第14話 「そもそも限定戦場という概念自体が、間違っているのだ」

 そしてそれを告げたのも、彼女だった。


「それは協定違反じゃないのか?」


 俺はその時言った。


「戦争に、協定も何も無い」


 彼女はその時言った。


「重要なのは、速く重要拠点を取り、なるべく多くを我々が得ることだ」

「だが司令官」


 俺は彼女をそう呼んだ。

 その時彼女の地位は、既にそこまで上っていた。陸戦も空戦も、全てを統括する司令官。その若さで。その細腕で。おそるべき短期間で。

 そんな彼女の急激な組織内昇進に、異を唱えるものは… 無かった。

 実際、彼女は負けないのだ。

 用意周到に、網の目を張り巡らし、それを次第に縮めていき、ここ一番という時に、奇襲をかけた。成功率は高かった。

 それは外敵に対してばかりではなかった。内部の敵に対しても同じだった。

 それはそうだろう。成功を確信しない限り、彼女はそうしない。子供の頃からそうだった。近所のガキ大将を追い落とす時にも、そうやって頭を使い、網を張った。

 それはいい。それは正しい、と俺も思った。

 それを数重ね、自分よりも大きく、時には年長の、そして男女入り乱れた数々の部隊を納得させてきたのだ。

 上層部に取り入った、という噂も当初は出た。だがその上層部を一種のクーデターで乗っ取ってしまえば、そんな噂も出ようがない。誰かが彼女を示唆したのではなく、彼女が、上層部の一人をそそのかしたのだ。

 そしてそそのかされた一人は、裏切りを知った元上層部から、相打ちの様な形で姿を消した。

 空っぽになった席に彼女が着くには時間が掛からなかった。ほんのぽっと出の彼女が、である。

 そして俺はそんな彼女の様子を、ただ見ていることしかできなかった。

 いやそうではない。ただ見ていたかったのだ。それは確かに、実に鮮やかだったのだ。それが良い悪いは関係なかった。ただ、鮮やかだったのだ。

 だが、それが自分の上に降りかかってくるとは…

 俺は能天気にも、全く考えもしなかったのだ。

 陸戦隊空戦隊、双方の幹部格が顔を揃える中、俺は立ち上がって司令官に反論していた。

 それが今となっては危険なことだと、さすがに鈍感な俺でも気付いてはいた。だがその時の俺は、言わずにはいられなかった。


「だが我々は、そもそもは一般市民に危害がかかることに対して、正規軍に対して反旗を翻したんじゃなかったのですか?」

「確かにそうだ」

「なら何故」

「チュ・ミン空戦隊補佐、お前は全体の状況を見渡したことがあるのか?」

「全体の?」

「無いだろう?」


 彼女の大きな目が、じっと俺を見据えた。


「ここであの都市を爆撃することによって、我々の現在の力を誇示することは可能だ。協定など、どうでもいいのだ、と向こうに見せつけることは、今の段階では必要なのだ」

「だがそれは、軍同士の問題です」

「違うね」


 彼女はひらひらと手を振った。その大きな目からは、何の感情も読みとれなかった。


「結局は、一般市民もその一部だ」

「何…」

「正規軍は、既に方針を変え始めている。軍と市民の境を取っ払おうとしているのは明白だ」

「それではそもそも限定戦場を限定戦場と決めた意味がない」

「そうだ」


 彼女は短く答えた。そして目を伏せた。


「そもそも限定戦場という概念自体が、間違っているのだ」


 俺はその時ふと眩暈がした。頭に血が上っていたのは確かだ。例え私生活でどうあれ、ここは一種の軍隊であり、その場に居たのは、ただの空戦隊補佐と、司令官だった。

 俺はその数階級飛びまくった上官に対して、反論をひたすらぶつけていたのだ。

 だがその時、俺は本当にどうかしていたらしかった。


「一般市民が限定戦場の恐怖に巻き込まれることに一番憤っていた奴のセリフとは思えないな、アニタ」


 彼女の太い眉が、微かに寄せられた。直属の上司である空戦隊長が、俺の肩を掴む。いい、と彼女は首を横に振った。


「…ですが司令官」

「ちょっと席を外してくれ、皆。チュ・ミンお前は残れ」


 ここに居るものの中で、俺と彼女の関係を知らない者はいなかった。

 結果、俺の位置は微妙だった。私情を交えない恋人に、どう言われるだろう、と同情半分、好奇心半分の視線がちら、と俺を盗み見し、そして扉を開け、閉めた。

 聞き耳を立てられていることは予想できた。だがそれはどっちでもよかった。

 彼女は席を立つと、座ったままの俺の前に立った。見下ろす姿勢だ。俺は何となく、意地になって座ったまま、彼女を見上げていた。

 彼女は机に片方の手をつくと、やや目を伏せた。


「何故そういうことを言うんだ?」

「どういうことと言うんだ? 司令官殿」


 彼女は眉を大きく寄せた。


「そもそも、皆がついてきたのは、そういうお前だったじゃないか? 確かにお前は当時から指揮も適切だったし、お前がいなかったら今の状況はなかった。だがあの時皆がついてきたのは、そういうお前じゃなくて、あのヌワーラの状況を真剣に憂えて叫んでいたお前じゃないのか?」

「事態が変わったのだ」

「事態は変わってない。変わったのは、お前だアニタ」

「黙れ!」


 たん、と机が音を立てた。


「お前に何が判る、チュ・ミン?」

「ああ俺には判らないね。そこまでする理由は、俺には判ろうとも思えない」

「お前に何が言える?」


 そしてもう一度、今度はばん、と机が悲鳴を上げた。


「ミンお前は怠慢だ。私と同じだけのことをこなし、同じことをやってこれたにも関わらず、それ以上のことをしない。その場に安穏として」

「だが人に指図されるのが嫌いと言ったのは、お前だ」

「当然だ。あの時の正規軍など特に」 

「だけど俺は、その程度は、あいにく耐えられるんだよ」

「何」

「表向き人に指図されるのを避けるために、自分で自分を押し殺すことは俺にはできないんだよ」


 握りしめた彼女の手が、ぶるぶると震えているのが判った。

 彼女の言うことは、間違ってはいなかった。

 俺はその理屈で言えば、確かに怠慢なのだ。

 彼女くらいの努力をしようと思ってすれば、彼女と肩を並べて指揮官になっていたのかもしれない。

 だが、それは俺の望むところではなかった。俺はただの飛行機乗りで良かった。

 彼女は押し黙った。

 ぎ、と歯ぎしりする音が聞こえた。

 そういう時の彼女のくせだ。判っているのに、どうしようもない時に、彼女がするくせだった。

 そして数秒の沈黙の後に、彼女は声を発した。


「…なるほどそれがお前の言い分か」

「ああ」

「なら司令官として命令だ。チュ・ミン空戦隊補佐、ウーヴェの中都市パリンを攻撃せよ。これは、命令だ」


 彼女は感情の無い、だがはっきりとした声で言った。

 やはりそうか、と俺は思った。お前がそう言うなら、命令になら従うのだな。そんな言葉が裏に簡単に透けて見えた。


「当初の予定通り」

「そうだ。当初の予定通り。聞こえたな、これは命令だ」


 俺は、自分の顔が微かに歪むのを感じていた。その次の言葉がひきつれないだろうか、と一瞬懸念している自分に気付いた。

 だが予想に反して、自分の声は、ひどく穏やかだった。


「了解しました、司令官」


 そして次の瞬間、俺は自分の頬がひどい衝撃を受けるのを感じていた。

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