出逢いはカップケーキ
信じられない光景を前に、わたくしは一年ほど前その方に初めてお会いした時のことをぼんやりと思い出していた。そう、あの時は、まるで夜の闇のような方だと思ったものだ。
身に纏うローブが黒ずくめだったこともあるのだろうけれど、髪も目も、この国では珍しい深い闇のような色だったから。でも、決して不快ではない。一つに束ねられた艶やかな長い黒髪も、オニキスのように美しい瞳も、白い肌に映えてとても綺麗で。
ただ、その目は怜悧で見るものを刺すように冷たかった。美しい容姿に彫像のように動かない冷たい表情、『氷の魔術師団長』と呼ばれるのも納得だと思っていたのに。
今目の前のベンチに座っているその方は、何故かとろけるような笑みを浮かべていた。
「ヴィオル……様?」
驚きのあまりその名を口走ってしまってから、ハッとして口をおさえたけれどもう遅い。その方は驚いたように顔をあげ、わたくしと目が合うと、ぽかんとした表情で固まってしまう。
食べかけのカップケーキが、手から落ちかけたのが見えて、わたくしは思わず小さく叫んでしまった。
「ケーキが!」
「!」
意外と反射神経が良かったらしいヴィオル様が、落ちかけたカップケーキをはっしと受け止めて、ほうと息をつく。わたくしもそっと息を吐いた。
わたくしが声をかけたばかりに、あんなに嬉しそうに食べていたケーキを台無しにしてしまうのは申し訳なさすぎる。ひとまずケーキの無事が確保出来たことに安堵した。
「申し訳ありませんでした」
さっと頭を下げて視線をそらし、ヴィオル様の前を通り抜けようと足を早める。珍しい光景過ぎてうっかり声をかけてしまったけれど、わたくしとて見られたくない状況だ。
通り過ぎようとした瞬間。
「待て」
氷のように冷たい声が、わたくしを呼び止める。恐る恐る振り返ると、憮然とした表情のヴィオル様がわたくしを睨んでいた。
怖い。さっきまでカップケーキに見せていた、甘い甘い微笑みが幻だったかのような、冷え切った表情だ。そういえばヴィオル様は笑った顔を見たことがない、感情が冷え切っていると評判のお方。
わたくしはなんという方に声をかけてしまったのだろうか。数秒前の自分をひっぱたいてやりたい。
「公爵家のセレン嬢だろう。なぜこんなところに?」
「申し訳ありません」
「謝れと言っているわけではない。今、魔術師棟の方から来ただろう」
わたくしはぐっと詰まってしまった。
ヴィオル様はまだ弱冠二十五歳の若さで魔術師団のひとつ、それも国防を司る第三魔術師団を任されているほど、陛下の信任の篤い方。魔術師団に用もなさそうな貴族の娘がそちらの棟から来れば、気にならないはずがないのだろう。
「しかもその顔。泣いていたのではないか?」
くっ……泣いていたことまでしっかりと分かってしまったらしい。そこはあえて気付かないふりをして欲しかった。
「……なんでも、ありませんわ」
「その顔でなんでもないことはないだろう。……ああ、そうか。そういえば、今日は妹御が王宮に来ていると部下たちが騒いでいたが」
悔しいことに、わたくしの肩がピクリと揺れたのが、自分でもはっきりと分かった。
ヴィオル様の顔に、「なるほどな」とでも言いたげな表情が浮かぶ。感情が冷え切っているという噂の割に、表情が顔に出るお方だ。
ジロジロと遠慮無くわたくしの顔を凝視したヴィオル様は、ベンチの自分の横を指さした。
「座れ。まだ人前に出るには早い」
そう断じられて、わたくしはすごすごとヴィオル様の隣に腰をおろす。そんなにも酷い顔をしていただろうかと頬をおさえながら、わたくしは必死で考えをめぐらせた。
こうなったらもう腹をすえるしかない。泣いていたことも、それにマリエッタが関係していたこともヴィオル様に完全に気取られている。
魔術師団長というお立場の方だ、そう簡単に噂話の種にされることはないと信じたいけれど、彼の性格を知っているわけでもない。なんとかこれ以上詮索せず、かつ誰にも黙っていて貰えないだろうか。
ベンチに座る足の上に所在なく置いた自らの手を見つめて考えていたら、目の端に、さっき墜落から守られたカップケーキがまだヴィオル様の手の中にあるのが見えた。
これだ。
わたくしは内心ニンマリと笑う。
そしてさらに脳裏に閃いた素晴らしいアイデアに、心の底から神様に感謝した。ああ、そうだわ。いいことを思いついた。きっとこの出会いは神様がくれた機会だったのだわ。
殿下、待っていてください。わたくしきっと、誰も傷つけずにわたくし達の婚約を解消してみせますから。
殿下のお顔を思い浮かべてしっかりと誓うと、わたくしはうつむいたままヴィオル様に告げた。
「食べてください」
「なに?」
「さきほど、食べかけていらしたでしょう? カップケーキ。わたくしに構わず、食べてください」
「あ、ああ……」
途端に歯切れ悪く、気まずそうな声色になるヴィオル様。横目でチラリと見てみればバツの悪そうな顔をしておいでだから、きっとあまり見られたくないお姿だったのだろう。なにせ『氷の師団長』様ですものね。
わずかばかり躊躇した後、ヴィオル様は結局カップケーキを食べきった。今度はとろけるようなお顔ではもちろんなかったけれど、ひとまず思い残すこともないだろうし、わたくしも色々と聞き出されずにすんだ。お互いのためになった筈だ。
「セレン嬢……」
「ケーキ、お好きなんですね」
かぶせ気味にこちらから話題を振る。ヴィオル様には、なんとしてもわたくしの願いを聞いていただかなくてはならないから。
「頭脳労働だからな、たまに甘い物が欲しくなるのだ。……あまり、言いふらすなよ」
憮然とした表情でそう返されて、わたくしは思わず笑顔になる。
もちろんです。他言などいたしませんわ。
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