勇者フルート物語0・魔法の金の石

朝倉玲

第1話 フルート

魔の森の主は人間を憎む。 

許しなく森に足を踏み入れた者は

魔法にとらわれて気が狂い

獣に八つ裂きにされ 

闇の怪物に骨のずいまでしゃぶられる。

 

けれども、森の怪物たちに討ち勝って

泉のほとりから魔法の金の石を得たものは 

金の石の勇者と呼ばれるだろう。

金の石はいやしの石。

どんな怪我でも病でも

たちどころに治す魔法の力を持つ。

 

――魔の森に関する言い伝え




 昔々、私たちが住むのとは別の世界にある、ロムドという国の田舎町に、心の優しい少年が住んでいました。

 町の名前はシル。少年の名前はフルート。

 この物語は、そこから始まります……

 

 

 「よう、お嬢ちゃん。家にお帰りかい?」

 フルートが学校を出ると、あざ笑うような声が話しかけてきました。ちょっとしゃがれた少年の声です。

 フルートは迷惑そうに眉をひそめると、いやいやそちらを振り返りました。

 道路に面した小さな空き地に、フルートより体の大きな少年たちが五、六人たむろしています。ガキ大将のジャックとその子分たちです。


 ジャックがフルートを見回して、しゃがれ声で笑いました。

「相変わらず女みたいな生っちろい顔してやがんな。男のしるしはちゃんと股についてんのかよ。スカートはいて学校に来たほうがいいんじゃねえのか?」

 少年たちがどっと笑いました。

 口々に「お嬢ちゃん」「女、女」とはやし立てたので、フルートはますます迷惑そうな顔になります。


 けれども、少年たちが言っていることは、あながち間違いでもありませんでした。

 フルートは確かに綺麗な子どもだったのです。

 少し癖のある金髪に色白の肌、まつげの長い大きな瞳。

 顔立ちはとても優しげで、本当に少女のように見えます。

 性格も見た目に劣らずおとなしかったので、腕白な少年たちからは「女の腐ったようなヤツ」と言われて、しょっちゅうからかわれていました。


 フルートが黙って立ち去ろうとすると、ジャックがまた言いました。

「そぉらな。おまえはいつもそうやって逃げ出すんだ。ほんとに根性のないヤツだぜ」

 ジャックの子分たちがまたいっせいに笑いました。


 その中にひときわ甲高く叫ぶ子がいました。背の高い少年たちの中で、ひとりだけとても小柄な子です。

「フルート、おまえなんて逆立ちしたって勇者になれないぞ! 怪物の声をちょっと聞いただけで、ぶるって家に泣いて逃げ帰るに決まってらぁ!」


 それを聞いて、フルートは思わず立ち止まりました。

「勇者……怪物?」

 どうして急にそんなことばが出てきたんだろう、と振り返ると、とたんにジャックの怒声が飛びました。

「余計なことは言うな!」

 小柄なチムは首をすくめて黙り込みました。


 フルートは改めて少年たちを眺めました。

 どの子もそっぽを向いたり、逆にフルートをにらみ返したりします。

 何かを隠している雰囲気です。

 

 ところが、フルートが何か言うより先に、よく通る少女の声が響き渡りました。

「ちょっと、あんたたち! 何やってんのよ!?」

 フルートには声だけで誰が来たのかわかりました。

 二歳年上のリサです。

 元気のよい女の子で、フルートとは反対に「間違って女に生まれてきたヤツ」と言われています。


 リサは三つ編みにした頭をそらし、両手を腰に当てて腕白たちをねめつけると、ふんっ、と鼻を鳴らしました。

「またフルートをいじめてるのね。いい加減にしなさいよ! ジャック、あんた今日学校に来なかったでしょ。やっぱりずる休みだったのね!」


「へっ、うるさいヤツが来たぜ」

 ジャックは肩をすくめると、子分たちを引き連れて空き地から出て行こうとしました。

「おい、フルート、正義の味方が来てくれてよかったな。女みたいなおまえは、女に守られているのがぴったりだぜ」

 少年たちがまた笑います。


 すると、リサがその行く手に立ちふさがりました。

「あたしは別にフルートを守りに来たわけじゃないわ。あたしが用があるのはチムよ」

 小柄な少年は顔をしかめました。

「用ってなんだよ、姉ちゃん……」

 チムはリサの弟です。


「チム、あんた父さんの一番いいナイフを持ち出したでしょ。朝、父さんがかんかんだったわよ。あんたも学校を勝手に休んでるし。いったい何をするつもりでいるのよ?」

 リサの最後の質問は、チムではなく、親分のジャックに向けられていました。

 ジャックはまた肩をすくめました。

「別に。おまえには関係ねえことさ。行くぞ、みんな」

 少年たちは足早にその場から立ち去ろうとしました。

 何かを隠しているような、白々とした雰囲気がまた漂います。


 その様子に、フルートは、はっとしました。

「もしかして、魔の森に行くつもりなの!?」

 思わず声に出して言うと、少年たちは顔色を変えて振り向きました。

 どうやら大正解だったようです。


「魔の森?」

 とリサも真っ青になりました。

「馬鹿なことはやめなさいよ! 死ぬ気なの、あんたたち!?」

 リサの言うことは決して大げさではありませんでした。町の西には魔の森と呼ばれる森があって、怪物や猛獣がうようよしているのです。


 ジャックはフルートをにらみつけました。

「相変わらず頭だけはいいヤツだぜ。ああ、その通り。俺たちは明日、学校が終わってから魔の森に行くつもりなのさ。森の真ん中の泉までたどり着いて、勇者の証に、魔法の金の石を手に入れてやるんだ」

 それは、このシルの町に古くから伝わる伝説でした。

 魔の森の中心には泉があって、そのほとりから魔法の金の石を持ち帰ったものは真の勇者と呼ばれる、というのです。


「なんて馬鹿なこと考えるのよ! 今までだって、ものすごく強そうな戦士や魔法使いが何人も魔の森に行ったけど、誰ひとり金の石なんて持ってこれなかったじゃない! 本物の戦士たちにできないことが、あんたたちみたいな子どもにできるわけないでしょ!」


 リサはわめきたてると、弟に向かって命令しました。

「チム、家に帰るわよ!」

「いやだ! 俺は絶対に金の石を取ってきて勇者と呼ばれるんだ! 姉ちゃんこそ家に帰れ!」

 とチムが負けずに言い返します。


 二人が口論になりかけると、間にジャックが割って入りました。

「リサ、チムはおまえの言うことを聞くのにうんざりしてるんだぜ。チムは男になりたがってるんだ。いいかげん弟を自由にしてやれよ」


 ふん、とリサはまた頭をそらしました。

「ええ、そうね。これがあんたたちじゃなかったら、チム、成長したわね、って褒めたと思うわ。でも、あんたやあんたの仲間たちが一緒じゃ、とても安心なんてしてられないわよ。おまけに魔の森だなんて……! 絶対に行かせるもんですか! 父さんたちに知らせて、あんたたちをぎっちり叱ってもらうんだから!」


「なんだとぉ!?」

 ジャックの顔に、かっと血が上りました。右手をこぶしに握ります──。

 

 すると、急にフルートが言いました。

「やめたほうがいいよ、ジャック。森の主の怒りをかうよ」

 静かな声でしたが、ジャックや仲間たちは思わずフルートに注目しました。


 フルートは、まるで何かの物語をそらんじるように言い続けました。

「魔の森の主は人間を憎む。許しなく森に足を踏み入れた者は、魔法にとらわれて気が狂い、獣に八つ裂きにされ、闇の怪物に骨の髄までしゃぶられる……」


 それは、シルの町に生まれ育った者なら、誰もが物心つく前から聞かされてきた言い伝えでした。

 魔の森はいたずらに人間が足を踏み入れてはならない、恐ろしい場所なのです。

 心の奥底に植え付けられた恐怖がよみがえってきて、少年たちの顔から血の気が引いていきます。


 けれども、ジャックだけは拳を握りしめたままフルートの前に立ちました。

「意気地なしのくせに俺たちに口出しするんじゃねえよ。おまえはとっとと家に帰って、ママにおむつでも替えてもらってろ」

 ひどい悪口です。


 けれども、フルートはかまわず言い続けました。

「やめなよ、ジャック。本当に殺されるよ。みんなが死んだら、みんなのお父さんやお母さんが泣いて悲しむよ……」


「黙れと言ったはずだぞ!!」

 ジャックはどなって殴りかかりました。拳がフルートの腹にめり込みます。

 フルートの小柄な体は吹っ飛び、後ろに立っていたリサにぶつかりました。二人一緒に地面に倒れてしまいます。


 それを見てジャックは高笑いしました。

「いいざまだな! ママの代わりにリサに抱っこしてもらったのか! ついでに、おっぱいもしゃぶらせてもらったらどうだ?」


 とたんにリサは真っ赤になって跳ね起きました。

「なによ、最低ね! フルート、あんたもあんたよ! 男ならもう少ししっかりしなさい! ほんとに情けないんだから!」


 けれども、フルートは返事をするどころではありませんでした。腹を押さえたまま地面に突っ伏してうめいています。

 胃袋の場所をまともに殴られたので、今にも吐きそうでした。


「もう知らない! 勝手に殴られてなさいよ!」

 リサはかんかんになって立ち去ってしまいました。


「おやおや、お守りが行っちまったぜ、フルート。お望み通り、もう一発殴ってやろうか?」

 ジャックがまた笑いました。その目が剣呑けんのんな光を帯びます。


 けれども、そこへ子分の少年がやってきました。学校から出てきたのです。

 ジャックは拳に握った手を開くと、走ってきた子分に言いました。

「遅いぞ、ペック。ずいぶんかかったじゃねえか」

「悪い。先生に残されてさ」

 ペックと呼ばれた少年が答えます。

 ジャックと仲間の少年たちはぞろぞろと空き地を出ると、話しながらどこかへ行ってしまいました。

 

 あとに残されたフルートは、その後もしばらく動けないでいましたが、やがて、腹を押さえながら立ち上がりました。

 目の前がくらくらします。


 すると、のんびりした声が聞こえてきました。

「まともに食らったのか? やれやれ、しょうがないヤツだな」

 白髪まじりの黒髪にひげ面の中年男が、道の反対側の柵にもたれてこちらを見ていました。

 まだ昼間だというのに、火酒の小瓶を握りしめて赤い顔をしています。

 町の飲んだくれのゴーリスでした。


 フルートがなにも言わずにいると、ゴーリスは怪しい手つきで拳を繰り出す真似をして話し続けました。

「いいかフルート、こう、腹を殴られそうになったときにはな……腹の筋肉を固く締めて受け止めるんだ。そうしないと、胃袋が破裂することだってあるんだぞ」


 フルートは鼻の頭にしわを寄せました。

 そんなことを言われても、と言いたそうな表情が浮かびます。

 ゴーリスはいつ会っても酔っぱらっていて、誰彼かまわず捕まえては、戦い方や剣術の話をするのです。

 昔は名のある貴族に仕える剣士だったという噂もありましたが、ゴーリスが剣を使っているところを見た人はいなかったので、誰も本気にしていませんでした。

 

 フルートが黙って立ち去ろうとすると、ゴーリスがまた話しかけてきました。

「おまえ、どうしてジャックの拳を避けなかったんだ?」

 フルートは足を止めました。

「だって……急だったから……」

 と口ごもりながら答えると、とたんにゴーリスが笑いました。

「馬鹿め、俺の目をごまかせると思うのか。おまえはジャックの拳をよけられたんだよ。ただ、そうするとすぐ後ろにいるリサがとばっちりを食らうから、よけずに、わざと体で受け止めたのさ」


 フルートはとまどってゴーリスを振り返りました。実はその通りだったのです。

 ゴーリスは、へっと笑いました。

「まったくあきれたヤツだな。ま、リサが殴られそうになったとき、とっさに自分のほうにジャックの注意を引きつけたのは、なかなかだったが……。だが、そんなやり方じゃ、体がいくつあっても持たないぞ。俺のところに来い、フルート。俺がおまえに戦い方を教えてやる」


 けれども、フルートは首を横に振りました。フルートはとにかく戦いや喧嘩といったものが大嫌いだったのです。

「ぼくのせいで誰かが怪我をしたり血を流したりするのは、絶対に嫌だよ」


 ゴーリスは声を上げて笑い出しました。

「そりゃ、しかたがないだろう! 戦えば怪我はする。ときには死ぬことだってあるさ」


 そして、ゴーリスはふいに笑いをひっこめました。

「だがな、フルート……これだけは覚えておけ。本当の戦いってのはな、人を倒したり殺したりすることじゃない。戦いってのは、自分の命や大切な人たちを守るためにするものなんだ。それを忘れて、ただ倒した敵の数を数えて喜んでいるような奴は、いくら勲章をもらって偉い称号を受けていたって、英雄でも勇者でもない。そいつはただの乱暴者なのさ」


 フルートはびっくりしてゴーリスを見つめました。

 いつも酔っぱらって絡むように戦いの話をするゴーリスが、いやに真面目な顔をしています──。


 けれども、次の瞬間ゴーリスはまた笑って肩をすくめました。

「なぁんてな。おまえに言ったってわかるわけがないか」

 いつものだらしない飲んだくれの顔に戻っています。

「ま、とにかく、戦い方を覚えたくなったら、いつでも俺んちに来い。格安で教えてやるぞ……」

 と言いながら、ふらふらと千鳥足ちどりあしで離れていきます。

 

 そのときです。

 

 ザーッと雨が降り出すような音が響いたと思うと、空一面に鳥の大群が現れました。

 空が真っ暗になるくらいおびただしい数の鳥が、ギャアギャア鳴きながら、北から南へ飛び過ぎていきます。


 町の人々が驚いて外に飛び出してきました。

 ゴーリスとフルートもびっくりして空を見上げます。

 今は夏の終わり。まだ鳥が渡る季節ではありません。


 皆が見守る中、鳥たちは南の空の彼方へ飛び去っていきました。

 あとにはまた青空が現れますが、ゴーリスは眉をひそめてつぶやきました。

「不吉だな……」


 それを聞いて、フルートの胸にも泡立つような不安がわき上がってきました。

 鳥が飛んできた方角を眺めてみましたが、そちらの空もただ青く晴れ渡っているだけで、凶兆らしいものは見あたりませんでした──。

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