第7話 愛ある男

「冗談じゃない」


「冗談じゃないよ。商談だよ」


とまたつまらないことを言って、んなわけない、と独りごつ山際。


「商談じゃない。破談だ」


テラのあらぶった大声を打ち消すように、


「いや。これは本当に本当の商談ですよ」


米満はそのまま顔をもたげて、勢いづいて、


「テラさんがレッドをやれば、お客さんだってどんどん増えます」


テラは相変わらず渋面のままで、


「中身が変わったのなんてお客は分かんないよ」


「なに言ってるんですか、テラさんは伝説のレッドじゃないですか。伝説が復活なんてことになったら、往年のファンが押し寄せますよ」


「俺はやらない」


「それは体力的に無理だってこと?」


はあ? 言葉にならない声でテラの顔がゆがむ。


それを山際は見ながら、


「後半だけにしか出ない悪役だったらまだどうにかできるけど、頭っから出ずっぱりのレッドのハードアクションはもうできないと。そう言いたいの?」


見開いたテラの目が限界まで見開かれたと思うと、凍り付いたように色を失っていく。


山際はなおも続けて、


「若いころは屁でもなかったけど、今はもう、寄る年波には勝てないんだと。そう言いたいわけ」


テラの目はすっかり沈んでいる。


「もう身体もガタガタだと。満身創痍なんだと。もう勘弁してくださいと」


そこまで言って山際はテラの顔をじっと見て、つづけた。


「そう言うんなら私だってあきらめるよ」


山際の言葉のあとしばしあって、テラは鼻で笑いながら言った。


「今でも、レッドなんて俺は屁でもないですよ。屁になる前の炭酸ガスの泡つぶ以下ですよ」


「じゃあなに?」


すかさず挟んだ山際の挑むような口ぶりに、


「俺はレッドは二度とやらないって、そう決めてるんです」


「だからそれはなんでよ?」


テラは、鼻腔を広げて勢いよく吸ってから、すべてを吐き出すように、


「俺は〝わるもん〟専門だからだっ」


「なによそれ」


決め台詞さながらの文言を軽く流した山際に、テラのこめかみに太い血管が浮きあがった。大きく息を吸い込んで、


「だから、わるもん専門だって。俺はそう決めてるんですよ」


山際はため息をついて椅子に身を投げ出すと、抑揚のない調子で、


「せんもんの〝わるもん〟が、〝いいもん〟を使いもんじゃなくしたら、ダメだもん」


テラが口を一文字に結んだ。米満がぷ、と吹き出して慌ててタオルハンカチで顔をぬぐう。


「わるもんがいいもんを倒しちゃった時のちびっ子たちの顔、見たでしょ」


客席を埋め尽くした可哀想なアザラシの目を、テラが脳裏によみがえらせると、米満が囁くように、


「ワルの代わりならこっちで用意できますから」


目をひんむいたテラは立ち上がった。


「馬鹿野郎っ!」


その大声で、小山田の前に置かれた、ほとんど空のコーヒーの紙コップが身震いするように振動する。


「わるもんの代わりってのはいない。いないったらいないっ」


テラはもはや、ショーの途中で親に連れ出される客席の駄々っ子と同様だった。


山際が立てた人差し指でデスクをとんとん、と叩いて、


「わかった。じゃあ明日は公演中止。次の週末も中止。いつまで公演中止にしましょうかね?」


明るいトーンの声をあげる山際の目は全く笑っていない。


「気が楽でいいや。そうなると何が起こると思う?」


山際は問いかけてはいるが、答えを期待している様子はまるでない。


「上の人たちがなんて言うかわかる?」


誰も答えない。


少し口をゆがめた山際は、ここにいるスタッフには全く誰かはわからない声色で、


「『思ったより入ってないしな。そんなに公演ができないっていうんなら、別の施設に作りかえちゃったほうがいいな』」


そう山際が言い放つと同時に、米満が喉から奇妙な音を漏らしながら、


「ちょっと待ってください」


どのが詰まったようなその顔は上気している。


テラよォ、と小山田が諭すように、


「お前がやるって言やあいいんだ。ワルには代わりがいる。クロガネショーグンのコスチューム着られる奴がいないんなら、別のキャラに変えちまえばいいだけだ」


ガタンと椅子をひっくり返してテラが立ち上がった。


集まった視線を意識してか、テラは大きく息を吸うとこう言い放った。


「帰らせてもらいます」


「なんでよ」


全員を代表して聞き返した山際に、直立不動のテラはまっすぐ前方を見つめたままで、


「ここは、わるもんの居る場所じゃないようなんで」


まばたきを忘れた一同に、深々と一礼してテラは回れ右をした。その背中に山際の声が飛ぶ。


「わるもんってのが何もんか、結局わかんないんだけど」


テラが事務所のドアをバタンとしめたあと、米満が消え入りそうな声で、


「私がもう一度説得を」


言いかけるのを手で制しながら山際は立ち上がった。

つかつかと黒板に歩み寄り、明日の予定を書く欄に「中止」とだけ書いて席に戻ると、残っていたスタッフに明日のチケット払い戻しの手配を指示し始めるのだった。


米満がぎこちなく立ち上がってファイルブックを取りまとめていく。

その手はぷるぷると震えている。


「社に戻って上の者と相談します」


その声も震えていた。


「他の事務所からの助っ人を頼むという方法もありますので、明日にはベストな人材をピックアップします。明日はともかく、来週末には再開できるようにいたしますので、どうかっ」


そう言って、勢いよく頭を下げた途端、抱えたファイルから書類がバラバラと落ちた。


「ああすいませんっ」


おろおろと大きな体を折り曲げ、膝をついて四つん這いになって、散らばったプロフィールを拾い集める米満。


「今年入った新人の分をまだファイルしてなかったもんですから」


足元に滑ってきた一枚を拾いあげた山際は、生白い顔で半目の生命力の薄そうなプロフィール写真の青年の名前に釘付けになった。


「よねみっちゃんさあ、この百地真太郎って子、もしかしてモモちゃんハム?」


「えーとそうです」


「『ももちゃんジャーキー』の?」


「はい」


「エクスチェイサーカードが入った『エクスチェイサーソーセージ』の?」


「カード、ご所望ですか?」


んなわけないでしょ、といったあと、


「ってことは、この彼氏、協賛会社の御曹司ってこと」


独り言のようにつぶやいた山際の顔に何かを確かにした色が宿った。


「当然アクションはできるよね? この百地のおぼっちゃまくん。できるからおたくに入ったんだもんね」


米満が言葉を探している間に、山際は青年のプロフィールをもう一度見て、


「身長もこれ、高くもなく低くもなくいい感じだね」


「です・・・ね」


「そっか。ふーん、そっか」


山際は、おでこにげんこつをぎゅっぎゅっと当てて、まぶしそうに蛍光灯を見上げた。

背もたれをきしませて立ち上がった。

すたすたと黒板の前に行って、

来週の予定の空欄に、


「通常公演」


と書きこんだ。

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