黒㘸島のカフカ

朝霧

古書店のカイブツ 1

 その日は桜が綺麗な日だった。

 出不精な私は珍しく外出していた。

 別に何か用事があったわけではない、ただの散歩である。

 重ねて言うが私は出不精だ、こんな風にようもなくあてもなく外をふらつくことなんて、後にも先にもきっと今日だけだろう。

 彼方此方で咲き誇る桜に見惚れつつ、ふらりふらりと田舎町を歩く。

 気が付いたらいつの間にか見たことのない風景が広がっていて焦ったけど、携帯端末を持ってきているから家に帰れなくなると言うことはないだろうと思い立って安堵した。

 ふらふらと風に吹かれるタンポポの綿毛になった気分で歩いていたら、少しきになる建物を見つけた。

 民家ではない、何かの店だ。

 周囲にぽつりぽつりと存在する民家と比べると、少しだけ新しく見える建物だった。

 近寄ると『古書店甘味』と西洋風のやたらと洒落たフォントで書かれた看板がかけられていることに気付く。

「えーっと、古本屋……なのかしら?」

 変わった名前だなと思った。

 甘味に関わる本の収集でもしているのだろうか?

 多分私の好みの本はなさそうだと思いつつ、ちょっとした興味からその本屋に入ってみることにした。

 ドアを開くと予想外に大きく軽やかな鐘の音が響いて、思わず猫の仔のようにその場で飛び跳ねてしまった。

 恥ずかしさに顔から火が吹き出そうだ、このビビリな気質は幼い頃からいつまでも治らない。

 くすり、と小さな笑い声が聞こえたような気がして、顔を勢いよくあげる。

 見ると店の奥の方にあるカウンターに立つ店員らしき人がこちらを見て微笑ましそうな顔をしていた。

 真っ白な、長い髪の人だった。

 腰まで届くほど長い髪は印刷用紙のように白い。

 随分とお年を召しているように見えるけど、足腰は真っ直ぐとしていてきっとめっちゃ健康なお婆さんなんだろうなと思った。

「いらっしゃいませ」

 張りのあるとても澄んだ、少し低めの声が聞こえてきた。

 その声に違和感を覚えつつ「どうも……」と小さく返しておいた。

 なんとなく気まずいけど、すぐに帰るのもなんだか逃げたみたいで格好が悪いので、とりあえず店内をぐるりと一周することにした。

 甘味だなんて名を掲げているのだからさぞ甘味関係の書物に富んでいるのだろうと予想していたのだけど、パッと見た感じそう言うわけではなさそうだ。

 どこにでもある古本屋とさしてラインナップは変わらない、まあなんとなくレトロというか年代物の本が多いような気がするけど。

 自分の祖父母の時代にアニメ化して大ヒットになった漫画などに足を止めつつ、いつの間にかカウンターの近くの棚にまで移動していた。

 その時に意図せず視界に映った店員さんの姿に違和感を持つ。

「……ん?」

 老女だと思っていたのに、顔に皺がほぼというか全くないというか、あとなんか目の色おかしくない?

 思わず立ち止まって店員さんの顔と姿を見上げる。

 老女だと思っていたそのひとは、老女ではなかった。

 髪は真っ白だけど、顔も肌も立ち姿も老女のそれではない。

 どう見ても若い人だった、たぶん私の姉と同世代。

 だけど髪は真っ白で、その上目は真っ赤だった。

 アルビノ、って奴なのだろうか?

 そう思いつつまじまじと店員さんの顔を見ていたら「どうかされましたか?」と店員さんは可愛らしく小首を傾げた。

 ああそうか、さっきの違和感はこれか。

 老女にしては声が若すぎたんだ、さっきは気付かなかったけど。

「あ、えとそのすみません……私、目が悪いから……入ってきた時におばあさんかと思って……よく見たら若い人だったからびっくりして……」

 実は私はひどい近視で、本当なら常に眼鏡をかけているべきなのだけど、眼鏡の重さが嫌で、必要な時以外は眼鏡を外しているのだ。

 だからといってコンタクトレンズを入れる度胸もないし。

 というかずっと裸眼で頑張ってきた代償で、眼鏡をかけた見えすぎる視界のままで生活すると酔うんだよね。

 気を悪くするかもしれないなと思ったけど、店員さんは「そうですか」とどうということもなさそうな様子でにこにこと笑う。

「こんな外見ですもの。見間違えられて当然ですよ」

「い、いえ……そんな……いやほんとその……すみません……」

 身を縮こませると、店員さんは「どうかお気になさらずに」とからりと笑った。

「バケモノ扱いされるよりもマシですからね。まあ自分はカイブツですからバケモノ扱いされても仕方がないのですけど」

「そ、そんなことないですよ……!!? おねーさんみたいなきれいなひとをバケモノ扱いするような馬鹿がこの町にいるんですか!!? ……いえ、ごめんなさい多分いますね、だってここ、老害の多いクソ田舎ですもの……!!」

 世の中には多分いい田舎と悪い田舎があるけど、ここいら一帯は残念ながら後者だ。

 幼少期からずっと住んでいるからそれは断言する。

 大人になったら姉みたいにさっさと都会にトンズラしたいけど、この町のクソ老害の筆頭であるうちの祖父母が親戚の臭くてハゲかかったデブと私を結婚させようと画策しているらしく、脱出は困難かもしれない。

 姉さんがあっさり脱出したから私のことは逃さないように必死らしいんだよな、あのジジババ。

 さっさとおっ死ねばいいのに、できるだけ残酷で馬鹿馬鹿しい死因で死ねばいい。

「住む町をそう悪いように言ってはだめですよ。それに、ここは自分の故郷に比べれば何百倍も平和でいいところです」

「こんな場所よりも何百倍も悪いところって、おねーさんの故郷どんだけなんですか……」

 だってこの辺り、割と変な因習とか残りまくってるのに、特に男女差別と年齢序列がひどくてひどくて……

 ちっちゃな女の子が強姦されても犯人が年のいったちょっと権力のある男なら普通にもみ消されるようなクソ田舎なんだよ?

 私の友達、それで自分の頭を何度も酒瓶で殴って自殺したんだぜ?

 でもなーんもなし、あの子の家族もあの子の友達もみーんなみんな泣き寝入りするしかなかったんだから。

 こんなんに比べて何百倍もいいところってどれだけ治安が悪いんだ、おねーさんの故郷って。

「すごく治安が悪いところでしたね。残酷極まりない殺人事件が起こっても黙認される程度の。そういった者たちに処罰を与える役割も持って自分は作られたのですが、自分は壊れていたのでその役割を放棄したんですよ」

「…………?」

 前半の意味はかろうじて理解できた、殺人事件が起こっても黙認されるってどんだけ治安が悪いんだその場所。

 だけど後半の意味はよくわからない、そういう英才教育を無理やり受けさせられたけど嫌になって逃げ出したという比喩表現だったりするのだろうか?

 おねーさんは私の顔を見て、何か間違えたような顔をした。

「おっと……そうでした……こういうのはあそこだけでの常識でしたね……」

「あそこ……?」

「黒㘸島、って知ってますか?」

「クロザトウ? お砂糖……じゃないですよね?」

「はい、こういう字で書く島……人工島です」

 そう言っておねーさんはその辺からメモ帳を取り出してその島の名を書いた。

「……変わった名前ですね、真ん中の字は初めて見ました」

「普通に使われない漢字らしいですよ、意味は葬式の葬とか座席の座と同じ……であるらしいのですが、それも本当なのかどうか」

 おねーさんは困ったように笑った。

 私は改めてメモに書かれた綺麗な字を眺める。

「それにしても物騒な名前ですね、黒で死に土の島って」

「そうですね。まあ黒㘸島は元々人体実験を行っていた実験場でしたから、そういうのを皮肉ってこういう名前がつけられたのでしょう」

「……人体実験?」

 なんかすごい物騒な単語を鸚鵡返しにすると、おねーさんはコクリと頷いた。

「はい、人体実験。今から遠い昔の話ですけどね。自分もその実験の産物で産み出されたカイブツなんですよ」

「そ、それってその、遺伝子操作……とか?」

 だからアルビノなんだろうかと思いつつ、その見事に綺麗な純白の髪に目がいった。

「いえ、そちらはどちらかというとカフカの方ですね。自分は……島外の人間にわかりやすくいうのなら、ホムンクルスというのが一番近いです」

「ホムンクルス、って……ええと人造人間……?」

「はい、それです」

 おねーさんはニコリ、と無邪気に笑った。

 私は流石に疑い始めた。

 都会からきた綺麗な人が、単純にクソ田舎の芋くさい田舎娘をからかおうとしているだけなんじゃないかと。

 確かにそれは十分にありえた、というか人体実験だの人造人間だの現実味がなさすぎる。

 こちらが疑惑の眼差しで見ていることに気付いたのか、おねーさんはやんわりと笑った。

「ああ、信じられないというのであれば信じて下さらなくても構いません。黒㘸島から遠く離れたこの町ではひどく現実味のないお話ですから」

「ええと、その、あはは……」

 思わず苦笑いを浮かべる、どういうリアクションを返せばいいんだろうかこういう場合は……

「それでもよろしければ自分の話を聞いてくれませんか? あの島を出てすでに3年になりますが……久しぶりに故郷の話を誰かにしてみたいと思っていたところなんです……それにこの店お客さまがほとんど来なくて暇でして………………。あ、もちろんお時間があればなんですけど」

 おねーさんは最後に慌てたように付け足した。

 私は少し考え込んだ。

 嘘か本当かわからない見知らぬ人の話を聞くべきか、聞かないべきか。

 だけど好奇心はあった、作り話だとしてもこの人は一体どんな顔で、声でその黒㘸島という故郷の話をするのだろうかと。

 それにどうせ今日は一日中暇なのだ、急ぎの用など何一つとして存在しない。

 なら退屈しのぎも兼ねて話を聞いてみるのも悪くはないかもしれない。

「……おはなし、聞かせてもらってもいいですか?」

 私がそう言うと、おねーさんは顔をぱあっと明るくさせた。

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