第78話 サンドバッグになってね

 僕はここ数日、文化祭実行委員としての作業を離れ、クラスの演劇の進み具合を見ていた。


 最初に進行状況を確認したときは不安を感じもしたが、あるていど具体的な作業の内容が決まると、人数がそろっているぶん、進行は早い。


 倉橋もさりげなく僕や百代に意見を求め、いい案であればそれをクラス全体に伝えていくという風に、当たり前のように人を使うようになっていた。


 この調子なら大丈夫かなと安心していた昼休み、ふとポケットの中のスマホが振動した。

 取り出してメッセージを確認すると、生徒会の遠藤さやかから。


 遠藤からの連絡は初めてだけど、時期的に見て生徒会の用事で駆り出される予感しかしない。でもまあ、世の中には交換したものの一度もつながることのない連絡先は数多いので、女子からの連絡があっただけでもよしとしよう。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 昼休みになり、僕は待ち合わせ場所に指定された2年4組に向かった。


 よそのクラスに入るときの『こいつ誰?』みたいな視線に精神をすり減らしつつ、教室内を恐るおそる進んでいく。


 窓辺で机を合わせて昼食をとっている遠藤と近森を見つけた。二人と合流することでようやく僕は、このクラスにおいてよそ者ではなくなる。

 


「あっ、阿山君、早かったねぇ」遠藤がゆるふわな笑顔で言う。


「サンキュー阿山、呼びつけちゃって悪いな」近森がさっぱりした笑顔で言う。


「たぶん初めてのシチュエーションだと思うんだけど、何かあったの?」


 僕がそう尋ねた途端、2人してトーンダウンしてしまう。


「……まあ座れよ」


「そーそー、お昼まだでしょ? 煮豆わけてあげる」


 遠藤が弁当の片隅を箸で指した。特に興味はない食べ物だったし、嫌いなものを処分したい思惑が垣間見えたのでお断りしておく。


 僕は近くの椅子を持ってきて座り、通学途中にコンビニで買ったパンや飲料を取り出して食べ始めた。


 食事をしつつ、どうでもいい雑談をした。

 昨日見たテレビの話、最近の大きなニュースの話、近森の男女交際の話など。その間、文化祭の話題は不自然なほどに出なかった。


「で、用件は?」


 食後のアイスコーヒーを口にしつつ、再び尋ねる。

 二人は言いにくそうに顔を見合わせていたが、やがて、近森の方が口を開いた。


「ここ最近、生徒会に来てないだろ? 会長とケンカでもしたのか?」


「僕はもともと生徒会の役員じゃないから、顔を見せないのが普通だと思うけど」


「そういう建前はいいからさぁ」


「理由がほしいならあたしたちが呼んだことにするから、戻ってきてくれない?」


 二人が口々に言ってくる。


「やっぱり何かトラブルがあったの?」


「トラブルっていうか……」と口ごもる近森。


「会長がピリピリしてる」と遠藤。


「ピリピリ」


「そう。だから生徒会全体もギスギスしてる」と近森。


「ギスギス」


「1年の子たちなんて会長の半径3メートル以内に近寄らないようになってるぞ」


 それはすごい。完全に猛獣扱いじゃないか。


「2人とも何か勘違いしてるみたいだけど……、別に僕らはケンカなんてしてないよ。繭墨――会長から、クラスの出し物の方に専念してくれ、こっちは大丈夫だからって言われただけで」


「でも、会長が雰囲気変わってきたのって、阿山君が来なくなってからだよ」


「繭墨タイマーも出さなくなったしな」


「何それ」


 初めて耳にする固有名詞だった。


「生徒会の雰囲気が中だるみして、集中が切れてきたときに、会長はそういうのを察して休憩時間にするの。その制限時間を測るために遣うのが繭墨タイマーなんだよ。デカいダイヤル式のキッチンタイマー」


「へえ」ちょっと面白いし見てみたいと思う。


 つまり、それを使わない今の繭墨は、周囲に気を遣う余裕がなくなっているということか。


「でも、それは単に忙しいからじゃないの。僕と関係があるとは思えないけど」


「会長についていける人がいなくなっちゃったってこと」


「何それ……、繭墨って、もしかして孤立してる?」


 本気で心配になった。尋ねながら、声のトーンが下がっているのを自覚する。

 遠藤は慌てて首を振って、


「あ、そういうのじゃなくて……、ほら、会長ってデキる人でしょ?」


「うん、まあ」


「阿山君って会長のやりたいことや、出される指示の意図を理解して動くでしょ?」


「そうだね。ある程度は」


「でも、あたしたちはそういう風にツーカーで動けないの。スムーズにいかなくて、それをフォローできる人もいないから、会長のストレスが溜まっていって、それでイライラのギスギスになってるの。そうじゃなくてもうまく回ってない案件もあるみたいだし」


 ――そのイライラが軽く爆発したのが昨日のことだという。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 文化祭の開催前には、地元地域に日取りなどを伝え、ポスターを配布するなどのあいさつ回りを行わなければならない。文化祭があるので騒がしくなるかもしれませんがよろしくお願いします、もしよかったら来てください、と周知する活動だ。

 その重要性を繭墨が語っていた。


『地元の皆さんにもキャンプファイヤーのことを伝えておかなければなりません。火災と間違われては困りますからね。周知活動の際は、それも併せて必ず伝達をしてください。文化祭というイベントは、来場者にも、来場しない方にも、否応なく影響してしまうものですから』


 そこで繭墨は言葉を切って、近森に問いかけたという。


『周知と言えば、消防署への届け出は済みましたか?』


『あ、ごめん、まだ……』


 10日以上も先の話だ。気が早いと近森は思っていた。

 しかし繭墨は冷たい視線と声音で、


『早めの届け出をと言っておいたはずですが』



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「――って冷淡に言われてさあ、あたしゃ泣きそうになったよ」


「それは怖いね……。悪夢とか見なかった?」


 と僕はいちおう、近森の心の傷を心配すると、


「ああ、それは大丈夫だよ」


 となぜか遠藤が応じる。


「なんで」

「彼氏に泣き付いて慰めてもらったんだって」

「それはそれは……」


 視線を送ったが近森は目を逸らして黙秘した。

 怪我の功名でよかったじゃないか。


 それにしても、その話が本当なら、確かに繭墨には余裕がない。

 数日離れていた間に、そんなことになっていたのか。


 そして、この危機を救ってほしいと、女子が二人、僕に助けを求めている。あれ、思ってたよりもずっと嬉しい状況なんじゃないのこれ。


「阿山君、なんか女子に頼られてうれしがってるところ申し訳ないけどぉ、これって率直に言って、会長のサンドバッグになってねっていうお願いだから」


 勘違いしない方がいいよぉ、と遠藤が言う。


「人身御供とか生け贄とか、そういうやつだよな」


 と近森も余計なことを言う。

 こいつら、そんな頼み方で僕が素直に言うことを聞くと思っているのだろうか。


「……まあ、それでも、生徒会が困っているというのなら一肌脱ぐよ」


 僕はあくまでも善意であることを前面に押し出して了承する。


「よっ、男前!」


「心だけはイケメン!」


「やめてよ、照れるじゃないか」


 ――だけど本音は全く違う。


 繭墨にやんわりと近寄るなと言われた生徒会室に、再び立ち入るための口実ができたことが、うれしくて仕方なかった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 その日の放課後、僕は副会長と会長補佐からの呼び出しという免罪符を胸に、生徒会室に足を踏み入れた。


 机に並んで作業をしていた一年の庶務の数名が、あからさまに安心した顔をする。

 

 遠藤は僕をサンドバッグと言い、

 近森は僕を人身御供の生け贄と言った。


 1年たちにとってはさしずめ弾避けといったところだろうか。

 そうか、お前ら僕をそういう目で見ていたのか……。


 軽く凹みつつも、僕は生徒会室の中心、繭墨乙姫会長に近づいた。


 繭墨は手元の資料に目を通しながら、僕の方を見ることなく質問を飛ばしてくる。

 表情は長い髪に隠れてよく見えない。


「クラスの演劇の調子は?」


「大丈夫。軌道に乗った感はあるよ」


「ヨーコの調子は?」


「セリフはもう全部覚えたってさ」


「そうですか」


 数秒ほど待っても、それきり言葉はない。


「……え、それだけ?」


「その報告に来たんじゃないんですか?」


「僕はほら、文化祭実行委員という肩書もあるし」


「その肩書を持った人はこの部屋に阿山君しかいません。しかも、こちらが呼んでもいないのに勝手に来ている。つまり現状では、文化祭実行委員あなたの助けは不要ということです」


 僕は横目で一年生たちの様子をうかがう。

 全員小刻みに首を左右に振っていた。


 上司と部下で現状認識が違う。これってヤバいことですよ会長。


「そんなこと言わずにさあ、なんかないの? 困ってること」


「特に――」


「あ、こっちこっち」


 と会長の発言を遮るようにして手を挙げる会長補佐・遠藤。


「各団体から出せそうな人員を聞いて回ってたんだけどぉ、やっぱり特設の野外ステージの方、ちゃんと動かせるほど人が集まりそうにない感じなの」


「そんなことはないでしょ。各団体には最初の段階で依頼をしておいたはずよ」


「それあとになって、やっぱり無理でしたっていう話になったんじゃないの? 使う人数の見積もりなんてどこもテキトーだと思うし、数が足りないってなったら、結局、自分のところのイベントを優先するでしょ」


 遠藤の言葉は確かに、責任感の薄い身勝手な、高校生こどもの集団の本質をついていた。

 これは結果論になるが、そんな相手を信用してしまった繭墨が悪い。


 珍しいミスだと思う。


 繭墨は基本的に、人間を信用しない。

 特に、集団というもののいい加減さを、常に計算に入れている。


 だから怪しい動きをしている団体には自ら出向いてクギを刺して回ったし、他の案件についても、こまめに進行状況をチェックし、いくつも安全対策を取っている。


 特設ステージを回すための人員確保なんて、最重要案件のはずだ。そこでミスをするなんて本当に珍しい。疲れているのか、余裕がないのか。冗談抜きで心配に思う。


 だけどここで直接、繭墨に何か進言しても意味はない。

 素直に聞き入れるようなタマじゃないからだ。


 僕は代わりに遠藤に声をかけた。こういう流れを用意してくれるあたり、会長補佐の肩書は伊達ではない。ナイスフォロー。


「それじゃあそっちの問題、僕も考えるよ」


「勝手なことは――」


「大丈夫よ会長、あたしの仕事を、ちょっと手伝ってもらうだけだから」


「そうそう、単なるアシスタントだよ」


 適当に相槌を打ちながら、僕は遠藤の隣に移動する。

 そしてこの、野外ステージ案件についての対策を話し始めた。


 しばらく繭墨からの視線を背中にチクチク感じて、非常に落ち着かなかった。



 疑問があった。

 久しぶりに生徒会室へやってきて、その疑問はより明確になった。


 繭墨はなぜか僕を遠ざけようとしている。その理由がわからない。


 僕一人の手でもないよりはマシなはずだ。

 実利優先で動く繭墨が、その主義に反して労働力を減らす理由はなんなのか。


 もちろん自分のクラスが心配で、だけど自分は動けないから、代わりに僕を様子見に行かせたというのも理由の一つだろう。

 だけど、クラスの出し物が軌道に乗った以上、僕が生徒会の手伝いに戻ることに問題はないはずだ。それなのに、繭墨は頑なに僕を追い出したがっている。


 これは、ひょっとして……、

 ついに本格的に、嫌われてしまったのだろうか。


 あるいは僕の好意を察して、やんわりと断ろうとしている前段階とか。


 どちらにしても、やる気を大いに削がれる思考だ。

 僕はこれ以上考えるのをやめて、目の前の問題に集中した。

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