◆2・念話傍受
「な、なななに!? 何が起きたの!?」
「って何を真っ先に取り乱してるんですか! さっきまであんなに自信満々だったのに!」
自分たちの身長を倍するほど高らかに水しぶきが上がり、一瞬視界が塞がれる。
不測の事態に取り乱すディアナとは対照的に、ツキナは冷静に周りを見て己の得物を手にした。
少し早めにこの事態を予測していたリアレは、先程鳴った一つ目の音の正体を見つけ出す。
「これは……上から招かれざる来客があったみたいよ」
「上、ですか?」
リアレが手にしていたのは、最初に鳴った乾いた音の正体――折れた枝の破片だった。
この枝には先程の水しぶきを上げるような質量は無いから、もう一つ、何か大きな物が降ってきたはずである。
「ぶはーっ! うわ、あっついな! 何だここは……」
「「…………」」
三人が絶句する中、湯の中から勢いよく立ち上がったのは、大柄な金髪男性。
身長はディアナより一〇cm以上高く、筋肉質で無駄な肉が全く存在せず、男性として理想的な体型であることが容易く分かるほどに、全裸である。
その股間の高さが丁度、身を低く構えた彼女たちの目線と同じくらいで。
「…………ひっ」
――っぃぃぃぃいぃいぃぃぃやああああああぁああああぁああぁっぁぁぁぁぁ!!!?
絶叫の三重奏が、木霊する。
「うわっ、うるさ! んだよそのデカイ声は! 耳がイテえっ!」
「き、ききき貴様! なにゆえここに、ぜ、全裸でここにいるんですかーっ!?」
淑女代表として、騎士ツキナが引き抜いた剣を突きつけ、その切っ先をカタカタと震わせながらそう問いかけた。
残り二人は涙目になりながらツキナの背後へと隠れようとしている……が、当然面積的に無理である。
「はぁ? 全裸って、アンタらも同じじゃねぇか」
質問の意味が分からないという顔をされて、ツキナは当惑を隠せない。
「いや、へ? 何を、言って、なぜ貴様はそんな、当たり前みたいな顔を、して……ああ! もう訳が分かりません! 斬りますっ!」
「え? ちょ、やめ」
目を瞑って頭を振り、思考を全て拒絶したらしいツキナは、侵入者へ向かって斬りかかった。
――それも尋常ならざる速度で。
水中での歩行は、普通なら足を取られて遅くなるものだが、彼女のそれは陸上での一般的な踏み込み速度よりも圧倒的に素早く、まるで獲物を狩る鷹のようであった。
常人なら瞬き一つしている間に終わるであろうその神速の斬撃を、しかし男はひらりと皮一枚の差で躱し、ツキナの左側へ体を捌いてしまう。
「そ、んなっ!?」
驚愕に呻くツキナ。
しかし鍛錬の賜物かそれで動きは止まらず、返す刃で正確に男の首筋に孤月の軌道を描く。
最初の一撃は急所を外して不殺前提のものであったが、この二撃目は明らかにそんな余裕など介在しない、必殺を狙った本気の一撃であった。
にもかかわらず、男はまるで予期していたかのように膝の力を抜いて上半身全体を落とし込みながらツキナに接近し、手の甲でカーテンでも払うようにツキナの手首を押し上げて力を流しつつ、そのまま腹部にもう一方の掌を当てる。
「ひぁっ……!?」
空気が抜けるような悲鳴が、ツキナの口から漏れた。
男は得物側に当てた手を返してツキナの手首を掴みながら引き下げ、腹部の方は逆に押し上げて、自然に突進の勢いからツキナの身体が浮くや否やその手を離すと――
「わわわわわっ……!」
ツキナの身体が、長い黒髪を巻き込みながら宙を舞う。
前方回転を加えられ、浴槽の外に放り出された。
「まさか、ツキナが……!?」
「さがるわよ!」
目を見開き驚愕するリアレを、ディアナは腰抱きにして自身と共に後方へと跳躍。
数mを一足で飛び、浴槽の外に出る。
ディアナの身体には、魔法術使用による青き発光が見て取れた。
身体強化と次の法術発動のための準備が、既に行われている。
同時に、ツキナは空中で猫のように身を翻し着地。
再度剣を振りかぶるが、今度は突進しない。
「おい! ちょっと落ち着けよ! こっちは攻撃の意志なんて……!」
「やって下さい――ディアナ!」
ツキナの足元を薙ぎ払うような一閃が、浴槽内の湯を大量に巻き上げた。
「うわ!? 見えな」
「【冥界の主よ、契約に従い永劫の静寂にて包め――エオ・イス!】」
ディアナは左手に魔力の青白い光を集約させ、呪文詠唱の終わりと共に男へ向けて放つ。
飛翔するは亜音速で伝播する絶対零度の波。
発動者の魔力に呼応して有り余る質量の冷凍波が生成され、嵐により
氷が擦れ合い、軋み合う音が響く。
巻き上げられた大量の湯は瞬く間に凍結して見事な流線型を描いたまま空中に静止し、その中心で、男は氷の彫像と化した。
「やった、の?」
ディアナの後方から出てきたリアレが、氷の前衛芸術と化した浴槽を確認する。
「そうみたいね……」
「まさか、裸のまま戦闘になるとは思いませんでした」
魔術による身体強化を解除したディアナと、鞘を拾って納刀するツキナが続く。
「とにかく、二人ともお疲れ様。服を来てからドウマたちも呼んで、死体の調査をしましょう」
「ええ。異論無いわ」
「承知しました」
三人は連れ立って露天風呂を後にした。
……一人取り残された男――金髪の青年は、ほっと胸を撫で下ろす。
(アイツら、もう行ったか? いきなり人を斬りつけてきて、挙げ句には氷漬けにするとか外道かよ……ったく)
絶対零度の冷凍波を受けても尚、生命活動が停止していない。
普通なら骨の髄まで凍結して、死に至るはずなのに。
加えて、冷凍されてから一切呼吸をしていないが苦しい顔一つせず、次の方策について考えを巡らせている。
(この氷に関しては、力技でどうにかできそうだな。特にダメージも無いし。ただ……)
先程の三人の女性たち。
明らかに殺意を持って、執拗な攻撃を仕掛けてきた。
また見つかれば、同じことの繰り返しになるだろう。
(バレないように逃げないと、また攻撃されたら面倒だぜ……ったく。しかし、それにしてもちょっと寒いな。何か、身に纏う物が必要か?)
「何たる事だ!」
(……ってやば、もう帰ってきた?)
「この男は、なぜ殿下と同じ浴槽に浸かっておるのだぁぁぁああ!!」
身を震わせるような大音声が響く。
凍らされて振り向けないなりに耳を澄ませば、言い争う声の合間に背後から数人の足音が聞こえる。
小さな靴が床石を踏み鳴らす軽い音に、もっと金属質で重厚な音。
それが、複数。
敢えて見ようと思えば、視点が切り替わり背後の様子が脳裏に流れてくる。
(武装した騎士の増援……考えてる暇があんなら早く逃げればよかったか)
「ドウマ隊長、落ち着いて――」
「落ち着けだと!? このような失態を前に、誰が自分自身を許せるものかッ!」
隣室で此方を監視しながら着替えていたリアレたちは、同時に護衛の近衛騎士を呼び寄せていた。
駆け込んできて最初に氷漬けの青年の臀部を見たドウマが、警備責任を感じて激高している。
「落ち着きなさいドウマ」
「ぐぬぅ……殿下、しかし」
「まずは死体の検分をして、どこの手の者かを調べなさい。命令よ」
「はっ! 畏まりました!」
リアレの冷水のような声音には、聞く者を鎮静化させるような効能でもあるのだろうか。
沸騰して活力全開のマグマみたいだったドウマが、凛と澄み渡る騎士道精神を取り戻している。
(さてどうするか。まぁ……一か八か、出たとこ勝負も悪くねぇかもな)
「殿下……どうやらまだ死体ではないようです」
(なっ!?)
「死体ではない? それはどういうこと? ツキナ」
「生体波動が感じられるので、恐らく、まだ生きています」
ツキナのこめかみに冷や汗が伝う。
その場にいる者の表情は、皆一様に引き締まった。
しかしディアナだけは、どこか嬉しそうにしていて。
「なんてヤツなの。……私の凍結魔法を、まともに喰らって生きているなんて!」
「どうします? トドメを刺しましょうか?」
「そうね……」
「えぇ~、せっかく生き残ったのに? 今までお目にかかったことが無いほどイイ男じゃない。顔も身体も凄く綺麗……殺すくらいなら、私に頂戴」
ディアナは禍々しいオーラを放つ魔法術を準備しながら、舌舐めずりをする。
思案していたリアレは、それほど時間を掛けずに決定を下す。
「いえ、やはり生きているのなら捕縛して、尋問しましょう」
「残念……まずは捕縛、ね。じゃあ解呪と同時に捕縛魔法を掛けるから、貴方たちは一応縄で縛ってくれるかしら?」
「はっ! 承知しました!」
言うや否や切り替え素早く、騎士たちの応答を待たずにディアナは別の詠唱に突入。
「【血の同胞よ、契約に従い自由を奪え――イーサ・ニイド!】」
その左手から飛び出した数条の赤き茨にも似た法力の流れが、氷を通り抜けて青年の白い肌に纏わりついていく。
「さぁ、氷を解くわよ。準備は良い?」
「はい、いつでも!」
縄を手にしたドグマと、それを補助する騎士二名が浴槽内で既に待機していた。
「じゃあいくわよ! 【解呪!】」
直後、氷が全て粉々に砕け散る。
同時に縄を持って飛びかかる三人の騎士。
身動きをしない青年の手足へと手際よく捕縛用のロープワークを施し、浴槽の外へと引きずり出す。
正座させて背中で手と足のロープを繋ぎ、仕上げに目隠しをして、騎士二人が背後から抑えつつ後頭部の金髪を引っ掴んで頭を起こさせる。
「殿下! 捕縛作業、完了しました!」
「結構よ。では、早速尋問を始めましょう」
「はっ! すぐに叩き起こします!」
腕組みして一部始終を見ていたリアレにハキハキと報告し終えたドウマは、青年の方に向き直り、その顔面目掛けて拳を振り上げ、即座に突き出す。
「別に寝てねぇよ」
「なにィッ!?」
目隠しされたまま、青年はドウマの拳を躱してみせた。
最小限、首を傾けるだけで。
髪の毛を掴んでいた騎士が、その僅かな動きだけで体勢を崩されている。
「そう。わざわざ狸寝入りをしていたの? 一体何のために?」
「狸寝入りというか、大人しくしてただけ。その方が、余計な攻撃を受けずに済むと思ったんでね」
淡々と話す青年。
「貴様ァ! 殿下に対して何という口を叩くか! 言葉使いから身を以て教えてくれようぞ!!」
「今は不要よ、ドウマ。しかし……貴方はなかなか賢いようね。なら、こちらの質問にも素直に答えてくれるのかしら?」
「答えられるもんならな。なんせ記憶喪失だからよ」
「記憶喪失、ですって?」
「ああ。さっき花畑で目覚めてから、それ以前の記憶が無い。自分の名前も、ここがどこなのかって事すら分からねぇ。色々訊きたいのは、逆にこっちの方さ」
「ふうん……? そう」
何か思考を巡らせるように、リアレは顎に手を当てて視線を青年から逸す。
その背後で、ディアナがまた別の呪文を詠唱し始める。
「【血の同胞よ、契約に従い思念を通せ――アンスズ・ギュフ!】」
思念通話の魔法だ。
精神の回線を繋ぎ、繋がった者同士なら心で会話可能になる。
今は、ディアナからリアレ、そしてツキナの三名が繋がれた。
<リアレ……ツキナ……今三人を繋いだわ>
<ええ。気が利くわねディアナ。さて、この男……記憶喪失だとか言っているけれど>
<どうかしらぁ? 私たちを欺くための戯言かも>
ディアナは両手を横に広げ、肩を竦める。
<そうですね。確かめてみましょう>
<ツキナ、どうするの?>
<聖法術の、神伺いの法ですよ>
<――なにそれ?>
<<っ!?>>
男性の声がいきなり思念通話に混ざってきたことに、少女三人は飛び上がらん勢いで瞠目した。
<な……!? ディアナ、何故この男が混ざっているの!?>
<し、知らないわよ! もぅ、ワケが分からない……!>
「どう、されました? 殿下……?」
急に焦りだしたリアレたちに不安を煽られたドウマが話しかけてくるが、リアレはそれに返答すらできず、青年の方を凝視したままで。
ディアナは頭を抱え、ツキナは険しい顔で青年を睨みつける。
「おいおい、そんな怖い顔すんなよ? 俺はただ、アンタらの頭の上に何か線が見えたから、それに触れてみただけだぜ?」
「ふ、触れてみた、ですって……!? 一体どうやって!? そもそも、何が見えたと……言うの」
そこまで言って、ディアナは何かに気づいたように、その表情から力が抜け落ちた。
「どうやってって……そうだなぁ、何というか……手を伸ばすように、その緑色の線に向けて俺の意識を伸ばしてみただけ、なんだが」
「まさか……貴方、力の流れが、見えたとでも? そんな……それじゃまるで……」
「まるで、何? ディアナ」
ディアナを見つめるリアレは、冷静な風を装っているが冷や汗が止まらない。
魔法術に関して絶対的な自信を持つディアナがこんなに焦った姿を見せることなど、これまで無かったから。
「……聖導士、あるいは魔導士、ですか? 神や悪魔の力に依らず、己が法力にてこの世界に干渉し、改変できる者」
聖・魔導士はこの世界全体で見ても、数人しかその存在は確認されていない超越者の称号である。
詠唱もせず手足を動かすように法術を扱うことができ、その力は一人の人間が一生涯を掛けて修練したものを遥かに凌駕し、独自の新たな法術すら作成可能な化物。
「嘘でしょ? 長命な龍族や長耳族ならまだ分かるけど……この者は明らかに人の容姿をしているわよ?」
「龍……ディアナ殿、もしかしたら、先程の話が真になってしまったのかも知れませんね。龍なら、相応の力があれば人の形態を取ることなど造作もありませんから」
「先程の話って……龍の赤子の話!?」
「分かりません。分からないので、分かる方にお聞きしましょう」
そう言いながら、ツキナが青年の前に進み出た。
「ツキナ。何か方法があるのね?」
「ええ、殿下。単純に――神伺いの法です」
「神伺いって……身分証明とか、物品の真偽鑑定用の法術ではなかったの?」
「ディアナ殿、確かにその使われ方が一般的なのでそういう誤解が広まっているようですが、本来は『全智の神様に、聞きたいことを教えてもらう』というものなんですよ」
「……無茶苦茶ね。なら、過去や未来の事とか何でも教えてもらえるワケ? そんな便利な法術なら、なんでもっと利用されてないの?」
ツキナは青年の前に懐から取り出した一枚の大きな紙を置き、青年の髪を一束剣で切り取って、その紙の上に乗せる。
「それは……神様からの開示許可が降りなければ、教えて頂けないからです。知る権利がなければ――知っても良い立場、時期でなければ、情報は開示されません」
「なるほど。じゃあこの男について、どれだけの情報を引き出せるのか試してみようと、そういうこと?」
リアレが納得顔でツキナの近くに寄ってきた。
「そうです。宜しいですか? 殿下」
「勿論よ。それが一番、手っ取り早そうだしね」
「ありがとうございます。では、準備が出来たので始めますね」
「ええ、お願い」
ツキナはその場にしゃがみこんで髪の束に右手を置き、その上に左手も重ね、目を閉じる。
ディアナもその様子をツキナの肩越しに見に来た。
集中をし始めたツキナの周りでは、にわかに空気が揺らぎ、白と金色が混ざったオーラが流れ集いだす。
「【全なる至高の創造主よ、
刹那、太陽から一条の光線が放たれ、ツキナの手の甲を貫いた。
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