる。でも今の学力じゃ、合格は難しい。だからお姉さん考えました!」

両手の掌を合わせてパンと音を出す。そのまま片方の人差し指を顔の近くでくるくる回した。

「実はお姉さん、こう見えて去年の学力は学年一位なのです! だからね、私のお願い聞いてくれたら優くんの勉強、手伝ってあげる! 」

俺の前に手を差し出し、「どう? 」と首を傾げた。

この人のお願いを聞くのは正直やだ。でも父さんの事を思ったら……。

今から思うと、まんまと罠に引っ掛かったなと思う。

俺は差し出されたその手を嫌々ながらとってしまった。

そしてそのまま手を引っ張られ俺はまた抱きつかれる。相変わらず息苦しいくて、でも「やったー! 」と嬉しそうな声を聞いたら抵抗する気も起きなかった。

急に俺の腕を掴んでグイッと奥に引っ張られると、女子高生はにっこりと不敵な笑みを浮かべた。


「私のことはお姉ちゃんって呼んでね? 」


その言葉からこの先の未来が見える。前途多難だ。これからずっとこの人の言いなりにならなくちゃいけないのか。取り敢えずまずは天国にいる母さんにでも助けを求めよう。そしたらきっと母さんが守ってくれるはずだ。


拝啓、天国にいる母さん。俺はどうやら変態なお姉ちゃんのショタになってしまいました。だから……。助けください!

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