第四十四話 記憶/父の誕生日
ある日、シュウ・タカハシは父親になった。
唐突に決まったわけではない。研究施設に入所した頃に結ばれていた契約の一つだった。研究員でありながら優れた魔導の心得を持っていた彼を、研究所長は父親兼教育係として研修で経験を積ませ、実際にその時が訪れただけだ。
「今日から君は彼女の父親だ。拒否権はないからな」
所長からすれ違いざまにポンと肩を乗せられた彼はどう表現したらいいか分からない複雑な笑みを浮かべた。まさか自分が十代で親になるとは思ってもなく、研究職と子どもの教育指導の研修を終えてもなおピンとこなかった。
シュウは人工子宮ですくすくと育っている胎児を見ながら、実感の湧かない日々を送っていた。育っている環境に孤独を添えたせいだろうか、血縁関係でもないのに、目の前の赤ん坊には不思議と親近感を覚える。
まだ若い研究者ながら、兵器と呼ばれた彼女を育てるという仕事を担う役割を請け負う責務はどんな物質よりも重くのしかかる。彼女が組織の兵器へと覚醒するその時まで、彼の仕事は山積みだった。
困難を極めると考えられていた子育ては、想定していた最悪の事態までには至らなかった。
シュウは
時には施設内の修練場に赴き、スイに直接魔法の指導を行った。基礎を学ばせて以降は彼女自身がシュウの魔導書を読みながら応用魔法を極めていった。
あっという間に忙しない日々が去っていき、シュウの心の中には実験の失敗もスイとの数日間にわたる親子喧嘩も輝かしい今を支える良い思い出となって輝いていた。
「——お父さん」
一五歳になったスイが研究室にいるシュウを訪ねた。
スイは肩まで伸びた黒髪の一部を後ろにまとめ、ブラウスにロングスカートという可愛らしい出で立ちをしている。
椅子に座るシュウのデスクには書類が山積しており、とてもテクノロジーの充実した研究施設らしからぬ光景が近くにあった。
「どうした?」
シュウはいつもと妙に違う、どこかもじもじとしているスイの表情を読み取った。
緊張した面持ちのスイは一つ深呼吸して腰のあたりに隠していた両手を見せる。
「お誕生日……おめでとうございます」
お祝いの言葉と共に差し出されたのはリボンが結ばれた小さな箱だった。
シュウの瞳は瞬きながらも心の中で驚いた。
恐る恐る手を差し伸ばして箱を受け取る。これが夢ではなく、現実であることを手に取って確かめながら。
「ありがとう。そうか、今日誕生日だったな……」
自分の生まれた日を忘れてしまうほどに日常を忘れかけていた。
スイの存在がシュウの一部となり、失われようとしていた純粋さを彼女が取り戻してくれたような気がした。
涙を流すほど大げさではない――そう決め込んで緩む涙腺をこらえた。意味の無い男の意地だった。
「開けていいか?」
「はい。是非見てみてください」
しゅるしゅるとリボンを解き、箱を開けてみる。
「これは……」
シュウが見たところ、それは一つの小さな魔石が装飾に使われた指輪だった。
研究室内の照明を反射して魔石が輝き、何にも代えがたい色を絶えず輝かせていた。
「まさかとは思うが、結婚指輪のつもりか?」
親子ほどの年齢差があるとはいえ、血の繋がりはない。近親婚ではないにしろ今の関係が著しく変わる可能性もあり、シュウとしては今の関係を維持しておきたかった。
「さすがにそれは違います」
スイは苦笑し、懸念は一瞬にして払拭される。
「だよな」
釣られてシュウも苦笑した。
「なんというか、日ごろのお父さんへの感謝です。一から人工魔石を生成して魔道具にしてみたんです」
空けた箱を様々な角度で傾けながら、シュウは思わずうっとりと魔石を眺めてしまう。
「凄いな。魔力そのものを魔石に変換するなんて途方もない時間がかかっただろうに……」
魔石を魔力に変換することは容易いが、その逆は非常に難しい。細かな部品の詰まったアンティークの腕時計を全部分解してもう一度組み立てなおすようなものだ。
「確かに時間は掛かりました。お父さんの本をたくさん読んで、何度も作り直して、やっと完成したんです」
「いいのか? せっかくお前が作った指輪なのに俺が貰ってしまって」
「これはお父さんが使ってください。きっと役に立つと思います」
愛娘は尊敬する父に対して「ふふっ」と笑顔を見せた。
ふとシュウは指輪の持つ効果を思い出した。確かこの魔石と指輪の関係は――いや、直接スイに聞こう。
「効果も知ってて作ったのか?」
「制限はありますけど、
この世界のありとあらゆる魔法には発現するための呪文が必須だ。引き金を引かずとも弾を放てる銃ほど危険な得物はない。先に魔力障壁を形成しない限り防御は不可能だ。
「魔石の大きさを考える限り補助魔法に使えそうだな」
「そうですね。さすがに攻撃魔法には向かないと思います」
指輪の中にはめられた小さな魔石の力は限られている。せいぜい身体強化か遠隔操作をイメージだけで、しかも数回程度しか効力を持たないだろう。
「せっかくなのではめてみてください」
「うっかり魔法を発動してしまいそうだな」
「大丈夫ですよ。イメージを遮断すれば何も起こりません」
シュウは箱から指輪を取り出すと、早速右手の中指にはめた。幸いにも指輪はごつごつとした指にぴったりと綺麗にはまった。
「左手の薬指じゃないんですか?」
不思議そうに言うスイの発言に思わず虚を突かれた。
一体どこでその知識を得たのかは想像に値できないが、他の研究員が彼女を預かっている時に色々と吹き込んだのかもしれない。
シュウは軽く咳払いをして気を取り直す。
「——研究は日々勝負だ。勝負事に関しては中指がいいと相場で決まっている」
「そうなんですね……」
なぜかスイは残念そうな顔をしている。彼女に深い愛情があるのは確かなことだ。しかし、それは恋人同士のそれとは違う。強いて言うなら家族愛だ。シュウはそれだけ明確な線引きを決めている。
「そんな顔をしなくてもいい。俺の想いは変わらないし、お前はいつまでも俺の娘だ」
そのままシュウはスイの頭を撫でようと手を伸ばしかけたが、さすがに触れられるのは嫌がる年頃だと考えたのか、慌てて手をひっこめた。
「どうしたんですか?」
「いや、何でもない」
先ほどの所作が不自然に見えたのか、スイが突っ込んで聞いてくる。
「何か隠してません?」
「本当に何でもない。ただ、父として俺も変わらなければいけない時期に差し掛かったと思ってな」
時折頭を撫でる行為を続けてきたシュウが躊躇う姿を初めて見たスイは呆れたように一つ息を吐いた。
「お父さんは何も変わらなくていいです。わたしはどんな時でも、お父さんに対する想いは変わりません。だからそのままでいてください」
「威厳も何もない父親だぞ? 本当にいいのか?」
「はい。わたしのお父さんは一人しかいませんから」
彼女の一言は生涯忘れられないものになるだろう――シュウは全身に魔力を行き渡らせるように聞いた言葉を耳に沁み込ませた。
「ありがとう。愛しているよ」
「わたしも、大好きです」
スイは屈託もなく微笑んでいた。
何も飾らずに告白が出てくるなど、歳を重ねていなければ決して飛び出すことのなかった一言だろう。
椅子から立ち上がったシュウは、改めてスイの頭を撫でた。
撫でられたスイは嬉しそうだった。彼女はどれだけ成長しても父に甘えたいという感情は変わらない様子でシュウはひどく安心した。
このまま親子関係が崩れることなく日々が折り重なっていけたら、と心から願っていた。
困難にも直面しながらそれを支えてくれる家族もいる。幸せな時間が流れるこの瞬間が今まで生きてきた自分への褒美だと思って過ごしている。
ああ、ステラ様。どうかこの瞬間をいつまでも噛み締めさせてください――シュウはそう祈らずにはいられなかった。
しかし、幸福な時間はあまりにも短かった。
聖女は永遠なる祝福を与えてはくれなかった。
スイが一六歳を迎えたある時、すべてが悲劇に変わろうとしていた。
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