2年次2学期 交際開始編

第91話 せっかくの休日なのに

 文化祭の翌日は振り替え休日になっている。

 ただ、僕が朝まで一睡もできなかったのは、決して色っぽい理由ではない。


 嬉しさと恥ずかしさが入り混じったわけのわからないテンションのおかげで、目が冴えに冴えていた。いや、どちらかというと恥ずかしさの方が強い。かなり。


 昨晩のノリは夜の暗がりの中だからこそ許されていたようなところがあって、朝の明るさの中であれを思い出すと、羞恥心に身悶えてしまう。


「あああぁぁぁ…………」


 腕を吹き飛ばされた兵士が激痛に耐えかねて絶叫するように、僕はベッドの上で転がりながらうめき声を上げて、どうにか精神の均衡を保っていた。


 二人きりの教室でフォークダンスとか、ちょっと気取りすぎだ。 

 あのときの僕はとてもまともな精神状態ではなかった。

 おそらくは繭墨も。

 

 だけど、あの告白を、繭墨が受け入れてくれたのは事実。

 まぎれもない現実である。

 僕と繭墨は恋人同士になったのだ。


 だったら、最初の休日に遊びに誘うのは当たり前だろう。

 どのような文面にするかで一時間ほど迷ったが、最終的には無駄を極限までそぎ落とした誘いのメッセージを送った。



  阿山 >どこかに出かけない?



 十数秒で返信があった。



  繭墨>文化祭の残務処理で多忙を極めるので無理です。



 シンプルでいてドライな文面に、身体から力が抜ける。やはり昨日のあれは妄想だったのではないか。記憶を疑いたくなるような返事だったが、そう簡単に結論を出してはいけない。繭墨はそんな短絡的なやつではないのだ。


 繭墨乙姫を一言で表すならば、『面倒くさい』に尽きる。


 面倒くさいというのは言い換えれば、素直ではなく、ひねくれている、ということだ。そんな彼女のメッセージを、文面どおりに受け取ってはいけない。


 暗号というほどのものでもない。

 もう一度、繭墨からのメッセージを読み返す。

 そして十数秒ほど沈思黙考してから立ち上がる。

 苦笑いを浮かべていたかもしれない。


 せっかくの休日なのに、僕は学校の制服に袖をとおした。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 案の定、繭墨は生徒会室でデスクワークにいそしんでいた。


 思わせぶりなメッセージの送り主は、ノートパソコンを開いて軽快にブラインドタッチをしつつ、ときおり書類の束をパラパラとめくっている。


 長いストレートの黒髪と、凛とした顔立ち、それに紅色の縁の眼鏡というアクセントが加わって、非常にデキる・・・印象を受ける。ただ座っているだけの姿が、すさまじく絵になっていた。


「どうしたんですか阿山君、せっかくの休日なのに」


 繭墨の反応は素っ気なかった。休日の学校にわざわざやってきた、付き合い始めの恋人に対するセリフとは思えない。


 質問の答えを待っているのか、じっとこちらを見つめてくる。


『文化祭の残務処理で多忙を極めるので無理です』


 この短いメッセージの中に、繭墨は多くの情報を隠していた。


 繭墨は本来、この手の作業を自分だけで抱え込んでしまうタイプだ。そして、疲れたとか忙しいなどというアピールもしない。むしろ可能な限り隠そうとする。


 それなのにメッセージでは、〝多忙〟を〝極めている〟とまで強調していた。


 業務が山積みだという現状を、正直に明かしているのだ。

 弱みを見せたがらない繭墨の性格からは考えにくいことだった。


 繭墨らしくないこのメッセージ自体に、文面とは別の意図が込められていると見るべきだ。


 文化祭の残務処理ということは、休日にもかかわらず生徒会室で作業をしているのだろう。休日登校なんていう社畜じみた行動に、ほかの生徒会メンバーを巻き込むことは考えにくい。


 つまり、繭墨は生徒会室に一人きりということだ。

 それらを考慮に入れて、短いメッセージを彼女の本音へと翻訳していく。



 わたしは今、生徒会室に来ています。

 文化祭の残務処理でとても忙しいです。

 ですが、休日にほかのメンバーを来させるなんて非情な指示は出せません。

 ゆえに一人で作業をしています。

 部外者のあなたに手伝えとは言いませんが……、

 でも、今なら密室で二人きりになるチャンスですよ。

 あなたが切望するデートの代わりに、生徒会室で一緒に過ごしませんか。



 ――とまあ、こんな感じだろう。

 僕の願望が多分に含まれてはいるものの、そこまで外れてはいないはず。


 これが、せっかくの休日なのに生徒会室へやってくるに至った思考の流れだ。


 もちろんそれを自慢げに語ったりはしない。

 繭墨の隣に立つ以上、この程度のことは察して当然なのだ。


「屁理屈ぬきで言うと、繭墨の手助けがしたかったんだよ」

「そうでしたか。ありがとうございます」

「あれ素直な返事」

「わたしだって恋人の前でくらい素直になります」

「おおぅ……」


 想定外の返事に驚いて変な声が出た。

 それと同時に、頬が熱くなるのを感じる。首筋には汗。


 よかった、やっぱり昨日の告白は僕の妄想ではなかったし、きちんと受け入れられていたんだな……、と些細なことで感動してしまう。


「じゃあこれ、お願いしますね」


 繭墨は書類の束を僕の目の前に置いた。ズンッ、と重量感のある音が響いた。


「何これ」


「文化祭前半で出された、実行委員への要望や苦情です。書面だけではなく、SNS上のつぶやきや、小耳にはさんだ雑談レベルのものも、可能なかぎり集めています」


「へえ」

「取りまとめをお願いします」


 零細企業の社長令嬢と婚約したとたんに、身内だから遠慮は不要とばかりにこき使われる入り婿みたいな扱いだった。僕はしぶしぶ、書類の束に手を伸ばした。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 生徒会室を訪れてから2時間ほどが過ぎた、午後の1時を少し回ったころ。

 繭墨が口を開いた。


「そろそろお昼ご飯にしましょうか」


「ここで休憩をはさむってことは、一日仕事のつもりだったの?」


 社畜めいた熱心さに呆れつつ、僕は行き先について提案をする。


「坂の下のコンビニ? それともちょっと歩いて外食する?」


「いいえ、ここで食べましょう」


「ここ? 生徒会室で?」


「はい。お弁当を作ってきました」


「へえ」


 繭墨はカバンの中から巾着袋を出して机に並べた。


 そう、並べたのだ。

 巾着袋は二つあった。

 赤いチェックの柄と、青いチェックの柄。ペアルックである。


「それ、もしかして僕のぶん?」


「作りすぎただけです。阿山君がここへ来るなんて想定していませんでしたから」


 白々しいことを言いながらも、繭墨は平然としている。間違っているのはこちらではないかと勘違いしそうになるくらいの涼しい顔だ。上乗せレイズされたら即降りフォール必死の、完璧なポーカーフェイス。


「作りすぎたって……、別々に作っといてさすがにそれは」


「父に持たせるつもりだったのですが、間違って自分のかばんに二つとも入れてしまいました」


 繭墨は苦しい言い訳を述べたあと、少しだけ考え込むような間を取った。こぶしを軽くにぎり、のんびりした動きでそれを側頭部に持ってくる。


「てへぺろ……?」


 と自信なさげにつぶやく繭墨に、僕は小さく左右に首を振った。


「無理しないで。性に合わないことをしなくてもいいんだよ。サイズの合わない靴をはいたって足が痛いだけじゃないか」


「それはわたしの言動がイタいという遠回しな批判ですか」


「いや、すごくかわいいんだけど」


「ありがとうございます」


 かわいいけれど、しかし、これは隙だ。


 僕は繭墨をつねに警戒している。

 彼女の隙を見つけたら、罠に誘っているのではないかと身構えてしまうし、彼女のミスを見つけたら、こちらを試しているのではないかと深読みしてしまう。


 だから、彼女の言動に対して、僕はいつも疑いから入ってしまう。

 僕は繭墨を畏れているのだ。


「そういうキャラ付けをするなら、普段から努力が必要だと思うよ」


「努力」と繭墨が繰り返す。


「例えば、料理がド下手だとか」


「メシマズキャラですか。安直であざといですね。実害があるようなキャラづくりは、さすがにためらってしまいます」


 深刻そうに下を向く繭墨だが、料理の腕はかなりのものだ。小洒落た洋食よりも、落ち着いた家庭料理を得意としている。味だけではなく手際もよく、お嬢様然とした外見を裏切るあたりは、ギャップと言えばギャップだろう。


 しかし、と僕は思う。

 キャラ付けなんて、しょせんは外向きのアピールである。本来、近しい人間に対しては必要ないはずだ。僕はそんなもの、望んじゃいない。


 立ち上がって繭墨に近寄ると、青色の巾着袋を手に取った。


「食べ切れないなら、もらっていい?」

「はい、お願いします……あ、待ってください」


 と、席に戻ろうとする僕を引き止める。


「あまり遠いと料理への反応がわかりづらいので、こちらに座ってください」


 そう言って椅子を引く繭墨。

 隣へ座れと促されてしまった。


「……あ、うん……、……そうだね。……そうしようか」


 思いもよらぬ率直なお願いに、返事が遅れてしまう。

 何これ、恋人っぽい……。


 困惑はするが、断る理由はない。

 僕らは並んで座って、同じ中身の弁当を、それぞれのペースで食べ始める。


 ミニハンバーグ、紅ジャケ、卵焼きに野菜の酢和え。アクセントにミニトマトが添えられており、シンプルながら彩り鮮やかな弁当だった。味も美味。それぞれの料理からイメージできる味を裏切らない、期待どおりのおいしさだった。


「繭墨はおかずをバランスよく食べるタイプなのか」

「はい、味に飽きることなく食べられますから」


 繭墨らしい合理的な理由を口にしたあと、こちらの弁当をのぞき込んで、


「阿山君は、好きなものを後回しにするタイプなんですね」


「ご褒美は最後に、っていう考え方の延長だと思う」


「でも、それがすべてのシーンで適用されるわけではない――ですよね」


「どういう意味」


「今日は文化祭の振り替え休日。付き合い始めのカップルの皆さんが、こぞって街へ繰り出しているのでしょう。そして乳繰り合っているのでしょう」


「今なんて?」


「ですが、わたしたちは交際を秘密にしています」


 繭墨が静かに語ったとおり、僕たちが付き合っていることは公にしていない。提案自体は繭墨からだが、お互いの合意の上だ。僕も繭墨も、目立つのは好きではない。


「気にしてないよ。正しい判断だと思う。それに……、秘密の関係っていう響きが、純粋に楽しいというか」


「子供っぽいことを言いますね」


 そういう繭墨だって、目元がいたずらっぽく笑っている。


 大人びた印象の強い彼女だからこそ、ふとした拍子に垣間見せる幼さには、目を瞠ってしまうインパクトがある。


 ――というか、そもそも。


〝大人びた〟なんてのは結局、子供に対して使う言葉だ。

 だから、相手との釣り合いなんて考えなくてもいいのだ。


 そんな詭弁を支えにしながら、僕は繭墨乙姫の隣に立っている。

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