第五十七話 天と地の行く末

 ビエラが聖女の力を以て戦闘を開始した同時刻。


 ハダルはカペラ、フォーマルハウトと共にガニメデの東に存在する広大な砂地の上に立っていた。


 植物が極端に少ない砂地は辺り一面に黄色い砂とごつごつとした大小さまざまな岩が点在する。時折強い風が吹いて砂ぼこりが舞い、旅人の行く手を阻むような分厚い砂の壁を作り上げ、目の中に侵入しようと幾度も襲い掛かる場面が散見される。砂漠地帯に近い現地の気温も朝方は低かったものの、太陽が昇るにつれて徐々に羽織っていた上着を脱ぎたくなるほどにまで上昇していた。


 三人のハンターは何の目的もなく立っていたわけではなく、背中を合わせて魔物の群れに対処しようとしていた。この砂地を縄張りとするサソリ型の魔物たちと道中で鉢合わせしてしまったのだ。サソリ一体の体長は人間の倍以上で、長い尻尾の鋭い針から毒液が垂れる様子が単体を相手にするだけでも脅威だと見せつけてくるようだ。ギザギザで巨大な二本のハサミも、ありとあらゆる物体を一瞬で粉砕するだけの挟力きょうりょくを兼ね備えている。


 魔封じの領域に突入するため、乗り込んでいた魔導機を置いていく必要があり、徒歩で移動していたがために頼れるのは己の魔力のみ。少し心細くも見えたが、待ち構える三人は強気だった。


 秘密裏にハンターギルド・教会双方の依頼で聖女の力を用いた侵攻を食い止めるため、ハダルたちはガニメデの地下に存在する魔封じの間へと入ろうとしていた矢先だった。


 特殊な状況下で多少なりとも有利に動けるのは装甲衣を着ているハダルのみで、カペラとフォーマルハウトは魔封じの領域による激しい消耗戦を覚悟しなければならなかった。そんな苦境に立たされたカペラは恐れを知らない武人のように不敵に笑い、余裕だと言わんばかり堂々と右手で短剣を構えていた。フォーマルハウトもカペラとおそろいのキャスケットを被り直し、まっすぐな信念を貫くように長杖を握り締めた。


「ハダルさん。先に行ってください」


 笑うカペラの発言を背後で聞いていたハダルは目が点になった。


「何を言っている? ここでお前たちを失いでもしたら、大きな損失を被る可能性があるんだぞ」


 断るハダルをよそに、カペラは尊敬するハンターの見えない位置から首を振った。


「なりませんよ。あたしたちはここで生き残ります。昔と違って今はAランクなんですから」


「……!」


 ハダルが黙りながら忘れていたハンターランクの存在を思い出す。そうだった。この子たちは草原の中を彷徨っていた小さな迷子ではない。もう少しでベテランの域に差し掛かろうとする手練れのハンターなのだ。それを決定づけるようにフォーマルハウトがカペラの援護射撃を行う。


「無謀なことをしていた昔とは違います。俺たちをいつまでも子どものままだと思わないでください」


 魔導機を優しく起動するように発動(アクティベーション)を終えていたカペラとフォーマルハウトは臨戦態勢に入っている。


「——ある意味、私の見込み違いだったようだな」


 ハダルは迷いなくニヤリと笑みを浮かべた。尊敬の念を受けていた同業者からの支えによって、動乱に繋がろうとしているこの出来事の一端を終息へ導こうとしていた。


「早くお弟子さんのところへ行ってあげて下さい。手遅れにならないうちにサクッとホロスを救っちゃいましょう!」


「はははっ。それは勝つまで取っておけ」


 決まり事のようにハダルは笑い飛ばした。


「聖女の力を止めるにはハダルさんがあの場所にいなければいけないんです。俺たちのことは心配しないでください。後から必ず追いつきます」


 澄ました深紅の瞳を輝かせるフォーマルハウトも、敬うハンターと自分自身を心から信頼している。イメージの構築を経て長杖から熱線を集束させ、魔法を発現させようと声による引き金を準備した。


「《灼熱領域フレイミング・フィールド》」


 フォーマルハウトが広範囲の領域魔法を魔物たちの足止めに使うと、サソリたちが呻くように怯んで大きな隙ができた。近くにいた存在の幾つかが高熱によって死に絶え、死を免れた物も高温によって外骨格が次々にひしゃげてしまった。暗所での目を眩ませるようなつもりで炎を放ったが、思いのほか威力が強かったようだ。


「今です!」

 

 カペラが端を切って叫んだ。


「感謝する!」


 身体強化を終えていたハダルが動けなくなったサソリたちの間を軽く身をこなす密偵のようにすり抜けて目的地へと駆け出した。


 領域魔法によって硬直していた魔物たちがひとりでに動き出す頃にはハダルの姿が消え、残った二人が最大限の想像力を全力でぶつけようとしている。


「フォー! さっさと終わらせるよ!」


「あぁ!」


「《超刃斬撃オーバー・ブレード・スラッシュ》!」


 サソリの大群を前にカペラは実体化させた魔力を短剣に宿して長大な大剣に変貌させて辺り一面を切り伏せた。


「《灼熱発撃フレイミング・シュート》」


 フォーマルハウトが仕上げとばかりに広大な範囲を魔法で焼き尽くしていく。屈強な甲殻類の集団からあっという間に戦利品の魔石が飛び出す光景は、古いカジノのゲーム筐体が引き起こしたジャックポットによって溢れだすメダルの濁流に似た勢いを秘めていた。


 外骨格がものの見事に切断され、高温で焼けた匂いが香ばしく鼻孔を通ると、カペラは思わず試食せずにはいられなかったが、毒が抜け切れていない可能性が高いためフォーマルハウトが迷わず制止させた。

 

 その昔、草原で迷子になった二人の幼馴染は成長し、互いの背中を守り合う一心同体のパートナーとして一躍ハンター界に躍り出ることとなった。魔物の群れとの戦いは後にハンターを目指す子どもたちへの英雄譚として語り継がれる未来が待ち受けていた。


   *


 宇宙を統べる聖女ステラは、すべての壁や地表を突き抜けて二人の存在に魔力を送り続けていた。遠い昔にテトラネテス大陸を去った彼女は、遥か未来で次の聖女になり得る少女たちへ平等に力を注いでいた。


 強大な力をもってして一宇宙を支配するステラは自らを絶対的な正義として考える姿勢はなかった。自分が世界を手元に置けるのは幾つもの偶然が重なって必然に変わっただけだ。人々の信仰が積み上がり、それがやがて万物にバランスをもたらす一つの象徴に進化を遂げていた。


 ステラ自身はホロスに平穏を訪れさせるつもりはない。覇権を握る力こそすべてだ。その力を有する権利を持った二人の少女を競わせるだけだった。一人は既に魔力を注ぎ終わり覚醒を始めた。縦横無尽に、自由自在に、翼を伸ばして遺憾なく自分の授けた力を発揮している。よほどの力量差を埋めなければ青年たちに勝算はない。ステラはそれを理解していた。


 現在戦っている仮面の彼女は、生まれながらにしてその場を引っ掻き回す生粋のトリックスターだ。運命を託そうと決めたのは彼女の境遇に共感したわけではない。自身の複製が一人の男によって行われていた計画をみすみす眺めていたわけでもない。


 すべては共鳴だった。同じ周波数帯に合わせてチューニングをした魔力情報機(ラジオ)のように合わさり、自分と彼女を結ぶ交信が生まれた。


 ビエラと名付けられた彼女が誕生する前に願いを告げた。どんな形でも構わないから世界を変えてほしい。すべてはあなたの操れるように創られている。長い年月を経ている間にホロスの平穏は崩壊を迎えてしまう。だから変えてほしい、と。一人の男によって育てられたビエラは仮面を被ったまま彼に従った。否、従ったふりをしただけだ。裏では自分が告げた言葉を辿るように男たちをだまし続けた。すべては失いかけた平穏を取り戻してもらうため。必要な破壊だった。


 そしてもう一人、聖女の力を持つ権利を与えられた存在がいた。彼女は後にスイ名付けられ、こちらも一人の男を中心に育てられた。ステラは彼女が生まれる前にこう告げた。どんな形でも構わないから世界を変えてほしい。すべてはあなたが望む平穏を作り出せる。破壊の先にある再生を担ってほしい、と。スイはその通り心優しい少女となり、青年の下で弟子としての修行を積み、彼女も気づかないうちに聖女の力も付けていった。


 現在、スイはビエラに気絶させられ、動けない状態にある。それでも彼女の意識を取り戻させようと手を差し伸べる必要はなかった。差し伸べても結果は同じだとステラの胸中は落ち着いていた。


 破壊と再生——どちらに転がってもホロスは新しい歴史に書き換わる。世界が危機に瀕しているこの瞬間は、ビエラの方にバランスが傾いている。しかし、崩れかけていたバランスは再び正常になるだろう――スイが意識を取り戻すと同時に――。


 聖女は引き続き宇宙からホロスの行く末を見下ろしていた。


 気を失ったままのスイに、最後の魔力を注ぎ込む作業をしながら。

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