フィロソフィ・トレード

@umekiti1020

第1話 

 その日、市場は荒れ狂っていた。東京トレードセンターでは、あちこちから怒号が飛び交っている。敏腕トレーダのセイラは一人静かに、モニターに映る激しい値動きを眺めていた。「あ〜これは行っちゃうかもね。」その3分後、市場はデッドラインを超えた。


 この世には超えてはいけないラインがある。男と女、犯罪、ドラッグ、ギャンブル、、、しかし人はふとした時に、あるいは欲に抗えずに、知らず知らずのうちに、あっち側へと行ってしまう。セイラも今まさに、そのラインを超えたところだった。注文したばかりの、あったかいレモンティーに手をつけることなく、ARゴーグルに映し出されたチャートを眺めていた。何やら赤と青い棒のようなものが交互に映し出されている。チカチカとした点滅はセイラの眼球に反射していた。「さあ、今日は上がるか下がるか」セイラの鼓動は高鳴り、アドレナリンが出て、手汗が滲んでいた。「レッツショウタイム!」セイラは心の中でそう呟いた。


 取引の仕組みは簡単だった。チャートが上がるか、下がるかを当てるだけ。当たるとパイと呼ばれるコインが貰え、通貨同様に好きなものを買うことができる。セイラは一人高層マンションの最上階でこの駆け引きに孤独に戦っていた。自分が勝てば、相手のパイが失われる。しかし、決して見えることない相手のパイが減ろうが、セイラには関係なかった。今夜も順調に勝ち続ける。

 「さて、そろそろかな。」セイラはゴーグルを装着し、臨戦態勢に入る。

「いまだ。」機を逃さず買いを入れる。途端にポイントが上昇し、セイラの懐にパイが追加された。

「ふう、今日はこれでおしまいにするか。」わずか5分のうちに大金を稼いだセイラはゴーグルを外し、一息ついた。この取引を始めたのが1年半前、今やパイは増える一方だ。家賃以外に使い道もなく、数字だけが増えていく。

「パーとするか!」冷蔵庫からラムネを取り出し、ビー玉を落とす。これが彼女の乾杯の作法だった。「ゲープ」その容姿らしからぬ粗相も、一人暮らしでは咎められることはない。

 高層階の窓からは眼下の世界はまるでミニチュアだ。セイラはこの景色が好きだった。世の喧騒から逃れることができるこの場所はセイラにとって都合が良かったのだ。

 ふと空が光った気がした。

「ん?あれなんだろう」何かが飛んでくる。次第に近づいてくる。「ガシャアアアアアアン!!!」何かが飛び込んできた衝撃でセイラは吹き飛ばされた。セイラの意識はそこで途絶えた。


 「ん‥」セイラはムクっと起き上がろうとした。「痛った」頭がズキズキする。ぼんやりする視界で暗闇を見渡した。「あれ‥窓ガラスが割れてない」セイラは頭の痛みに戸惑ったが、夢だったのだろうと思った。時計を確認すると午前4時だった。あと1時間もすれば朝だ。セイラはシャワーを浴びることにした。

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